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全国町村会創立100周年記念寄稿 町村とともに歩んで

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年11月15日

福島大学食農学類長・東京大学名誉教授 生源寺 眞一(第3180号・令和3年11月15日)

教室だった農村

研究者として農村の現場に通い始めたのは、農林省の農事試験場の農業経営部に着任した1976年のことでした。試験場は埼玉県鴻巣市の水田地帯にあって、古風な研究棟やおんぼろの宿舎が懐かしく思い起こされます。研究者として通い始めたなどと述べましたが、学部卒で研究歴ゼロの私にとって、とにかく基礎の基礎から勉強する教室が農村だったのです。職場の先輩が配慮してくれたおかげで、役場や農協を訪問して職員の皆さんから多くを学ぶことができました。

農事試験場の所管は関東・東山・東海でしたが、ほかの地域の調査も経験しました。学部時代の所属研究室とのつながりで、政府系農業金融の効果を検証するプロジェクトに参加したのです。担当は過疎地域でしたので、鴻巣から距離のある町や村を訪問することにもなりました。とくに北海道の天塩町と美瑛町については、都府県の農村とは別の世界に触れた思いがあり、のちに札幌の北海道農業試験場への転勤を打診された際には、間髪入れずに「まいります」と答えたことを覚えています。その北海道でも役場にはずいぶんお世話になりました。なかでも農地関連資料の探索に足繁く通った南幌町では、農政の部署の空いたデスクを使わせていただきました。職員の皆さんの日常の仕事ぶりに触れることができたのも得難い体験でした。

試験場時代には農業の現場で基本を学ぶとともに、日本とくに水田地帯の農業・農村の特質を理解することにもなりました。それは農業の基層にはコミュニティの共同行動が機能している点にほかなりません。典型的には農業用の水路の維持管理であり、合理的な水利用のための配分ルールの発動です。これなしには個々の農家の生産活動は成り立たないのです。実は、鴻巣時代と札幌時代に共通していた私の問題関心のひとつが農業用水でした。現地調査にも力を入れました。鮮明に記憶しているのは、群馬県の玉村町で行われた水利用の実態把握のプロジェクトです。集落の集会所を宿泊拠点として、2週間で1、000枚以上の田んぼについて水利用のデータを集めました。田植作業中の農家にシンプルな質問に答えていただくかたちです。この調査プロジェクトにおいても、地域の事情に精通している役場の職員から多大のお力添えを頂戴しました。

現場密着型の調査を通じて日本の農業の特質に触れたことは、その後の私自身の農村や農政に対するスタンスにもつながっています。共同行動で結ばれたネットワーク型の生産基盤のもとでの農業は、単純な足し算が通用しない世界でもあります。加えて、用水路の改修や圃場区画の整理を実施する土地改良事業が典型的ですが、地域社会としての取組であると同時に、50年といった耐用年数が物語っているように、超長期の視野からの思考が必要とされることも見逃せません。文章であれば、このようにさらっと表現できるのですが、現場の具体的な課題に向き合う苦労は並大抵のものではありません。試験場時代の私にとって、農村が教室であるとともに、町村役場の農業分野の皆さんが実習の先生であり、コーチだったわけです。

農村空間の国際比較

35歳で大学に籍を移して以降、イギリスを起点に西欧の国々で調査を繰り返すとともに、北米やオセアニアを訪れる機会も増えました。現地訪問のおもな目的は、今から30年前に当時のECで活発に議論された農政改革に関する情報の収集と分析でした。それなりに報告書を書き上げ、論文も投稿したわけですが、そんなアカデミックな作業とは別に、日本と西欧の農村への思いが深まっていったことを記憶しています。農業のタイプは異なっているものの、日欧の農村空間の成り立ちには共通項がある。これがその思いにほかなりません。思いが深まったことには、北米やオセアニアの農業の現場との違いを肌で感じていたという面もありました。

いささか荒っぽい話をお許し下さい。日欧の農村空間は、第1に自然の産業的利用の空間、典型的には農業や林業の空間であり、第2に非農家住民を含んだコミュニティを支える居住環境としての空間であり、さらに第3に外部からのアクセスが容易で人々がエンジョイできる自然空間、ヨーロッパ流に表現すればグリーンツーリズムの空間でもあります。このうち居住環境としての空間には、地域に密着した関連産業の立地も含まれると言ってよいでしょう。そして、このような空間利用の3つのディメンションが重なり合う構造が日欧の共通項だというわけです。少し先走って申し上げるならば、人間社会の長い歴史を有する日本や西欧においては、未開発の空間は乏しく、3つの目的での利用を同一空間に重ねるしかなかったのです。

この点については、アメリカ中西部や豪州のような歴史の浅い地域との比較を通じて、なるほどと自分なりに得心した次第です。自然資源がなお豊富なこともあって、自然の産業的利用の空間である農場と人々のアクセスの対象としての自然空間、典型的には国立公園が別々に存在しているのです。年寄りの国からすれば、うらやましい限りではあります。さらに日常的な交流の場も、農場からは距離のある小さな町にあるのが普通です。なにしろ豪州の1農場の平均面積は3、000ha以上で、日本の1、000倍です。日本や西欧の意味での農村は存在しないと言うべきでしょう。

