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鹿児島県徳之島町/かけがえのない自然を後世に、国内5か所目となる世界自然遺産

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年10月11日

徳之島の豊かな自然環境

▲徳之島の豊かな自然環境


鹿児島県徳之島町

3176号(2021年10月11日)徳之島町長 高岡 秀規


徳之島町の概要

本町は、鹿児島市の南南西468㎞、太平洋と東シナ海の接線上に浮かぶ徳之島(周囲84㎞)の東側に位置し、海岸線には島をとりまくようにサンゴ礁が発達しており、潮の満ち引きによっては200~300mの沖合いまで広大なリーフが続きます。

本町の面積は104・92㎢、人口10、324人(令和3年3月31日現在)で、国の特別天然記念物アマミノクロウサギをはじめとするさまざまな生物が生息する自然豊かな町であり、奄美大島、やんばる、西表島と共に、令和3年7月26日に世界自然遺産に登録されました。子宝に恵まれる島としても有名で、厚生労働省が発表する合計特殊出生率においては、島内の3つの町が全国の上位に入ることでも知られています。

本町では、平成22年11月に「人と環境にやさしいまちづくり」宣言をしており、これまで町民一人ひとりが地球環境のことを考え、豊かな人間性を培い、自分たちにできることから実践していくことができるような施策を推進してきました。また、令和元年7月1日にはSDGs未来都市に選定され、「あこがれの連鎖と幸せな暮らし」の実現に向けて、経済・社会・環境の統合的な取組を推進しています。

気候は、亜熱帯海洋性に属し、四季を通じて温暖多湿で年間平均気温は20度、年間降水量も2、000㎜を超える雨量を記録し、季節風は冬に著しく、海や空の交通、農作物の物流等に大きな影響を与えることもあります。台風は、通常7月から9月頃に猛威を奮いますが、近年では5月や11月にもその脅威をみせることもあります。

徳之島の名がはじめて歴史書に現れたのは、文武天皇3年(西暦699年)「度感(徳之島)が大和朝廷と通じる」という記述だと言われています。その後、弘長3年(1263年)には琉球国の影響下におかれ、慶長14年(1609年)には薩摩藩の直轄領に編入されました。その体制は明治8年(1875年)戸長制度が敷かれるまで続き、以後幾度かの改編統合を経た後、戦後の昭和21年から昭和28年までは米軍の直接統治下におかれ、昭和28年12月に日本復帰を果たしました。

本町の人口動態としては、昭和50年代には人口約15、000人でしたが、バブル経済を契機として人口の減少が始まり、現在の状況で推移すると、令和12年には8、227人(徳之島町人口ビジョン)まで減少することが予想され、人口減少に歯止めをかけるべくあらゆる施策が実施されています。

ここ数年、島を離れた若い世代がUターンで島に帰ってくる傾向もみられるようになりましたが、長期化する景気悪化に伴う消費低迷や公共事業の縮減などにより、雇用の場が不足しており、若者が定着できるよう、地元産業の活性化や雇用の創出が急務となっています。

人と生きものが共に暮らす島に

▲人と生きものが共に暮らす島に

 

徳之島の豊かな自然環境

徳之島の自然環境は、亜熱帯気候に属しながら、近傍を流れる暖流の黒潮とモンスーンの影響により多雨林が発達するなど、世界中でも非常に珍しい自然環境を有しており、森林部では希少な動植物が数多く生息しています。

徳之島が豊かな生物多様性を育むようになったのは、今から約1、200万年~200万年前に遡ります。かつて、徳之島を含む奄美群島はユーラシア大陸や日本本土と陸続きでしたが、沖縄トラフやフィリピン海プレートの大規模な地殻変動により、大陸と切り離され現在の島々に分かれていきました。大陸に残った種は環境の変化や上位捕食者の存在により絶滅しましたが、奄美大島と徳之島では、標高の高い山々と天敵がいなかったこと等のさまざまな理由により、多くの生きもの達が生き残り希少な動植物の宝庫となりました。

日本国土面積の僅か0・1%も満たない小さな島ですが、約1、000種類の自生植物に覆われているほか、日本で確認できる陸生哺乳類、爬虫類、両生類などさまざまな生き物が徳之島では確認できます。

 

 

世界でもここだけ アマミノクロウサギ

徳之島・奄美大島の2島には、世界中でもこの地域のみに暮らすアマミノクロウサギが生息しています。アマミノクロウサギは、その名のとおり黒褐色の毛で覆われており、体長は約40㎝、一般的にウサギに比べて耳が短いことが特徴で、森林での生息環境に適合するように手足は短く、急な山道を登れるよう爪がよく発達しています。

ウサギと聞くと多産のイメージがありますが、アマミノクロウサギは1回の出産で1~2頭だけ子どもを産みます。子育て専用の巣穴を作り、猛毒のハブから我が子を守るため巣穴の入り口を土で固め、2日に1度の授乳の時にだけ掘り起こし僅か数分の授乳を行い、約30分かけて巣穴を隠します。

我が子を丁寧に子育てするクロウサギの姿は、子宝の島である徳之島の人々にも共通しているのかもしれません。

世界でもここだけ アマミノクロウサギ

​​▲世界でもここだけ アマミノクロウサギ

 

自然保護に向けた取組

外海離島である徳之島においても、外来動植物による影響が生じており、耕作地への侵入など人間の生活にも脅威を与えています。外来種は、明治以降に人間の活動によって侵入してきた種を指し、本土でも問題となっているアメリカザリガニやメリケントキンソウ等、多くの外来種が徳之島にも侵入しています。既に定着した外来種については、地域住民とともに勉強会を開催するなど、外来種による生態系への影響を学ぶとともに、丹念な駆除作業を続けるほか、新規に確認された外来種においては、侵入状況の把握・駆除活動をできるだけ早急に行うことで、自生する動植物の保護を図っています。

