ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > コラム・論説 > 多極集住は地域の過疎化を進める

多極集住は地域の過疎化を進める

印刷用ページを表示する 掲載日:2022年11月28日

法政大学名誉教授 岡﨑 昌之(第3221号 令和4年11月28日)

政府の「骨太の方針2022」が6月に発表された 。看板政策の「新しい資本主義」も「グランドデザイン及び実行計画」として同時に公表された。地域政策に関する部分を注意して見ると、従来と異なる点に気づく。骨太方針では「東京一極集中の是正、多極集中」、新しい資本主義実行計画では「デジタル田園都市国家の推進により一極集中から多極集中への転換」とある。

従来は“一極集中から多極分散”であったが、“多極集中へ”と変化している。新しい資本主義実現会議構成員の冨山和彦氏は、多極集中から一歩踏み出して「東京一極集中から多極集住を目指せ」(日経グローカル2022・6・6)と主張し、「中山間地域や限界集落から賢く撤退」「多極集住が実現してはじめて豊かな国へと転換できる」としている。日本経済新聞も「国土計画は人口減少を直視し集住をめざせ」と社説で述べた(2022・8・23)。「社会インフラや行政サービスの維持には、ある程度の人口密度が必要」とし、「国土計画は過疎地に配慮し、集住を明示せずにきた」、いまこそ「集住戦略を示せ」としている。

この主張は過疎地域に対してこれまで何度かあった。豪雪地帯や極寒冷地の高齢者に、まち中の施設に集住することを促したが、実際はほとんど実現していない。日本の集落はそれぞれが長い歴史をもっている。そこで生まれ、そこに嫁いできた人たちが、自然環境と折り合いをつけ、地域に価値を見出し、その価値を最大限に活かしながら暮らし続けてきた。そうした暮らしが、離島や山間部の集落で営々と紡がれ、国土が管理され守られてきた。人が地域で暮らすということは、経済効率主義で簡単に割り切れるものではない。

多極集住論の危ういところは、多極の極とは何かが明示されていないことだ。冨山氏は文中に「湯布院は集積で成功」と述べている。旧湯布院町の総合計画策定にも関わった筆者からすればそれは違う。由布院温泉の旅館経営者たちは、盆地内や周辺集落の農林業者と連携し、その価値を最大限に活かしてきた。由布院がまちづくり型観光地のモデルと位置づけられたのは、まさにその連携があったからだ。集積ではなく緩やかな支え合いだ。まち中に集住して効果がなければ、より大きな都市の中心部へと、多極集住は一極集中に繋がり、村じまいや村おさめを促された町村の周辺部は、より厳しい過疎への道を歩むことになる。賢く撤退するのではなく、より賢く再生の道を模索することこそ重要だ。