農業ジャーナリスト・明治大学客員教授 榊田 みどり(第3042号・平成30年6月4日)
ヒナは卵から孵化するとき、内側からクチバシでコツコツと殻をつつく。親鳥はそれを待って外側から殻をつつく。内側のヒナと外側の親鳥が同時につついて初めて殻が破れる。「啐啄同時」という禅宗の教えだ。
この言葉を私に教えてくれたのは、奈良市の中山間地、旧五ケ谷村で「プロジェクト粟」を展開している三浦雅之さんだ。約20年前に旧五ケ谷に移住したが、もともとは京都生まれのヨソ者だ。
同プロジェクトは、NPO法人「清里の村」が県内在来品種を調査・発掘し、集落住民で組織する五ケ谷営農協議会がその在来種を栽培。五ケ谷村で農家レストランなどを運営する㈱粟が、6次産業化につなげるプロジェクト。三浦さんは、この3組織連携の扇の要としての役割を担っている。
私が三浦さんに最初に会ったのは10年前。当時30代の彼は“6次産業化の旗手”として脚光を浴びていた。昨今、農村に入り込み農業ビジネスをひとつ成功させると、そのビジネスモデルを武器にコンサルタントに転身する起業家が多い。しかし彼は、舞い込むコンサルティングの誘いを断り、一住民として地域のリーダーたちと信頼関係を醸成し、しっかり地域に根を張る事業展開を大事にしてきた希有なひとだ。
その三浦さんがこの言葉を大切にしていることに意味深さを感じる。集落の長老たちから期待された「ヨソ者・バカ者」としての役割を自認しながら、地域の人々のテンポに寄り添い、地域リーダーたちの意見を聞き、「啐啄同時」のタイミングを計りながらじっくりと歩んできたにちがいない。
これは、行政職員にも重要な言葉だと思う。どんな立派な政策でも、実践する主役は、行政職員ではなく住民だ。内発的なエネルギーがないのに外側から殻をつつくだけではヒナは孵らない。拙速すぎれば殺してしまう。時間をかけて住民の内発性を引き出す(“その気にさせる”)努力こそ、地域づくりで最も大事ではなかろうか。