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宮城県山元町/後世に誇れる「新生やまもと」を目指して

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年7月5日

新市街地「つばめの杜地区」

▲新市街地「つばめの杜地区」


福島県川内村

3165号(2021年7月5日)山元町長 齋藤 俊夫


1 町の概要

宮城県の東南端に位置し、東西約6㎞、南北約12㎞のほぼ長方形の形をなす町で、面積は64・58㎢、地形は西から阿武隈高地から連なる丘陵地、海岸平野に大別され、西高東低の均一的な地形が連続しているのが特徴となっています。

気候は太平洋沿岸に位置するため、海流の影響により夏は涼しく、冬は温暖で降雪が少なく、比較的過ごしやすい地域となっており、「東北の湘南」とも称されます。

震災前の人口は約16、700人、世帯数は約5、500世帯で、基幹産業である農業は、西部丘陵地でりんご、中央部平野で水稲、東部砂質土壌でいちごの一大産地が形成され、特に、りんご、いちごは、県内でも有数の生産量でありました。

また、漁業においては、特産品であるホッキ貝の資源管理型漁業に取り組み、品質・水揚げ量ともに県内随一の実績を誇っていました。

 

 

2 未曾有の災害

平成23年3月11日に発生した東日本大震災による12mもの巨大津波が、町内全域の約40%(可住地の約60%)に襲来し、多くの尊い命と、住まいや鉄道等の生活基盤、農地等の産業基盤を一瞬にして奪い去りました。

死者637人(震災関連死含む)、住宅4、440棟(全壊50%、大規模半壊12%、半壊12・4%、一部損壊25・6%)が被害を受け、最大19か所の避難所を開設、避難者も最大5、826人に上りました。

町の復興を牽引、完熟いちご復活

▲町の復興を牽引、完熟いちご復活

 

 

3 マンパワーの支援に感謝

甚大な被害を受けた本町では、行方不明者の捜索が続く中、被災者の生活を支える仕組みづくりが急務となりました。まず、いち早く罹災証明の発行に着手。避難所を運営しながら、町内8か所に1、080戸の応急仮設住宅を整備し、発災翌月末には順次入居を始め、同年8月には全ての避難所を閉鎖することができました。

平成23年12月には、まちづくりの基本構想「第5次山元町総合計画」として位置付けた「山元町震災復興計画」を策定し、「住まいの再建」と「生業の再生」、「町民の安全・安心」を最優先に復旧・復興を進めました。

取り組むべき課題は山積していましたが、当時の町職員数は167人(うち行政職140人前後)のみ、区画整理事業の経験もなく、土木の専門職員も少ない中、予算規模も震災前の約55億円(一般会計)から、平成24年度には約716億円規模にまで達し、圧倒的にマンパワーが不足する状況となりました。

そのような状況下、全国各地120を超える自治体から、昨年度末時点でトータル690人、年間最大113人(平成27年度)もの職員を派遣していただきました。町民をはじめ町職員にどれ程励みになったことか。即戦力として、「チーム山元」の一員となり復興事業にご尽力いただきました。

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4 命と減災を最優先に町を大改造

復興計画では、震災の教訓を踏まえた後世に誇れるまちづくり、単なる復旧に留まらない「創造的な復興」を目指すこととしました。土地利用の基本的な方針として、被災状況を踏まえた災害に強いまちづくりを進めるとともに、今後の人口減少・少子高齢化を見据え、コンパクトで全ての世代が快適に暮らせるまちづくりに取り組みました。

その中で、最優先事項としたのは「命と減災」への取組を果敢に進めることでした。壊滅的なダメージを受けた海岸防潮堤(一線堤)の本格復旧と、防災緑地や沿岸幹線道路(二線堤)の嵩上げによる多重防御での津波対策に取り組みました。

また、沿岸部には、津波から命を守るため、一時避難場所として標高9mの築山(避難丘)を備えた3か所の防災公園を整備するとともに、沿岸部から丘通りに延びる10本の避難道路を整備しています。

津波により流失した鉄道施設(駅舎含む)は、JRをはじめ関係機関との連携により約1・1㎞内陸側へ移設(区間延長約14・6㎞)の上、一部区間を高架し、平成28年12月に運行が再開されました。

内陸へ約1・1㎞移設、高架を走る電車

▲内陸へ約1・1㎞移設、高架を走る電車

 

