
▲朝焼けに立ち込める朝霧
熊本県あさぎり町
3370号(2026年8月24日)
熊本県あさぎり町 企画政策課
熊本県南部、球磨盆地のほぼ中央に位置するあさぎり町は、人口約13,000人の小さな町です。日本三大急流の一つ「球磨川」が町の真ん中を東西に流れ、秋から春にかけては町名の由来でもある幻想的な「朝霧」が球磨盆地の山あいを白く染めます。本町は、この自然の恵みと一次産業の力を最大限に活かしながら、2050年カーボンニュートラルの実現と、人口減少下における地域の持続可能性向上に挑戦しています。本町が進める地域脱炭素事業を中心に、地方創生に向けた多面的な取組をご紹介します。


本町は平成15年4月、旧上村、免田町・岡原村・須恵村・深田村の5カ町村が合併して誕生しました。盆地特有の朝晩の寒暖差は、米、葉たばこ、メロン、薬草(ミシマサイコ)など多彩な農産物を育むほか、肉用牛をはじめとした畜産業も盛んで、町で生産された米は歌舞伎座内で提供される弁当などに利用され町のPRの一役を担っています。また、地域で作られる米を原料とした「球磨焼酎」は日本に4つしかない産地呼称が認められた本格焼酎・泡盛ブランドの一つとなっています。町域は南北を山地に囲まれ、南端には標高1,417メートルの白髪岳がそびえます。第三セクター・くま川鉄道が町を横断し、日本で唯一、駅名に「幸福」がつく現役の鉄道駅で知られる「おかどめ幸福駅」は町内外の人々に親しまれています。

一方で、本町を含む人吉球磨地域は、令和2年7月豪雨災害で甚大な被害を受け、エネルギーや暮らしのレジリエンス(強靭性)確保が喫緊の課題となりました。鉄道や道路が寸断され、一時的に孤立する集落も生じたこの経験を踏まえ、本町は災害に強く、地域でエネルギーが循環するまちづくりへと大きく舵を切りました。あわせて、人口減少と高齢化、担い手不足という構造的な課題への挑戦を始めました。
本町は令和4年1月にゼロカーボンシティを宣言し、令和5年4月に環境省第三回脱炭素先行地域に選定されました。テーマは「農業・畜産業の力をフル活用した農村地域脱炭素モデル」。共同提案者となったのは、地域新電力会社である株式会社あさぎりエナジーのほか、第三セクターである株式会社あさぎり商社や地元の事業者、地元金融機関を含めた七者で、官民・地域金融機関がスクラムを組んで事業を進めています。

事業の柱は大きく五つあります。第一に、戸建住宅への蓄電池付太陽光発電設備の設置(PPAモデル)。第二に、商業施設・公共施設等への同設備の設置で、令和6年度までに先行地域内において設置可能な全公共施設での導入を完了しました。第三に、地域新電力会社「あさぎりエナジー」を通じたゼロカーボン電力の小売供給。第四に、農地のうえで営農と発電を両立させる「蓄電池付ソーラーシェアリング」の導入。第五に、放置竹林由来のバイオ炭を製造し、農地に施用してCO2を貯留する取組です。

これらにより、令和7年度末時点で先行地域内に約1,960kwの再生可能エネルギー設備が導入され、約1,060トン分のCO2排出削減効果が見込まれています。この削減量は、一般的なご家庭約560世帯が1年間に使う電気から出るCO2の量に相当します。さらに、自家消費型の太陽光と蓄電池の組み合わせは、令和2年7月豪雨のような災害時にも電力を確保する「非常時電源」となり、町有施設や福祉施設のレジリエンス強化につながります。バイオ炭は、令和6年度の実証試験で一日あたり500〜600kgの製造実績を確認し、令和7年度から関心ある農家とともに試験的なほ場散布を始めています。このバイオ炭の取組は、有機農業の推進にも生かしていく予定です。
本事業の最大の特色は、再エネ導入を単なる「環境対策」にとどめず、町外に流出していたエネルギー代金を地域に取り戻す「域内経済循環」の事業として組み立てている点にあります。発電・小売・PPAの中核を担う「あさぎりエナジー」は地域に根ざした事業体であり、得られた収益は再投資されて、新たな雇用や事業機会を生み出していきます。一般戸建住宅向けPPAについても令和6年度から町広報紙で募集を始めたところ、幅広い世代の世帯から問い合わせをいただき、町民の皆さまの関心の高さを感じています。
脱炭素は遠い未来の話ではなく、日々の暮らしと農の現場をつなぐ、すぐそばの取組であることを、本町は丁寧に伝えていきたいと考えています。

