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納川

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年9月13日

東洋大学国際学部国際地域学科教授 沼尾 波子(第3173号 令和3年9月13日)

石見銀山の麓、島根県大田市大森地区にある築232年の武家屋敷を再生した「暮らす宿 他郷阿部家」。その入り口には「納川」の二文字から成る見事な書が掛けられている。宿の「竈婆」(おかみ)松場登美氏によると、書は中国の友人に書いてもらったもので、「納川」とは海のことだという。

海は、異質な河を沢山たくさん呑み込んで、広く、深く、美しいものとなる。その母なる海のように、多くの人々が集い、語りあい、豊かな場であれ。「暮らす宿 他郷阿部家」への祈りと敬愛が感じられる書である。

人が集う場をどう創るか。いま、各地で地域づくりプラットフォームの構築が進められている。多様な担い手が集い、地域の様々な課題について情報を共有し、対応を図るための場や仕組みを構築することは大切だ。

総務省が2018年にとりまとめた自治体戦略2040構想研究会報告では、これからの自治体はプラットフォーム・ビルダーになる必要があると謳う。行政単独で様々な地域課題に応えることは難しい。地域の多様な担い手、時には外部の専門家や地元ファンなどの「関係人口」とともに課題に向き合う。そのための場づくりが求められるようになった。

ところで、プラットフォームは中国語で「平台」という。多様な人々や情報が集まる平らな場があり、一定の運営ルールはあるものの、場をどのように活用するか、そこにどんなコンテンツを置くかは、参加者が考え、デザインする。だが、日本の農山漁村における地域づくりプラットフォームは、「平台」というよりも「納川」ではあるまいか。

情報通信技術は、時間や空間距離を超えた関係構築を可能にする。農業や観光業においても、コンテンツで高付加価値化を考える時代である。各地で、多様な機能を組み合わせて何か新しいものを創造する場として、機能的な「平台」に期待が集まる。

だが、農山漁村に様々な人が往来し、情報が集積するとすれば、人々は何に惹きつけられ、そこに居るのだろう。それは効率的な機能を有する単なる「平台」ではない。風土に根差した地域の暮らしがあり、そこで育まれた技術や文化を丁寧に紡ぎなおしたり、美しい景観を前に、自身を見つめ直す。そんな懐の深い海のような場があればこそ、その風土・文化・景観を慈しむ多様な人々が集い、語らい、関わりを持つのだろう。

地域の風土や暮らしに対する慈しみと共感の輪を支える機能的な情報プラットフォームこそ、創造の源と呼べるのかもしれない。