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5 拠点形成を目指したコンパクトなまちづくり

沿岸部の住居は、防災の観点から集団移転を進めることとし、移転先として、コンパクトシティの理念のもと、JR常磐線の新駅を軸に、新生やまもとの発展を牽引する「町の顔」として新山下駅周辺地区(つばめの杜地区)、医療・福祉の一体的サービスの拠点として宮城病院周辺地区(桜塚地区)、発展の一翼を担う副都心として新坂元駅周辺地区(町東地区)の3つの新市街地を整備しました。

この3つの新市街地には、復興公営住宅(災害公営住宅)490戸、分譲宅地251区画を整備し、復興公営住宅については、県内最速の平成25年4月から順次入居を開始しました。

特に、「つばめの杜地区」には、被災した保育所を統合新築したほか、小学校を沿岸部から移転復旧し、さらに児童館を含む「こどもセンター」を新設、隣接する「つばめの杜中央公園」では大型遊具も配置され、子どもたちの元気な声が溢れ、子育て世代の方々にも喜ばれています。​​

噴水で遊ぶ子どもたち(つばめの杜中央公園)

▲噴水で遊ぶ子どもたち(つばめの杜中央公園)

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6 将来を見据えた「大区画ほ場整備」

基幹産業である農業では、農地の約59%に相当する約1、416haの農地が津波により浸水し、水田は、全体1、430haのうち1、059ha(74・1%)が作付不可、そのうち986ha(69%)が被害水田となりました。

被災した東部地域(山元北部地区144・2ha・磯地区55・1 ha・山元東部地区602・9ha)の土地を用途に応じて集積し、農用地の大区画化、意欲ある担い手への集積・集約化など、経営規模の拡大を進めました。

また、営農に必要となる施設(出荷調製貯蔵施設)・農業機械を整備、併せて排水施設の機能強化を推進し、農業の効率化を進めました。その取組が功を奏し、震災以降、25社(いちご関係15社)の農業法人が設立、被災農地の新たな担い手となったほか、地域活性化の原動力となりました。

陽ざしの中、一面に咲き誇る色鮮やかなひまわり

​▲陽ざしの中、一面に咲き誇る色鮮やかなひまわり

 

 

7 復興を大きく牽引「いちごの産地」復活

震災前、町の主要生産品であったいちごは、津波により栽培施設の97%(125/129戸)が流失、壊滅的な被害を受けました。大きな被害を受けたいちごの復活は、生産者のみならず、町民誰もがその復活を願うものとなり、その復活が町に元気を与え、農業の復興へと導いてくれるものと信じ、町を挙げて山元産いちごの復活に取り組んできました。

震災前、沿岸部にビニールハウスが立ち並び、土耕栽培が主であったいちご栽培の手法を大きく転換。平成26年4月、内陸に4か所のいちご団地を整備し、大型ハウスによる高設ベンチでの水耕栽培を導入し、同年11月には、いちご団地に参加する52戸全戸で出荷がスタートしました。

また、震災後に設立されたいちご関係の農業法人による販路開拓やブランド化、観光農園などにより、いちごの町として認知度がアップ、震災前「13億円」であった生産額が、令和2年産で「16億円」と大きく躍進しました。

 

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8 賑わいの拠点「やまもと夢いちごの郷」

平成31年2月、JR常磐線坂元駅前に、新たな町のランドマークとして、農水産物直売所「やまもと夢いちごの郷」がオープンしました。オープン以来、山元産いちごの復活や、同じく震災で海底に沈んだ瓦礫の影響により漁ができなかった「ホッキ貝」の漁の本格再開なども後押しとなり、町内外から多くのお客様にご来場いただいています。

オープンからわずか2年3か月で、売上げ約7・5億円、来場者も約130万人に達しました。いちごやりんご、ホッキ貝、シャインマスカットなどの特産品のほか、新鮮な地元野菜や魚介類、郷土料理の「ホッキめし」や「はらこめし」など町の名産品を取り揃えており、開業以来、千客万来の賑わいとなっています。

今年1月にはフードコートがオープンし、「和・洋・中」それぞれのメニューを提供する3店舗が季節の郷土料理や地元食材を活用した料理など、バラエティーに富んだ食事を提供しており、買い物、食事が楽しめる場所として親しまれています。

