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持続可能な社会とは何か~農山漁村の役割を考える~(後編)

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年3月4日

特定非営利活動法人ECOPLUS代表理事 早稲田大学文学学術院教授、立教大学客員教授

髙野 孝子(第3072号・平成31年3月4日)

新しい豊かさ

人が真に欲するもの。それはモノではないのかもしれない。

持続可能な社会づくりのためには、人々の価値観の転換が必要、とよく言われてきた。先人たちの努力のおかげで今は基本的に、自分が生きたい場所で、やりたい仕事をすることが可能になった。それは自分のチョイスであり、どこでどう生きるかは価値観に基づく。

人は何のために生きるのか。食べ物や水といった、物理的に必要なものの充足は前提だが、人が真に欲するものは何か。

前編(3071号掲載)で潮目が変わった、と書いたのは、「モノ」や「貨幣」ではないものを求める若い人たちを見ているからだ。

東京で育ち英国で修士号を取り、マーケティングリサーチの会社に勤務していたKさんは、仕事は刺激的だったというが、それが社会の中でどんな意味をもつのか、何か腑に落ちない思いがあり、第一子が生まれたことをきっかけに生き方を考え直した。食べ物が人の豊かさや幸せにつながっていると確信し、自ら人々の活力になる食べ物を作りたいと、愛媛県大三島に家族で移住。数年かかって、地元のみかんから独自に摂った天然酵母を使ったパンを作る職人になった。手間と時間がかかり、わずかな量しか作れないという。収入は減ったし、立ったままで体にはきつい仕事だそうだが、とても楽しく、満ち足りて幸福だと話す。母親が病に倒れた際には、体にいい材料を使い、病気回復の願いをこめたパンを自分の手で作り、それを食べてもらえたそうで、そのことを嬉しそうに話す姿は、とても誇らしげだった。

Aさんは岐阜県境に位置する福井県池田町で育った。人口2、600人、高齢化率43%の山村だ。Aさんは小学生の頃から「何にもない」この町が嫌で、「大きくなったら絶対出てやる」と思っていたという。そして実際、京都に行って働き始めると「あれ、ここも何にもない」と気づく。むしろ「池田町にあるもの」の価値が見えてきた。そして今は池田町に戻り、いくつかの仕事を引き受けながら夫婦で暮らしている。お年寄りからは活躍を期待する言葉をかけられ、山での猟もこなす。

Aさんが子どもの頃に思った「何もない」は、これまで農山漁村で育った、恐らく多くの子どもたちが思うもので、コンビニやおしゃれなお店、大型ショッピングモール、ゲームセンターや映画館、遊園地などの遊び場やスポーツセンターなどのこと。一方、京都で気づいた「何もない」は、Aさんが大事だと思っていたもの。推測ではあるが美しい山河や田んぼの光景、自然からの幸、人々の近さと優しさなどではないだろうか。都市部では命がどう支えられているのか見えにくい。何かあった時には自立できない脆弱さがあり、農山漁村で地に足をつけて暮らしていた者からすれば不安だらけの環境だ。

上記二人とも、自分にとって大切なことを見出している。自分の幸せは何であるかを見据え、一人は未知の環境に移って新しい仕事を作り、一人は慣れた町で暮らしを組み立てている。彼らが欲する豊かさは、金で交換できるものではない。そして彼らの志向の先には、持続可能な社会がある。

農山漁村には、新しい豊かさがある。これまでもずっとあったのだが、消費の豊かさで満たされてきた時代の先に、改めて確認する新しさだ。消費社会とは異質の歓びと幸福。それに気づくかどうか、それを幸せと感じるかどうか、これが一人一人の価値観に関わってくる。時代の中で変化すると同時に、農山漁村が働きかけることができる部分だ。持続可能な社会を求める上ではぜひ働きかけてほしい、それが今必要とされていると私は思っている。


農山漁村と持続可能性

農山漁村は学びの宝庫だ。自然に近く仕事をしたり、暮らしてきた人たちはたくましく、自然と共に生きる知恵や技を持っている。彼らの哲学や知恵には、持続可能な社会を実現するためのヒントがたくさんある。何よりも、価値観に触れる大切な教えがある。

私は代表を務めるNPO法人のプログラムを、南魚沼市の農山村で30年近く実施してきている。学ばせてもらうばかりだったが、2007年からは、「学び」を交流人口の増加や、暮らす人たちの喜びや誇りなど、地域づくりに活かす目的での事業も実施してきた。大学の実習という形でも、各地の農山漁村を訪問させてもらっている。若い人たちにはそこでの経験を通して、価値観を問い直したり、これからの社会づくりに大切なことに気づいたりして欲しいと願う。

