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老舗旅館の事業継承と地域社会

印刷用ページを表示する 掲載日:2022年10月31日

國學院大學 観光まちづくり学部 教授 梅川 智也(第3219号 令和4年10月31日)

昨今、空き家や事業継承の問題が地域課題となっている。知り合いが廃業した老舗旅館を再生したというので出掛けてみた。賑わう駅前のアウトレットや旧軽銀座とは全く異なる佇まいを見せる軽井沢町・旧中山道の追分宿。中山道と北国街道の分岐点、浅間根腰の三宿といわれた軽井沢宿、沓掛宿、追分宿の中で最も賑わっていた宿場町である。その旅館は旧脇本陣、元禄年間の創業であり、昭和12年に焼失したものの翌年再建した。作家の堀辰雄や建築家・詩人の立原道造、評論家の加藤周一ら文化人が逗留し、戦時中も軍靴の届かないこの地で文化芸術活動に勤んだ。15年ほど前に長年切り盛りして来られた女将が亡くなり、荒れ放題になっていた。

近くで古本屋を営んでいた知り合いご夫妻は、再建に向けてNPO法人を立ち上げ、かつて金融機関に勤めておられたご主人によって、現実的かつ創造的なビジネスプランが作り上げられた。最大の課題は施設維持に必要な年間数百万円に及ぶ経費をどう賄うかである。彼らのプランは「スペースレンタル」であった。今では団体旅行向けの大型旅館が、使わなくなった大宴会場をオフィスとして貸し出すといった例も見られるが、10年以上も前に彼らはこれをビジネスモデルとして立ち上げていた。

施設全体のコンセプトを“文化とアート”とし、広い宴会場を区分けし、幅広い人的ネットワークを活用して雑貨、陶芸、古美術、クラフトといったテナントを集めた。月数万円の家賃で好きなものが売れ、売上管理はNPOがやることも可能とあってテナント側のメリットは少なくない。彼らの本業である古本も効果的に置かれ、全体が文化とアートのセレクトショップの様相を呈している。むろん、旅館の2階は素泊まりの宿として、一部はアーティストインレジデンスとなる長期滞在向けとなっている。

移住者がこうした事業継承に取り組むケースは多いが、長期に及ぶ地域とのやり取りは険路であることは想像に難くない。恐らく日本のどこの地域にも少なからず共通する「地域がもつ閉鎖性」に悩まれることであろう。いつまでたっても「よそ者」扱い、精神的鎖国は今後も地域が生き残るための知恵として続くのかどうか。彼らの取り組みを伺っていてそんなことを考えた。