「やまもと夢いちごの郷」

​▲おかげさまで大盛況!農水産物直売所「やまもと夢いちごの郷」

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郷土料理「ホッキめし」

​▲郷土料理「ホッキめし」

 

 

9 「震災遺構中浜小学校」公開

巨大津波から90人の命を守り、49年の歴史に幕を閉じた中浜小学校は、震災10年目に防災教育の場として生まれ変わり、昨年9月26日に、県南唯一の震災遺構として公開を開始しました。

また、被災した施設に直接立ち入って見学できる数少ない震災伝承施設となっており、安全性に十分配慮しながら、割れた窓ガラス、倒れかかった壁、配管がむき出しになった天井など、被災した際の状況をそのまま保存しており、当時の様子を肌で感じることができるようになっています。

「震災遺構中浜小学校」

​▲見学体験の工夫などが評価され、グッドデザイン賞をダブル受賞した「震災遺構中浜小学校」

10 人を惹きつける魅力、選ばれる町へ

震災以降、町では新市街地の整備を含め大規模な復旧・復興事業に取り組むとともに、「子育てするなら山元町」、「住むならやっぱり山元町」をスローガンに、ライフステージに沿った切れ目のない子育て支援施策、県内最高水準となる移住・定住支援事業を展開してきました。

震災の影響もあり、人口は急激に減少しましたが、それら取組が功を奏し、平成26年7月以降12、000人台(住民基本台帳人口)を維持、平成28年度から5年連続で転入者が転出者を上回る社会増となっています。

復興芝生の園庭で遊ぶ子どもたち

▲復興芝生の園庭で遊ぶ子どもたち(つばめの杜保育所)

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11 賑わいと活力のある町へ

震災前、町の交流人口は年間10万人足らず、「ホッキ祭り」などのイベントでの来訪が殆どという状況でしたが、第6次山元町総合計画(令和元年12月策定)では、交流人口100万人という大きな目標を掲げました。これは、震災前の実績を考えれば途方もない目標設定で、中には疑問を持つ方もいたかと思います。

その目標達成に向け、町外から来訪の目的となるような交流拠点として農水産物直売所「やまもと夢いちごの郷」を整備、町の3大特産品(いちご、りんご、ホッキ貝)に加え、ふるさと納税返礼品の1番人気になっている「シャインマスカット」、海岸に近い砂地で育てられた品質の高い「復興芝生」を含めた5大特産品に成長、町の新たな魅力も増えています。

春は「いちご狩り」(12月~5月頃)、夏には沿岸部で大区画化された農地に緑肥として作付けされたヒマワリが咲き誇る「ひまわり祭り」、秋には「ぶどう狩り」、冬には、復興支援の感謝の気持ちを込めた光の祭典「コダナリエ」が開催され、四季折々、新たな町の風物詩として定着し、交流人口100万人の実現も間近に感じられるようになりました。

シャインマスカット

りんご

▲旬の果物(りんご・シャインマスカット)

 

イルミネーションが彩る光の祭典「コダナリエ」

▲イルミネーションが彩る光の祭典「コダナリエ」

 

12 令和の幕開けとともに新庁舎開庁

震災前の町は、東に牡鹿半島まで望める雄大な太平洋と、青々と茂る松林、美しい砂浜、そして、平野部から阿武隈山地のふもとまで広がる豊かな田園風景の中で、町民みんなが顔見知りという、まさに「日本の原風景」ともいえる営み、街並みがありました。

震災により、その街並みが一変、誰しもが経験したことのない未曽有の災害に、多くの町民が戸惑い、そして、一人ひとりが「命の尊さ」に改めて向き合うこととなりました。

そのような中、発災直後から、関係機関をはじめ、全国、さらには国境を越えて多くのご支援をいただきました。この場をお借りし、心から深く感謝申し上げます。

また、職員の派遣をいただいた多くの自治体では、必ずしも職員数が充足しているとは限らない状況下で、地方の小さな町に、派遣応援をいただいたことは誠に有難く、大きな力となりました。

全国の皆様のご支援により復興した「新生やまもと」を、町を訪れる全ての方々に実感していただけるよう、引き続き後世に誇れるまちづくりに取り組んでまいります。

役場新庁舎開庁式

​​▲役場新庁舎開庁式