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「丁寧に暮らせる」地域とは?

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年10月8日

農業ジャーナリスト・明治大学客員教授 榊田 みどり(第3056号・平成30年10月8日)

昨年、宮崎県高千穂町を訪れたとき、中山間地にある集落営農組織に就職した20代の女性に出会った。都市部の非農家出身だが、農業がやりたくて農業大学校に進み、有名な大規模野菜産地の農業法人に2年間勤めた後、高千穂町にやって来た。

「最初から集落営農のある地域で就農したかった。そのためには真逆の農業も見ておきたくて、最初は大規模法人に就職したんです」と言う彼女は、こう続けた。

「丁寧に暮らしたいんですよね」

今春、1年間の農村派遣ボランティア「緑のふるさと協力隊」への参加希望者の面接官を務めたときにも、首都圏出身の20代の女性から同じ言葉を聞いた。

「丁寧な暮らし」とは何か。反対語は「雑な暮らし」だろうか。高度成長期が去り、リーマンショックを経て、今も15~24歳の派遣労働者が240万人。好景気・人手不足と言われながら減少率は低い。正社員になっても、ブラック企業よろしく膨大な仕事に追われる。「今だけカネだけ自分だけ」に終始し、暮らし方など顧みる余裕もない。

もっと精神的に豊かに暮らせる場があるのではないか。とくに東日本大震災後、そんな価値観の若者に会うことが増えた。消極的な現実逃避ではない。実際、彼女たちは実に能動的に動いている。「今はアンテナの鋭いヤツほど田舎に向かう」と言ったIターン者もいる。

あなたの町は彼女たちに応える魅力があるだろうか。Iターン者の多い農村に行くと、必ずといっていいほど出会うのは「人」の魅力だ。暮らしに必要なものを自ら作る魅力。自分だけでなく地域の人々や次世代のために何ができるか考えエネルギーを割いている人々の魅力。コミュニティの力といってもいい。

冒頭の女性は「集落営農には農業の魅力が詰まっている」と言った。「農業の成長産業化」以上に大事なのは、かつてはどこの農村にもあったその魅力と誇りではなかろうか。