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「百年の森林構想」の10年

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年12月17日

ジャーナリスト 松本 克夫(第3064号 平成30年12月17日)

岡山県の北東隅に位置する西粟倉村が「百年の森林(もり)構想」を掲げてから10年経った。50年前に木を植えた人々の想いを大切に受け継ぎ、あと50年、村ぐるみで立派な百年生の森林に育てていこうという構想である。志の高い取組だから、先行きを楽しみにしていたのだが、再訪して、想像以上の進み具合に驚かされた。

森林所有者と10年間の協定を結び、森林の管理を村が請負う仕組みが同構想の柱だが、すでに目標の半分ほどの700人以上の所有者と協定を結び、集約した森林は1500ha近い。もう一つの柱は、木材の加工・販売を担う村と民間共同出資の株式会社「西粟倉・森の学校」の設立。Iターンの若者を集めた「森の学校」は、置くだけで無垢の床にリフォームできる「ユカハリタイル」の商品化に成功したが、これに刺激されて、移住してきた若者たちによる木工やエネルギーなどのローカルベンチャー企業が次々に誕生した。30社以上の起業で、180名の雇用が生まれているという。お陰で、人口1500人足らずの村は近年、転出入が釣り合うようになり、子どもの数も増えている。

成果を誇ってもいいところだが、青木秀樹村長は、「この構想を10年続けて、私たちは山を知らなかったことに気が付きました。山が動いていない状態を見て、林業を衰退産業と決めつけていました。山は力を持っています。木の消費者は家を建てる人のことと思い込んでいましたが、木のタイルなら若者も木の消費者になれます。市場の見方も間違っていました」としきりに反省の弁を口にする。

「百年の森林構想」のそもそもの出発点は村が自立の道を選んだこと。同村長は「村の95%が山林ですから、これを動かさないで村が生き残れるはずがありません。合併しないと決断したことで、火事場の馬鹿力が発揮されました」という。自立の精神が蘇れば、山が持つ本来の力も引き出される。