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無投票当選を考える

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年7月17日

東京大学名誉教授 大森 彌(第3246号 令和5年7月17日)

マスコミなどでは、町村長・町村議員の選挙をふくめ無投票当選の増加を問題視する意見が多い。無投票当選を「民主主義の危機だ」と捉える見方も絶えない。当の有権者はどう考えているだろうか。明るい選挙推進協会の第19回統一地方選挙全国意識調査では、それを探るため、無投票当選をどう思うかを3択で聞いている。選択肢は、①「公職者(首長や議会議員)は投票で決めるのが本すじであるのに、投票なしに決まるのはおかしい」、②「定数を超える候補者が立たないのだから、無投票になっても仕方がない」、③「選挙のわずらわしさや、あとに対立が残ることや、また経費のことなどを考えると、無投票当選もよい」。この調査の結果(調査結果の概要-令和元年12)では選択の割合は①が34.8%、②が39.1%、③が10.2%であった。②と③を「無投票を受け入れている」有権者とすると、その和は49.3%である。

「公職者を投票で決めるのが本すじ」という考えは選挙の趣旨に照らして頷ける。ただし、それゆえ、「投票なしに決まるのはおかしい」という見方を実際に貫こうとすると無投票当選を認めがたくなり、新たな法的工夫が必要になる。なによりも投票になるよう立候補者擁立の工夫と努力が不可欠になる。

「無投票になっても仕方がない」というのは、望ましくはないが、やむを得ないという消極的な受容といえる。現に「定数を超える候補者が立たないのだから」、選挙過程を中断して無投票当選を認めているというのは現実的な対処であるといえよう。

「無投票当選もよい」というのは、やや積極的肯定論である。その理由として「選挙のわずらわしさや、あとに対立が残ることや、また経費のことなど」が考えられている。選挙が争い事で、争えば住民の中に対立・反目が起こり、しこりが残り、地域の和が乱れるという秩序意識を表わしているともいえる。また、選挙活動をめぐるお付き合いのわずらわしさや投開票事務の経費も少ない方がよいから、無投票当選も悪くはないと考えられている。

少なくとも③の考え方は根強い政治文化と考えられる。選挙戦が終われば敵味方もなく、公平でさわやかな自治体運営が行われる、そういう信頼が有権者の意識に醸成されていく必要があろう。無投票で当選した首長も議員も情報公開と住民参加の回路を全開にして、それぞれの自治体のより良き政治と行政を実現していくことが求められている。​