サイクリング試走会には全国のサイクリストが隠岐の島町に集結
3030号(2018年2月12日) 隠岐の島町長 池田高世偉
隠岐の島町が位置する島後は、島根半島の北東約80kmの海上に位置し、隠岐諸島の中で最も大きな島です。島は、ほぼ円形に近い火山島で、隠岐の最高峰標高608mの大満寺山(だいまんじさん)を中心に500m級の山々が連なり、これに源を発する八尾川(やびがわ)、重栖川(おもすがわ)流域に比較的広い平野が開けています。周辺の海岸全域は、大山隠岐国立公園に指定され、雄大な海洋風景や急峻な山並み等が風光明媚な景観を醸し出しています。
自然の良港を持つ隠岐は、日本海航路の中継地点として栄えました。江戸時代、西郷港は、蝦夷から上方までを結ぶ北前船の風待港として、多くの船で賑わいました。
明治初頭には、当時の島後の庄屋や神官が中心となり、隠岐騒動と呼ばれる島民の蜂起が起こりました。81日間という短い期間でしたが、松江藩の統治から独立し、住民による自治政府が樹立されました。
隠岐は、大陸の一部→湖の底→海底→半島→離島と、地球の動きによってその姿を何度も変えてきた場所で、大地の成り立ちをうかがい知ることができる地質資源や、世界的にも珍しい生態系を見ることができます。島前3町村とともに「隠岐ユネスコ世界ジオパーク」として、ダイナミックな景観と歴史を楽しむことができます。
隠岐高校は平成29年に105年目を迎えた歴史のある高校です。しかし、今から50年前の昭和47年には約670名もの生徒がいましたが、10年前の平成20年には約320名と生徒数が半減し、今年度は223名にまで減少している状況です。少子高齢化による自然減だけではなく、子育て世代の人口流出や、希望する進路を実現できる環境を求めて島外へ進学する生徒の数も大きく影響しています。今後さらに生徒数が減少し、学級減が進めば、教員数も減り、勉強や部活動などの生徒の教育環境が、著しく悪化するおそれがあります。
そこで、隠岐高校と隠岐の島町役場をはじめ関係団体が連携して高校の魅力増進と活力ある学校づくりを実現し、入学生の増加を目指すため、平成23年度に「隠岐高校魅力アッププロジェクト推進協議会」を立ち上げました。また、翌年度には県の事業である「離島・中山間地域の高校魅力化・活性化事業」にも取り組みました。
生徒募集を島内生徒だけではなく全国に広げ、平成27年には魅力化コーディネーターを配置するなど、島内外の生徒募集に力を入れ始めていた頃、隠岐の島町の「こども議会」において、町の中学生が町長に隠岐高校の生徒数増加を目的とした「グラチルターン」の提言を行いました。
この「グラチルターン」とは、県外に住む隠岐在住者のお孫さんが隠岐高校に入学することによって、生徒数が増えるとともに、祖父母の様子を親に報告できるのではという提言でした。隠岐の島町教育委員会はすぐにこの提言を取り入れ、翌年には「グラチルターン」促進のために補助金を創設しました。対象は県外から隠岐の島町内の祖父母宅に居住、または隠岐高校清明寮に入寮した生徒で、住民票を隠岐の島町へ移せば毎月5,000円の補助を受けられるというものです。
そして、この制度の周知のためにチラシを作成し、新聞の折り込みに入れたり、県外に住む隠岐出身者の方たちには、東京・大阪・名古屋などにある隠岐出郷者の会などで配布したりしました。また地元のウェブ商店のダイレクトメールにも同封するほか、隠岐の島町主催で県外の方が多く参加するウルトラマラソンの前夜祭では、県外出身の生徒による「グラチルターン」の紹介をしています。
今後も、継続して隠岐の島にゆかりのある生徒の募集に力を入れていきたいと思います。
孫と暮らす「グラチルターンプロジェクト」
平成26年9月に自然・歴史・文化などの魅力が認められユネスコの世界ジオパークに認定された本町でありますが、昭和の離島ブーム以来、観光客は減少傾向にあります。
島の外周はおよそ80kmと長大な距離があり、観光スポットや集落の多くは、外周道の沿線に点在しています。その点と点を結ぶようにバスやタクシー、レンタカーによる周遊観光が行われてきましたが、誘客には限界が見えるようになってきました。
