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能登のキリコ祭り

印刷用ページを表示する 掲載日:2022年12月19日

國學院大學教授​ 西村 幸夫(第3224号 令和4年12月19日)

 キリコとは切子灯籠のこと、場所によっては奉燈と呼ばれる。巨大なキリコに火をともし、町内を曳きまわしたり、海入りしたりする勇壮な祭りが能登半島の夏から秋にかけて各地で繰り広げられる。コロナの前、私が親しくおヨバレしたのは能登町松波地区の松波人形キリコ祭りだったが、ここのキリコは正面に趣向を凝らした武者人形や大蛇などの人形を備えた一風変わったものだった。昼間は各町内を大勢の担ぎ手によって巡行し、それはそれで趣のあるものだが、夜になってキリコに火が灯され、町中で乱舞すると風景は一変する。地元出身者がキリコ祭りには集結するというのもよく分かる気がする。​

 興味深いのは、能登半島の100か所を超える地区で大小さまざまな意匠のキリコを奉じる祭りが毎年7月から10月にかけて、各地で順々に催行されるということである。キリコの形や大きさだけではなく、祭りのスタイル自体、華麗なものや勇壮なもの、海入りをするものや松明、花火が登場するもの、荒々しくキリコをあつかう祭りなど、じつに多様である。疫病退散や海の安全、豊漁を祈願した神事が起源である点や、昼と夜とのキリコの際立ったコントラストといったことは共通するものの、各地での長い伝統や創意工夫が個性あふれる多彩なキリコ祭りを生み出してきた。それが地域の矜持というものだったのだろう。各港町が競い合うことが多様な祭りを生み出す原動力となった。そうした心意気が全体として地域文化に奥深さを与えることにつながっている。欧米ではこれほど多様で豊饒な地域文化というものはあまり見ることができない。おそらくキリスト教文化が地域全体を均一にしていったからなのだろう。​

 キリコ祭りは地域社会に求心力を与えてきただけでなく、能登の風物詩として半島に際立ったひとつの個性を与え、広域のイメージ形成の立役者となってきた。多くの来訪客をひきつけることによって、地域経済にも貢献している。祭りの担い手が減少し、祭りを守ることができるかということが各地共通の課題となってきた今日、能登のキリコ祭りの現在は、地域戦略のこれからのあり方に貴重なヒントを与えてくれる。​