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リーダーの憂うつ

印刷用ページを表示する 掲載日:2022年6月27日

東京大学名誉教授 大森 彌(第3204号 令和4年6月27日)

終活の一環で、たまった書籍の処分をしていると、つい懐かしくなって立ち読みしてしまうものがある。「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」という冒頭の一節で有名な夏目漱石『草枕』(明治39年)もその一冊であった。この小説は、世の中をこのように感じている画家の男を主人公に展開されている。

ところで、その後に次の文章がつづられていることはあまり知られていないのではないかとふと思った。「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」

「向う三軒両隣にちらちらするただの人」がつくった世の中では、理詰めで事を運ぼうとすれば他人との軋轢が生じ、情にほだされれば足元をすくわれかねないし、意地を貫こうとすれば他人との関係が気詰まりになってしまうということは往々にしてある。だから、人の世では、他人と協調していくために控え目な知情意の使い方が必要になる。しかし、この処世訓が人の世のリーダーにもそのまま当てはまるとは限らない。

ただの人の身過ぎ世過ぎならばともかく、リーダーの任にある人は、必要とあれば、角が立っても知を働かせ、情に流されることなく非情なまでの態度をとり、堅固な意志を貫き通さなければならない場合もある。課題解決のために思い切って現状を変更しなければならない時などである。

現状に問題が発生していても、様子見に時間を取られ、手打つ手が後手に回り、状況認識や見通しが甘く、良かれと思って打った手がかえって事態を悪化させるようではリーダーとはいえないだろう。問題解決には、現状変更への消極的な動きに対処するために先見の明と冷静な判断と行動力が不可欠になる。だから、リーダーは、「ただの人」から陰口をいわれ、うとまれ、嫌われることにもなる。独り、憂うつな気分になるのではないか。自治体のリーダーである町村長さんはどうであろうか。