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農山村と若者たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年9月9日

民俗研究家 結城 登美雄(第3093号・令和元年9月9日)

農山村の老人たちが嘆いていた。「過疎だ、限界集落だ、地方消滅だと、現場知らずの都会のインテリやジャーナリズムは勝手に騒ぎ立てるが、ならばどうするかの答えも出さずに、いい気なもんだ」と不満の表情。思えばこの国の地域振興策は、実際にその土地を生きてきた人々の声に耳を傾けたものは少なく、現場から遠い人間によって立案推進されてきた。ならば現場に寄り添った地域づくりとはどんなものか。その一例を紹介したい。

新潟県上越市の通称「桑取谷」と呼ばれる中山間地域を活動拠点とし、住民80人が発起人となって2001年に発足したNPO法人「かみえちご山里ファン倶楽部」。山村の住民主体のNPOでありながら、そこに全国から移住してきた若者9人が常時関わり、住民の知恵と経験と若者たちの活力で集落再生を実現している。若者たちは十数年にわたって山里の自然・文化・産業などの身近な資源とその活用術を徹底調査し、それを新しい価値に育てるべく作業を積み上げてきた。具体的には廃校を環境学校として再生し、その管理と運営、小正月や神楽など地域民俗行事の復活と支援、棚田の保全、古民家の修復と活用、高齢世帯の雪かきや冬場の買物代行等々、多彩な展開をしている。むろん若者たちは迷い悩みながらの活動だった。しかし村人の暮らしにはしっかりと寄り添った。若者たちは言う。「村を過疎化・高齢化など負の言葉だけでとらえないでほしい。たとえ人口は少なくても、ここは人間が生きる生活と人生の場。たしかにここは都会と比べて買う力は弱いが身近な資源を生かす多彩な技と知恵がある。地域資源はそれを生かす力がなければ資源にならない。資源を生かし、作る力を身につければ、収入は少なくても充実した農山村生活を楽しく送れるのではないか。私たちはここの高齢者からそれを学び身につけて生きてゆきたいのです。」老人たちの村を生き抜く力が若者たちの希望になり、若者をきたえる老人たちの笑顔が輝いている。