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教育と農業

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年5月15日

日本農業研究所研究員・東京大学名誉教授​ 生源寺 眞一(第3239号 令和5年5月15日)

​ 福島市でも例年よりも早く桜の開花を迎えた3月24日、福島大学のキャンパスでは卒業式が挙行された。大学教員として卒業生を見送った経験は30回以上になるが、今回は過去にはない万感の思いのこもった式典となった。4年前に農学系学部として開設された食農学類が、その1期生を送り出すことができたからだ。容易ではなかった。教職員の皆さんの頑張りや地域社会から実に多彩な支援があったからこそ、学類の完成に到達することができた。加えて、私は3月末日をもって福島大学から身を引く。こちらも卒業だ。

 ひとりずつに卒業証書を手渡したうえで祝意を申し上げた。そこで強調したのは、学生の皆さんも学類の建設に大いに貢献してきた点であった。教える側と教えられる側の単純な二分法ではとらえ切れない貢献である。教員は特色のある農学教育を目指して工夫してきたが、学生の反応も受け止めながら修正を加えていく。サークル活動の立ち上げなど、学生たちの成長から新たな動きも生まれてきた。こちらも、教員にとって教育のプログラムを磨くための刺激となる。成長の具体像を把握しながら、さらなる成長を促すことに注力するわけである。

 こんなメッセージを伝えながら、私自身、農業の取り組みと学生教育の活動が本質的に重なり合う点を改めて認識することになった。農業はものづくりの営みであるが、みずから育ちゆく生き物を育てるところに、生命体ではない素材に向き合う工業との違いがある。学生の教育も、みずから育ちゆく人間をさらに育て上げることを目的とする点では、農業生産と変わりがない。作物や家畜、そして人間は個性的であり、ときには育てることに壁が立ちはだかるケースも存在する。学生の教育と申し上げたが、大学生に限定されない。幼児や児童・生徒についても、その教育の本質が農業の営みの本質、すなわちみずから育ちゆく生き物を、しっかり個性を踏まえて育て上げることと重なる点を、再確認することも大切であろう。