▲飯豊連峰と野沢の街並み(提供 石川宣彦氏)(福島県西会津町)
法政大学名誉教授 岡﨑 昌之(第3233号 令和5年3月20日)
南東北の山村を拠点に、地域の戦略的な再生に取り組む青年に出会った。福島県西会津町の矢部佳宏さん(44)だ。西会津町は新潟と会津を結ぶ越後街道のちょうど中間で、中心の野沢地区は街道の宿場町として栄えた。幕末には東北の松下村塾とも言われた「研幾堂」という私塾が開設され、医者や教育者を輩出したところでもある。
矢部さんはこの野沢地区からさらに北の山中へ車で30分の楢山集落に住む。矢部家は360年続く旧家、矢部さんで19代目。集落のある奥川地区は昭和29年の市町村合併で西会津町となったが、合併時の人口4千人が今では520人、50歳以下は30人しかいない。しかし小さい頃、祖母は縁側で彼を膝に座らせながら「楢山はいいとこだ、豊かなところだ、土地や家屋は絶対売ってはいけない」と言い聞かせたという。
年を取ったら帰ろうと思いながら、西会津町を離れ著名なランドスケープアーキテクト上山良子氏のもとで学び、海外での経験も積んだ。契機は東日本大震災だった。これ以上先延ばしにしていると村はなくなってしまうと、西会津町に帰り、2013年から旧中学校の木造校舎を活用した西会津国際芸術村の運営に関わる。これまでに400人を超える国内外のアーティストを受入れてきた。
彼らと町内で活動するにつれ、古い価値ある建物が町内に埋もれていることに気づく。何とか活用できないかと、所有者と町の若者、移住者を繋ぎ、まずは旧越後街道に面する築100年の古民家を改修しレストランへ、近くの旧旅館を改装しギャラリーへとこぎ着けた。自らも自宅の蔵や古い小屋を改装し、古民家ホテルの経営に乗り出した。空き家を活かしたゲストハウスや工房、町もコワーキングスペースやお試し住宅の運営を始め、町に眠っていた古い空き家が、今では15ものユニークな施設となって生き返っている。
こうした経緯から、ヤマの集落を拠点としながら、ムラへ繋ぎ、多様なマチの拠点を展開する戦略的なまちづくりが見えてくる。しかし矢部さんは、山村の集落がすべて美しく麗しいとは感じていないようだ。話し合いの場では、今でも何代か前の因縁やしがらみがでるという。だがそれも山村集落のしぶとさや強さで、こうした「里山の知恵と暮らしのアップデートこそが、都市も含めた新しい生活の価値へ繋がる」(矢部さん)と考えている。