法政大学名誉教授 岡崎 昌之(第3133号 令和2年9月14日)
7月初旬の豪雨で熊本県南部を横断する球磨川が氾濫した。すぐに頭をよぎったのが、人吉市で農家女性の働く場として運営されているレストラン「ひまわり亭」と、それを主宰する旧知の本田節さんの安否であった。ひまわり亭は市の中心街と球磨川を挟んでちょうど反対側の川沿いに位置していたからだ。やっと電話が通じたときは、停電、自宅からひまわり亭までは道が冠水していて近づけないとのこと。しかし残念ながら施設は2メートル近く浸水し、泥水で覆われた。
すぐに駆けつけたのが、益城町「益城だいすきプロジェクトきままに」の吉村静代さん、南阿蘇村の写真家で九州学び舎を主宰する長野良市さんたち。福岡県、宮崎県からもまちづくりグループがひまわり亭に救援物資を携えて糾合した。実は2016年に熊本県北部を襲った熊本地震の際には、県南部の本田節さんたちが、益城町の吉村さんや南阿蘇村など被災市町村への救援物資の配布や炊き出しに、数週間以上にわたっておもむいた。
今回、自らも被災しながら片付けにめどが立った本田さんは、ひまわり亭に泊まり込んだ吉村さんらとともに、キッチンカーを駆っていち早く市内、球磨村、相良村などの被災者に、炊き出しや物資の配布をおこなった。長年にわたって活動と連携を蓄積してきた人吉球磨グリーンツーリズムのネットワークがあったからだ。行政の支援が届かないところで誰が困っているか、本田さんたちには手に取るように分かっていた。
こうした動きを支援したいという強い思いは、オール九州に、また全国にあった。しかしそれを押しとどめたのが新型ウイルスだ。災害発生直後、現地に入った福岡県や宮崎県のまちづくりグループも、それ以降、足止めされた。東日本大震災以降、災害を乗り越えてまちづくりを推進しようとする試みは全国に展開し、相互に連携してきた。
まちづくり自体が相互に学び合うことの蓄積であった。オンラインも盛んだが、情報は届いてもまちづくりの情熱は伝わりにくい。相互の交流が制限されることはまちづくりにとって大きな痛手だ。何とか支援や学びの復活を願いたい。それにしても発症した現地武漢で、なぜ情報がきちんと開示され、ウイルスが封じ込められなかったのか、かえすがえすも残念だ。