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「地方の時代」映像活用の地域づくり

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年9月10日更新

民俗研究家 結城 登美雄(第3053号・平成30年9月10日)

戦後日本が押し進めてきた中央集権的工業社会の推進が大きな歪みと行き詰まりをみせていた1970年代後半、それを打破し人間復興の社会を構築するために神奈川県知事長州一二氏らによって提案された、地方と地域を新しい目で見直すためのキーワード「地方の時代」。そしてそれがメディア・行政・市民の共同連携によって38年間実施されている「地方の時代」映像祭。私もこの映像祭の審査に関わり今年で14年目になる。今回この欄を借りて映像祭のことに言及するのは、5千に及ぶ映像作品の活用が、これからの地方の地域づくりに大きな示唆と刺激を与えるのではないかと思うからである。これまでの膨大な作品群を分析した映像祭のプロデューサー、市村元氏によれば「これらを俯瞰する時、そこには国家から見た視点とは明らかに違う、地方、地域でしか見えないもの、弱きもの、小さき民の視点からしか見えないもの、庶民の暮らし、生活者の同時代史が広がっている」という。(『映像が語る「地方の時代」30年』)(岩波書店)

さらに作品群は5つにグループ化できるという。

①国の産業政策、巨大開発に翻弄される地域の姿を見つめ、その矛盾を問う作品群。 
②地域に内在する課題に、地域自らが懸命に対応し、内発的発展をめざすもの。 
③弱きもの、差別されたものの視点で時代を問うもの。 
④戦争や原爆の証言を今に伝えるもの。 
⑤地域に生きる人々の暮らし、伝統文化、しきたり、家族愛などを静かにみつめた作品。

時に行政の人々は先進・成功事例を手本に地域づくりを進める傾向があるが、地域づくりとは現場へ足を運び、そこに生きる人々の声に耳を傾けることからはじまる。「地方の時代」映像祭の作品を住民と行政が一緒に視聴し、その問われているテーマについて本音の話し合いをすることが、地域づくりの、もうひとつのはじまりにならないだろうか。