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「農」の世界を都市住民に近づけるために

印刷用ページを表示する 掲載日:2022年10月10日

農業ジャーナリスト・明治大学客員教授 榊田 みどり(第3216号 令和4年10月10日)

11月から、柴田昌平監督のドキュメンタリー映画「百姓の百の声」が東京都内で封切りになる。今後、自主上映を含めて、各地で上映予定だ。先駆けて試写させていただいたが、いろいろ考えさせられた。

まず、農業に関心がある柴田監督でさえ、最初は農家の言葉が異国語のように聞こえたという現実。「その国に至る道が、これほど遠いとは思いもしなかった」という映画の冒頭のセリフが、柴田さんの衝撃を如実に物語っている。

食べている限り、誰の隣にも「農」はあるのに、なぜ消費者にとって、「農」の世界がこれほど遠いのか。そこに、今の日本の食と農の構造が凝縮されていると感じる。

また、映画には大規模農業法人から「稲作の最後の巨匠」と言われる80代の家族経営の農家まで、実に多様な農業者が登場し、彼らのリアルな言葉をすくい取っている。

今の「成長産業化」の旗手と言われる大規模法人にも、離農が増加する中での「担い手」としての重圧があり、小規模農家にも直面する悩みがある。そして意外にも両者には、共有している思いもあり、長期的なスパンで、それぞれが地域や農業の課題と向き合っている。

大手メディアで農業が語られる際、「農業の成長産業化」の花形、あるいは「高齢化・後継者不足」という厳しい農業問題に直面する農村、あるいは「大規模農業」vs「小農(家族経営)」という対立構造が報道されたりすることが多い。

記者としての自戒を込めて言うと、俯瞰して単純化したほうがわかりやすい(本気で単純にそう考えている記者もいるかもしれないが)のが原因と思う。しかし現実には、小規模も大規模も非農家も複雑に絡まり合い共生しているのが地域である。

その現実を都市住民にどう伝えるか。食品の値上げが続き、食料安保に都市住民の関心が高まる中、農産物という“モノ”の発信だけでは伝わらない農村や農業のリアルの発信のあり方を考える上で、今が絶好のチャンスではないかと思う。

冒頭の映画は最後に「さて、私たち(消費者)はどうする?」と問いを投げかける。逆に私は農村に「さて、私たち(農村・農業者)はどうする?」と問いかけたい。​