日本で使用される漢方薬の原料となる生薬は、国内で使用されるものの多くが中国産で占められており、世界情勢に影響される輸入コストや供給リスクが課題となっています。その課題解決のために、国産で安定して生薬を供給できる産地づくりが全国で進められています。本町もその有力な産地の一つです。
本町が取り組んだ企業誘致プロジェクトを発端に、漢方薬の原料となる薬草「ミシマサイコ」の試験栽培がスタートしました。その後、株式会社ツムラとの契約栽培が開始。平成27年には「あさぎり薬草合同会社」が設立され、本町を中心として周辺地域での本格的な生産が始まりました。
本町とツムラ、地域の生産者が一体となって育ててきた産地づくりの取組は、農家の新たな収入源づくりだけでなく、生薬の国産化・安定供給という課題解決への寄与を両立させるものです。本町を「薬草の里」として対外的に発信していきつつ、地域の農業の未来を支える取組が続いています。

脱炭素事業の共同提案者の一つでもある「あさぎり地域づくり協同組合」は、総務省の「特定地域づくり事業」制度を活用し、令和5年4月に稼働を開始しました。町内の農業者が中心となって設立した農業主体の組合で、組合に正職員(無期雇用)として採用された「マルチワーカー」を、季節ごとの繁忙期に合わせて組合員の農業者へ派遣する仕組みです。
複数の農作物を組み合わせることで、年間を通じた労働作業の確保と一定の給与水準を実現し、人口減少下でも農業の担い手を確保できる新しい働き方を提案しています。現在では組合員数が30を超え、Uターンや農大・高校新卒など含む8名のマルチワーカーを雇用しています。資格取得やスキルアップの支援にも力を入れ、移住希望者にとっても「働きながら町の農業を知る」入り口となっています。
町では現在、約10名の地域おこし協力隊員が活動しています。町100%出資の第三セクターである「あさぎり商社」を核として、新商品の開発や健幸運動教室の運営、テレワーク施設の利用促進、デジタルコミュニティづくりなどのほか、人口減少とともに増え続ける空き家問題を解決するため、隊員自らによるリフォームを実施しての空き家利活用など、それぞれのミッションを持ちながら、町に新しい風を吹き込んでいます。多様な経歴・価値観を持つ人材が、移住者と地域住民をつなぐ橋渡し役となり、町の未来を一緒に描いてくれています。

令和7年5月、旧保健センターを改修したテレワーク拠点施設「ALOT(アロット)」がオープンしました。施設の名称は「Asagiri Local Office Telework」の頭文字です。コワーキングスペース、Web会議用ブース、サテライトオフィス、会議室や調理のできる交流スペースを備え、Wi-Fi、大型モニター、ホワイトボードなど、リモートワークやワーケーションに必要な環境が整っています。また、施設と一体となって温泉施設も併設されており、都市部のIT人材や副業に取り組む方が、「自然と共に呼吸する、新しい働き方」を体験できる場として、関係人口の創出と起業・新規事業のチャレンジを応援する拠点となっています。


令和7年2月28日、本町を舞台にした完全オリジナルのスマートフォン用RPG「あさぎりクエスト〜霧の里の秘宝〜」の配信が始まりました。都会の高校生・健太(けんた)が、ある日電車でうたた寝をした拍子に、400年前のあさぎり町へタイムスリップ。霧に隠された秘宝を探す旅が始まります。登場する場所は、実在する日本遺産の名所、駅、神社、古墳など。スマートフォンのGPSで現地を訪れると強力な武器やレアアイテムが手に入る仕掛けで、町を訪れる動機そのものをゲームに組み込みました。物語に登場する魔物は、町内の小・中学生から公募したアイデアから選ばれており、子どもたちにとっても「自分たちの町を世界に発信した作品」となっています。夏休みには子どもたちを対象とした現地ワークショップも行われ、ゲームに登場する実際の史跡などを訪問しながら、町の歴史など学ぶイベントも開催。観光客などには町を知る入口として、住民には町をもっと好きになる仕掛けとして親しまれています。
人口減少、災害、エネルギー価格高騰など、地方を取り巻く環境は厳しさを増しています。それでも、あさぎり町は、ひとつひとつの地域資源を丁寧に磨き直し、町内外のさまざまな人々とつながりながら、未来の世代に胸を張って引き継げる町づくりを進めてまいります。脱炭素先行地域事業を着実にやり遂げ、その成果を本町の農業力の向上へとつなげるとともに、得られた知見を全国の自治体の皆さまと共有することで、農山村ならではの農業・脱炭素モデルを広げていくことが、本町の使命だと考えています。これからの本町の歩みに、引き続きご注目いただければ幸いです。
企画政策課