また観光産業は、島における主要産業の一つである農林水産業との結びつきも弱いので、結果的に、産業として成り立ちにくく、職がない若者の流出を助長し、急激に高齢化を進めるとともに地域の活力をも失いつつあります。
島の自然・歴史・文化に世界レベルの価値があり、官民問わず観光関係団体も観光振興の取組を試行錯誤しているにもかかわらず、島の価値を生かした観光誘客が効果的にできていない現状のなかで、何かを仕掛け、誘客につなげる力量が本町には問われ続けています。
樹齢800年の巨木「岩倉の乳房杉(ちちすぎ)」
ロマンティックで奇跡の一瞬「ローソク島」
観光地を結ぶ長大な道路は、国道・県道が多く、幅広で整備が行き届いています。過疎化が進む島であることも味方して交通量が少なく、信号機も少ない(港周辺以外には信号がない)状況です。
点在する観光地を結ぶ交通手段は今まで、タクシーやレンタカー、観光バスなどの自動車輸送が主でしたが、そのような過疎の賜物ともいえる本町の道路状況は、実は自転車通行に最適ではないかと考えました。
また観光産業の発展のためには、まち歩きによる滞在時間延長が観光客の消費促進に有効であることから、自転車で島ごとまち歩き(走り)してもらえば、疲弊が進む島内地域の振興につながるのではとも考えました。
そんな思いからサイクリング事業を立ち上げることになりました。
平成28年10月には、島の外周にコースを設定し、全国から参加者を募集してサイクリング試走会を開催しました。同年中に隠岐の島町としても本格的に事業を開始し、町独自のサイクリングパンフレットも発行しました。
そして平成29年には、サイクリング大会の企画やサイクルスタンド整備、サイクリスト向けツアーの造成など、総合的なPRと受け入れ態勢の整備事業を行いました。
西郷港に浮かぶフェリーの前で
海岸線沿いの道路を疾走する自転車
事業実施の過程では、予定していた補助金の不採択、実行委員会の立ち上げの遅れ、商標権問題の発生や、島ならではの自転車フェリー輸送問題、コース設定・エイド食の調整など、初めての本格的サイクリング事業を一から構築するにあたり、困難な場面にぶつかることも多数ありました。
そうした2年間に亘る過程を経て、全国からサイクリストを募集し、記念すべき第1回大会を平成29年10月に開催予定としていましたが、サイクリストを島までお招きしておりながら台風接近により無念の中止となってしまいました。
大会の実施は叶いませんでしたが、一年を通してサイクリストの受け入れを目的とした整備を進める中で、フェリー・ホテルへの自転車持ち込み、サイクルステーション整備、自転車コースの設定等の受地整備や、全国のサイクリング愛好者へPRできたことは大きな成果となりました。
事業推進のための企画・開発を行い、関係機関(行政、船会社、旅行会社、サイクリング専門家、地元民間事業者)と実行委員会を組織して受地整備を進めるとともに、「サイクリングの島」のPR手段やシンボルとしての大会の開催に向けた準備が整ったことも大きな成果といえます。
また、世界ジオパーク・国立公園の魅力、食などの地域資源を組み合わせた企画・開発に努め、サイクリストオフィシャルツアーも造成・催行し、島の存在と動線を明示することもできました。
しかし、一定の成果があったとはいえ、隠岐の島町のサイクリング誘客の取組は始まったばかりです。サイクリストの受け入れに必要なレンタサイクル、Wi-Fi、電子マネー、輸送、宿泊、体験メニューの課題解決、食の整備や関係業者、住民参画の促進など、まだまだこれからの整備、課題は山積しています。
平成30年度には、今まで実施した事業の継続はもとより、スタンプラリーの開催、年間を通じたサイクリスト向け旅行プランの販売などを計画しており、サイクリストに楽しんでいただくための取組を地道に進めてまいります。
ジオパークの島「隠岐の島町」へ是非お越し下さい。
樹齢2000年とも言われる「神木八百杉」の前で