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標茶高校生がグランプリ-いい川・いい川づくりワークショップ-

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年1月14日

早稲田大学名誉教授 宮口 侗廸 (第3066号 平成31年1月14日)

昨年12月の1日2日と、帯広での<いい川・いい川づくりワークショップin十勝>に参加した。この催しは、平成8年に7月7日が川の日に制定されたことを受けて、その記念行事として<川の日ワークショップ>という名称で始まり、いい川とはどんな川かを議論する手づくりの会として、全国の川で活動する団体の発表とそれを称える場として、21回を数えるに至った。筆者はこの十数年実行委員長として、毎回、川に対する市民の熱い思いに心洗われている。ぜひこのような集まりがあることを知っていただきたい。

9月開催の予定が北海道胆振東部地震で中止され、現地実行委員会の尽力によってあらためて開催されたものであるにもかかわらず、36団体の参加を得ることができた。全体の活動発表の後、選考委員の公開討論を経て入賞、さらにグランプリ・準グランプリを決めるのが通例であるが、今回のグランプリは、釧路川流域の標茶町にある北海道標茶高校の生徒の軍馬川での活動に決まった。

演題は「川とひととをつなぐ場をわたしたちの高校で」であった。驚くなかれ、標茶高校の敷地は255haと広大で、その中に自然そのものと言っていい軍馬山(約180m)があり、敷地の中を軍馬川という小さな川が釧路川に注いでいる。生徒たちは、小さな湿原から源流までの道を枕木で整備し、水質や植生の調査を行っただけではなく、自然満喫ツアーとして地元住民や管内の校長先生を案内し、さらに中学生には、湿原環境の学習と水質調査の体験を指導してきた。ドローンによる動画も作成し、住民たちもあらためて貴重な水源の景観に感じ入ったようである。

標茶高校は、明治18年に釧路集治監が置かれた場所にある。典獄(所長)のあまりにきびしい作業環境の訴えや周辺整備の進捗を経て明治34年に廃止され、機能は網走分監に移された。あの網走監獄の本格化である。そのあとには明治41年に陸軍の軍馬補充部の支部が置かれ、もともとの馬の産地でますます軍馬の生産に力が入れられるようになる。こうして軍馬山・軍馬川の名が生まれた。

この欄で過疎地域で存在価値を発揮している高校をいくつか紹介してきた筆者にとっても、貴重な自然と歴史を多くの世代に伝えようと頑張る標茶高校生の活動に出会い、この上なく嬉しい2日間であった。