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フードセキュリティ再考

印刷用ページを表示する 掲載日:2022年1月10日

福島大学教授・食農学類長 生源寺 眞一(第3185号 令和4年1月10日)

毎日の苦労が求められる新型コロナだが、一面で日々の暮らしについて考え直す機会を与えてくれる。たとえば食料の確保の問題。コロナによる経済への影響下で、職を失ったケースをはじめ、少なからぬ人々が困窮の中での食生活を強いられている。そこに食材の値上げが重なることで、食料の安定的な確保が危ぶまれる事態も生じている。

食料をめぐって国際的に認知された概念にフードセキュリティがある。1996年の世界食料サミットで合意されており、健康な生活に必要な食料が十分に確保された状態という意味だ。逆に十分ではない状態をフードインセキュリティと表現し、栄養不足人口の推計も行われている。現時点で世界人口の9人に1人が栄養不足であり、近年は徐々に増加しつつある。

栄養不足人口のポイントは、大半が途上国の貧困層という点にある。したがってフードセキュリティは途上国の課題だとする見解が、国際的にも定着していた。ところが日本では、フードセキュリティに食料安全保障という訳語が使われてきた。こちらは国際紛争や激甚災害などの不測の事態への備えであり、これが重要なことはむろん否定しないが、途上国の食料問題と同列に扱うことには無理がある。

この点をめぐる私の見解に変わりはない。けれども同時に、今日の日本社会においては途上国型のフードセキュリティ、すなわち毎日の暮らしの食料確保にも十分な配慮が求められていると思う。食料は直接に生命と健康を左右する点で、絶対的な必需品である。これが確保できない状態の回避は、優先度の高い課題なのである。さらに確保が困難な状態は、周囲の人々の判断や行動に影響を与える可能性があり、地域社会や国全体の不安定にも結びつく。

新型コロナ禍は、身近な問題にグローバルな共通項があることを再認識するきっかけにもなっている。国際的な概念であるフードセキュリティについても、身の回りの人々の実態と無縁ではない。そこに正面から目を向けることが大切だ。