2010年には、農山村の教育力を研究する調査を行った。農山村での1泊2日のプログラムを4回実施し、村の外からの来訪参加者と受け入れ地元住民らを対象にアンケートと聞き取りを行い、分析した。

その結果、農山村に息づく「人々」と「暮らし」には大きな教育的価値があることが明らかになった。来訪者の学びは、「ひと」と「自然」、およびそれらが重なる部分に分類できた。それらが「農・暮らし・歴史」に関する学びの土台になっており、そこから「哲学・価値観」にまでつながっていた。(*図参照)つまり、わずか1泊2日でも、参加者の価値観の変容につながりうるということだ。プログラム後の行動と意識には、「環境を考慮したライフスタイル」や「食についての意識変化」が見られ、持続可能な社会づくりに関連するコメントが多くあった。

受け入れ住民の方も、自分たちについての見方を新たにしたことがわかった。60歳代以下の人たちは、集落や環境についての知識をさらに学びたいという意欲を示した。来訪者と一緒に活動することが、自分たちが暮らす地域への興味をかきたてるきっかけとなった。

ここ何年か、大学の演習として南魚沼市の栃窪集落におじゃましている。栃窪は標高550mほどの山地に広がる棚田の集落で、2018年5月時点での住民は約150人50世帯で、高齢化率は約40%だ。

6月に1泊2日で、田んぼの草取りを中心に体を動かし、農村の今や、農業をめぐる政策について現場の人たちから話を聞いた。このわずかな時間の体験で、学生たちはとても多くのことを学び、価値観に触れる機会を持った。

いくつか、彼らの声を記してみる。

「私がこの実習でおもったのは、農村の方が「足るを知る」生活を送ることができる可能性が高いということである。自分で作るからこそ、食料の有限性を知っている。都会に暮らしていると、農業をしている人がいるということが遠く感じられ、どこでも積まれた食料を見てお金を払えば無限に得ることができるものと考えやすい。それゆえに本当に必要な物でなくてもあらゆるビジネスの広告に踊らされ、終わりのない消費行動に明け暮れるのである。」

「豊かさの捉え方に変化はあったかという問いについて、私はびっくりするくらい変わりました。実習前はお金=価値のあるもの、幸せ、豊かさという考えがありましたが、実習を通してお金で買えないもの(自然や人とのつながりなど)への価値や豊かさに気付かされたと同時に、幸せな生き方ってなんだろうと考えるきっかけにもなりました。」

わずかな時間であっても、都市で生まれ育った若い世代が農山村に触れることの意義を読み取ることができる。またこの演習をきっかけに、サステナビリティ分野での専攻を決めたものは多く、2年経ってから、この演習を通して「自然に対して考え直すことや身近なところでの社会問題等により関心を持つことにつながりました」と書いてきた者もいる。20歳前後に深く体験したことは、その後の人生や価値観を左右する可能性がある。これから様々な影響を受け続けるとしても、彼らのように農山漁村に触れた経験を持ち、持続可能性を一度でも意識した人たちが、今後様々な職業に就くことは、日本の未来にとってプラスだと思う。


農山漁村の強み

国境を越えた競争と格差の社会では、弱者は切り捨てられがちだ。農山漁村の地域では歴史的に、飢饉の際や、何かで金策が必要な人がいた際に、支え合う仕組みを持って全体で生き延びてきた。農山漁村の人々は都会にはない地縁血縁のしがらみの中で、だからこそ培われる許容力や信頼感、安定感を持っている。人と人が、ある種の距離感を保ちつつも、近しい信頼関係で結ばれ助け合っているのが地域だ。それが安全保障であり、豊かさでもある。

地域には身体性がある。自分が食べるものを自分で作ったり、顔が見える人たちが家から見える場所で作ってくれたものを食べたりする。水や森林、浄化される空気など、自分を物理的に支えてくれるものが全部身近にある。その身近さが身体性であり、身体性を伴って関係を築いている場所が自分のアイデンティティを構成することになる。

土地との乖離や身体性の欠如という、グローバリゼーションの負の部分を、農山漁村では回復することができる。これはつまり「生の実感」につながるものだ。

現代の課題であるエネルギーや水、廃棄物処理において、化石燃料を使い大規模化する都市型の持続不可能な仕組みではなく、創意工夫をしながら、そこならではの小さな循環を作る試みが農山漁村でできないだろうか。衣食住、全てにおいて循環型、自立型を目指すのは、農山漁村だからこその優位性やとっかかりもあるだろう。

