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ポスト・コロナ社会の農山漁村

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年6月8日

明治大学農学部教授 小田切 徳美(第3122号 令和2年6月8日​

新型コロナウイルスによるパンデミックは、中心を北半球から南半球へと移しながらも、未だにその勢いは衰えていない。他方で、国内では、ポスト・コロナ社会をめぐる議論が活発化している。

その中で、東京圏一極集中構造に反省が生まれ、無条件に分散型の国土形成が進むという予測がある。もちろん、筆者もそれを望んでいるが、必ずしも楽観視していない。そこには、2つの理由がある。

1つは、今回の事態が進む中で、感染者-非感染者、医療関係者-非関係者、若者-高齢者、帰省者-ふるさと住民など、縦横の分断と対立を形成されたことである。いくつかの県による、県境での流入者の検温とそれへの反発は対立を象徴する。

このように、さまざまに生じる分断の修復に時間がかかり、地域間対立はポスト・コロナ期に続く可能性もある。したがって、地方サイドには、「コロナ疎開」の自制を求めたことへの丁寧な説明と同時に、不安と不満が累積する大都市住民への積極的な対応が求められる。

そのイメージを体現するものとして、例えば、鳥取県智頭町では、著名な「疎開保険」(災害時に町への避難を保証するもの)の加入者に対して、「心の疎開プロジェクト」として、メッセージとともに町内産の米や加工品等を送った。しかし、それは「疎開保険」という、日常的に都市住民とつながる関係人口づくりの仕組みがベースとなってはじめてできる対応であろう。

2つは、地方移住が進むとしても、そのタイプが変化する可能性もありうることである。コロナ不況で顕在化する経済的格差のもと、富裕層が、感染リスクが小さい地方圏に移住し、オンラインの仕事と生活を続けることも考えられる。アメリカなどで見られる、いわゆる「ゲーテッド・コミュニティー」が、住民との日常的交流を避けられるように設計されるかもしれない。そこには、農山漁村の人々や地域資源、そしてその結合の中で実践される「地域づくり」、さらにそれと連携する関係人口などは、むしろ不要な要素とされてしまう。

前者の危惧を乗り越えるのは、関係人口づくりをベースとする都市農村共生社会の追求であり、後者の動きへの対抗力は開かれた地域づくりによる内発的発展への接近であろう。

つまり、ポスト・コロナ社会の農山漁村を期待されているようなものとするためには、今まで以上に地域での地道な取組が求められているのである。