盗掘や盗採等の違法な採集による重大な影響が懸念されており、植物・動物ともに一部の心無い愛好家(飼育・栽培、標本収集)による島外への持ち出しや販売が確認されています。道路網の整備が森林地域まで進み、固有種・希少種の生息・生育地へのアクセスが容易になったことも、採集を増長させる一因となっています。

これに対して、徳之島では、国、県、市町村、地元関係機関、地元NPO等が一体となった合同パトロールや希少種保護条例を制定するなど違法な採掘・採取の対策強化を図っています。

自然保護に向けた取組

​​▲自然保護に向けた取組

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次世代の育成

地域住民一人ひとりが高い意識を持ち、持続可能な社会を形成していく上では、人と環境との関わりを学び、より良い環境の創造のために主体的に行動できる人材を育成する教育・学習が重要だと考えています。

ICT・IoTでの遠隔教育、プログラミング教育に力を入れ、子ども達がさまざまな価値観で進むべき道を選択できるよう、あらゆる分野での教育環境を整備することで、外海離島と言うハンディを抱えながらも、聞いたことがない、やったことがない、感じたことがないから生まれる弱みを可能な限り払拭しています。

また、学校教育における総合的な学習の時間を活用した地域の自然環境に関する学習を推進し、身近に暮らす生きものの関係性や種の多様性を学び、環境との繋がりを意識できる子どもを育成するとともに、子ども達の環境保全活動に対する自主性を高めています。

次世代の育成

▲次世代の育成

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自然を利用した新たな産業

周囲を太平洋に囲まれた徳之島では、ダイビングや釣りなどのマリンスポーツが観光産業の目玉として人気を博しており、7・8月には多くの観光客が訪れます。完璧に整備されたビーチ等は数箇所しか在りませんが、適度な不自由さも楽しめる心の在り方も大事にしています。

近年、世界自然遺産登録の流れもあり、自然を利用した新たな産業として森林部を散策するエコツーリズムが期待されています。世界自然遺産エリアである森林部を歩くツアーでは、国の天然記念物アカヒゲ等の鳥のさえずりを聴きながら、日本一大きなドングリを付けるオキナワウラジロガシ群落を散策するなど、この地域の特性を活かしたツアーの商品化が進んでいます。

また、夜間には認定ガイドの案内によりアマミノクロウサギやケナガネズミなど夜行性の動物を観察するナイトツアーが行われるなど、自然を活かした産業が生まれています。

これらのツアーは無秩序に行われるのではなく、地域住民の方々や関係機関との協議の上、利用者制限や野生動物に配慮した運転の徹底を図り、持続可能な観光を目指したルールづくりが図られています。

自然を利用した新たな産業

▲自然を利用した新たな産業​​​

 

 

徳之島で生まれる多様な農・畜産物

徳之島町の耕地面積は2、330haとなっており、町の総面積22%を耕作地が占めています。世界遺産エリアである森林部を囲うように平野が広がり、サトウキビを中心にジャガイモ、かぼちゃ等の野菜やマンゴーが生産されています。

中でも、町の中央部に広がるタンカン畑では、年間300tを超える量のタンカンが生産されており、毎年1~2月にかけて島外に向けの発送作業が夜通し行われています。近年では、ふるさと納税の追い風もあり、需要が供給を上回るなど、出荷前の予約の段階で完売するほどの人気となっています。

畜産では、昭和の頃に比べると肉用牛の飼養戸数は減少の一途を辿っていますが、一戸あたりの飼養頭数が増えるなど経営規模の大型化が進んでいます。島内においては、約15、000頭の肉用牛が飼養されており、その多くは子牛の状態で島外に出荷され、各地域の農場で育てられブランド牛として生まれ変わります。

サトウキビから製造される黒糖と米麹を原料とする黒糖焼酎は黒砂糖と並ぶ特産品となっています。黒糖焼酎は、昭和28年に奄美群島が日本復帰を向かえた翌年に付与された奄美群島でのみ製造できる黒糖焼酎です。

​​​​徳之島で生まれる多様な農・畜産物

▲徳之島で生まれる多様な農・畜産物

 

人と生きものが共に暮らす島に

徳之島は人の暮らしと野生動物の生息地が非常に密接していることから、近年ではある問題が発生するようになりました。それは、アマミノクロウサギがサトウキビやタンカンの幹をかじることで、作物の生育に影響が生じ始めたことです。解決策として、耕作地に電気柵や忌避剤を用いた対策案が挙げられましたが、地域住民が主体となりアマミノクロウサギを追い出すのではなく、存在を受け入れながら作物を守る対策の発案・効果検証が進められ、今では農作物の食害が低減されるとともに、安心したアマミノクロウサギが農園に巣穴を掘り始めるなど、人とアマミノクロウサギの共生につながっています。

このように徳之島町では、はるか昔から先人達が行っていたように、自然を敬いながら、自然の中で生まれる恵みに感謝し、人の心も自然も豊かな島づくりを目指した地域づくりに取り組んでいます。

新型コロナウイルス感染症の収束が見えない中、この先の社会が不透明な部分も多く気が滅入る日々が続きますが、島の自然はこれまでと変わらず私たちを迎え入れてくれます。

新型コロナウイルス感染症が収束した暁には、自然・文化の色濃く残る徳之島に是非おこしください。