都市はグローバル経済だけで動いている。破綻したら全く機能しないリスクがある。農山漁村には、グローバル経済だけでなくローカル経済もある。自然や生態系とバランスを取りながらの、持続可能な循環型経済価値だ。人や自然との関係性で成り立ち、関わるほど無限大の豊かさを享受できる。自然とうまく共生することで、安全で健康な暮らしを実現しやすい。このもう一つの経済を現代流に作り直すことも、農山漁村や自治体が今からできることではないだろうか。

それは未来に向けて、意味あるものを創造しようということだ。そうしたことに胸躍る人たち、そうした価値観を持った人たちが集まれば「世界に通用する競争力」にもなるかもしれない。ただし、それはこれまでのグローバルマネーシステムにおける競争ではない。異なる指標を持つものだ。何より農山漁村はその現場を持っている。


希望に向けて

農山漁村の価値や意義は、多くの人たちが様々に語っている。そして農山漁村に暮らす人たちはその価値を分かっている。なのになぜ、いまだに言い続けなくてはならないのか。

地球社会全体が生き延びるために、もっと多くの人たちの価値観の転換が必要だからだ。直接的で深い体験が、最も心に響く。だから語り続け、体験の場を作り続けなくてはならない。

とは言え、その場にしっかりと暮らしがあることが前提だ。

集落は関係性で成り立っていて、「暮らし」は自分のことだけでは済まされない。家族に加えて、地域の作業があり、かつ地域の課題解決にも役割を期待される。草刈りなどの協働作業やゴミなどの衛生環境、農業に携わるなら自分の山や水のことも考えなくてはいけない。実に様々な責任がある。

場所や時間、人々と関係性を持って地域に暮らすというのは、そうした「場所への責任」を受け入れる覚悟を持っているということだ。その覚悟を自然体で受け止めつつ、自然と近く暮らし、共に生きる知恵と技を身につけた高齢者たちは、真に魅力的だ。

農山漁村に暮らすことの本質的な歓びを、豊かさや幸福として感じる価値観が育つ機会を作っていかなくてはならない。集落での暮らしは引き受ける覚悟を伴うもので、若手にはその覚悟は一見重すぎるかもしれない。けれども、実際に暮らし、見えてくれば不安はなくなるものだ。

本論の前半、人と社会の持続可能性には、「希望」と「コミュニティのつながり」が大切と書いた。

希望を持っている限り、農山漁村は続いていく。そして農山漁村にある幸せや喜びに気づいてやってくる人たちも、希望となるだろう。すでにそうした価値観を持っている若い人たちは少なくない。丁寧に暮らすことの価値、そうしたものへの憧れを持つ人たちも増えている。

都市中心で大量消費をするだけだった日本社会を、持続可能な社会に変革する場として、日本各地の農山漁村が持つ力をぜひ発揮して欲しいと願う。

髙野 孝子(たかの たかこ)

髙野 孝子(たかの たかこ)

エジンバラ大学Ph.D(野外・環境教育)、ケンブリッジ大学M.Phil(環境と開発)、早稲田大学政治学修士。サステナビリティ、野外・環境教育、地域社会学、分野横断的な環境学を専門とする。

新潟県在住。ジャパンタイムズ報道部記者を経てフリーランスに。90年代初めから「人と自然と異文化」をテーマに、犬ぞりとカヌーによる北極海横断やミクロネシアの孤島での自らの活動を環境教育の素材とするプログラムを地球規模で展開。「地域に根ざした教育」の重要性と「農山村は学びの宝庫」を訴え、07年より新潟県で「TAPPO南魚沼やまとくらしの学校」事業を開始。2010年7月公開の龍村仁監督「地球交響曲第7番」に、アンドルー・ワイル博士らとともに出演。社会貢献活動に献身する女性7名に向けた「オメガアワード2002」受賞(緒方貞子、吉永小百合、中村桂子などと共に)。2016年春期早稲田大学ティーチングアワード受賞、2017年ジャパンアウトドアリーダーズアワード(JOLA)特別賞。著書に「野外で変わる子どもたち」(情報センター出版局)、「PBE地域に根ざした教育:持続可能な社会づくりへの試み」(海象社)ほか多数。

日本学術会議KLaSiCa小委員会委員、新潟県環境審議会委員、千代田区地球温暖化対策推進懇談会委員、日本キャンプ協会理事、日本環境教育フォーラム理事、財団法人日本アウトワード・バウンド協会評議員、日本自然保護協会参与など。