さらに荒っぽい話で恐縮ですが、農村を広くカバーする自治体、すなわち町や村の行政には農村空間の三重構造による特徴と苦労が伴っています。限られた空間を複数の目的に合理的に振り分けることが求められているからです。ときには、空間をある目的に活用することが隣接する別の目的の空間利用にマイナスに作用することもあるでしょう。難しい取組なのです。「二兎を追う者は一兎をも得ず」とは古くからの言い伝えですが、産業空間、居住空間、アクセス空間の三兎を追って、高いレベルで三兎をバランスよく確保することが求められているわけです。

ここは日欧の違いなのですが、日本では高度成長期から農村部の土地利用が急速に変化しました。非農家の住宅が建築される動きが各地で広がり、地域によっては工場やオフィスなどによる企業の進出もありました。空間の合理的な利用という点では、土地利用計画が十分に機能することなく、いわゆるスプロール現象が問題視されたわけです。周知のとおり、都市計画法や農振法といった土地利用計画を支える法制度は存在するのですが、適切に機能しない地域が多かったのです。西欧の農村と比べてみるならば、日本のあまりにも急速な経済成長のもとで、強い開発圧力が合理的なゾーニングを蹴散らしてしまったと言えるでしょう。

社会は変わりました。今なお成長至上主義的な言説がないわけではありませんが、多くの人々が安全で充実した暮らしを望んでいる点で、成長から成熟の時代への転機が訪れています。成熟の時代だからこそ、3つの利用が重なる農村空間の合理的な姿を描き出し、それを実現する道筋にリアリティがあるわけです。来年に向けての話ではありません。子どもや孫の世代をも視野に入れた構想のもとで、町や村の本腰を入れた取組に期待したいところです。農村空間の合理的な姿には、金銭では評価できない価値が埋め込まれているのです。

町村役場の強み

農業・農村との関わりを中心に、町村には40年以上にわたってお世話になり、実に多くのことを学びました。何かお返しをというわけではないのですが、6年ほど前から全国町村会が主宰する地域農政未来塾の塾長を仰せつかっております。役場の若手・中堅の職員が塾生で、月に一度の集中的な講義やゼミに参加します。私自身も農政などの講義を提供し、最後の段階では全員の研究論文を読み込んで、塾生一人ひとりに講評を差し上げております。いわば教える側になったわけですが、逆に塾生の皆さんから教えられることもあります。

ひとつは、町や村が実に個性的だという点に関係することがらです。私自身、個性的であること自体は認識していたつもりですが、ほかの町村の状況を理解した塾生の反応に感心したことが何度もありました。課題の具体像は異なるものの、よその事案から自分の町村の問題に向き合うさいの心構えを学び取っているのです。個性的な状況下で、定型的な解がないケースが多い。これが町村の現場の課題の実像だろうと思います。このあたりを念頭に、塾生には「解答よりも解法」と申し上げている次第です。町村間の職員の交流の大切さも改めて強調しておきたいと思います。

もうひとつ認識を新たにしたのは、町村行政が課題への分野横断的な取組に適した環境下にある点です。何よりも役場にはさまざまな部署が配置されています。農政の職員も別の分野の職員と直ちに接することができます。また、現在は農政担当であっても、しばらく前までは財務担当といったケースも町村の役場では普通です。日頃はほとんど意識されていないかもしれませんが、しばしば縦割り行政の弊害が指摘される中央の府省と比べてみれば、町村行政の分野横断的な強みは明らかです。

分野横断的な取組としては、府省によるさまざまな制度を組み合わせて活用することもあるでしょう。あるいは、活用しようとしたけれども、不都合が生じることもあったと思います。このような状況は、町村役場の段階からリアルな政策提案を行うことにもつながるはずです。役場ですから、ルーティンワークや新たな制度への対応などに時間を割く必要もあるでしょう。けれども、創造的な仕事へのエフォートが確保されるならば、現場ならではの説得力に富んだ政策提案も町村役場の強みとなるに違いありません。

生源寺先生

生源寺 眞一(しょうげんじ しんいち)

1951年、愛知県生まれ。東京大学農学部卒業。農林水産省農事試験場研究員、北海道農業試験場研究員を経て、1987年東京大学農学部助教授、1996年同教授、2011年名古屋大学農学部教授。2017年福島大学に着任し、2019年4月からは食農学類長。東京大学名誉教授。これまでに東京大学農学部長、日本農業経済学会会長、食料・農業・農村政策審議会会長などを務める。現在、全国町村会が主催する地域農政未来塾塾長のほか、NPO中山間地域フォーラム会長、全国大学生活協同組合連合会会長理事など。

著書に『新版・農業がわかると、社会のしくみが見えてくる』(2018年、家の光協会)、『「いただきます」を考える』(2019年、少年写真新聞社)、「農業と人間」(2013年、岩波書店)など。