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「役場が遠くなった」ということ

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年3月23日

新学院大学名誉教授・とちぎ協働デザインリーグ理事 橋立 達夫(第3113号 令和2年3月23日​)

1月に全国町村会の研究会委員として、平成の合併を行った旧町村の現状と課題を見るための調査に加わらせていただいた。どの地域でも、合併後すでに14~5年を経て、合併の後遺症は収まっているように見えた。「合併後、ハード面は充実した。とくに道路の整備が進んだ」、「合併で観光のコンテンツが増えた」、「合併直後に消防署ができ、救急搬送体制が整った」といった肯定的な意見を聴くことができた。しかし一方で、平野部の大都市と合併した地域では、「市役所内で森林政策や過疎債の話が通じない」などの悩みも聴かれた。

さらに、以下のような深刻な課題が見えてきた。合併後、旧町村の役場は「支所」となり、当初はいくつかの課が置かれ、支所長も部長職であった。しかしその後、支所長は課長職となり、業務も人員も縮小されて地域事務所としての機能しかなくなっている。その結果、地域は本庁の縦割り行政の中から地域横並びの事業配分を受けるだけになった。もちろん地域選出の議員の数は激減し、当初設置された「地域審議会」もうまく機能せず、ほとんど開かれなくなっている。要するに、旧町村地域の将来を総合的に考える体制が失われているのである。

また、合併前の町村職員から合併市の職員となった方からは、「小さな町村では当たり前だった、住民と役場職員のお互いの顔が見える関係から、顔が見えないことを前提とした行政への移行が難しかった。顔の見える行政の良さを改めて感じている」という声も聴かれた。支所の職員が広域人事となり、「顔見知りや地域のことを知っている人、気軽に相談できる人が居なくなった」という住民の意見もあった。

「地域の将来を考える体制の喪失」、そして「人の顔の見える行政からの変容」。合併後の問題として、「役場が遠くなり不便になった」とよく言われるが、それは単なる物理的な距離の問題ではなく、根本的な行政の形の変容の問題である。そして、そう考えれば、それは旧町村のみならず合併市全体、ひいては全国の自治体内にひそむ問題でもあろう。