ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > コラム・論説 > 古道と果無集落

古道と果無集落

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年3月2日

神戸芸術工科大学教授・東京大学名誉教授​ 西村 幸夫(第3111号 令和2年3月2日)

先日、奈良県十津川村果無の集落を再訪する機会があり、小さな変化に嬉しい驚きがあった。ここは紀伊半島の最奥部、果無山地の地名の由来となった集落である。「はてなし」とは驚くべき地名のように思い、かつて訪れたことがあった。10戸足らずの尾根沿いの集落を貫くように熊野古道小辺路の尾根道が通っている。今では世界遺産になったこの古道に向かって民家の縁側が開いており、通りの向かい側には同じ家の離れがある。個人のお宅の中央を古道が抜けているのだ。公道とか敷地とかという発想が生まれる前から存在した集落なのだろう。そこに最近まで名物のおばあちゃんが佇んで、来訪者を迎えてくれていた。

世界遺産になって以降、集落周辺に花が植えられるようになったそうで、そうした小さな変化に嬉しい驚きがあった。道標も整備され、山奥の小さな集落と世界とがこういう形で結びつくのだと感じ入った。尾根道はとても見晴らしがよく、遠くの山並みが幾重にも重なって見えている。巡礼者も生活者もこうした風景を見ながらこの古い道を上ってきたのだろう。

集落の縁には村のコミュニティバスの小さな停留所があり、「世界遺産石碑前」とあった。時刻表には1日上下2便ずつ、いずれも月曜日のみ運行とある。一方は十津川温泉行きで、もう一方は奥果無行き。果無でも驚いたのに、はてなしに奥があるとは・・・十津川村の奥行きの深さにまた驚かされた。

熊野の山は信仰の山である。ただ、この信仰の山は単なる巡礼の目的地ではない。自然の中の道行き自体が心身を清浄にしてくれるという自然と一体となる道である。

そうした日本固有の古道と壮大な山並みの光景と鄙びた集落の面影と、さらには必要最低限の生活のニーズを満たしてくれる小さなバス停とから成る果無の風景の不思議な調和に、しばし見入ってしまった。こうした集落の存続を心から願わずにはいられない。