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福島県川内村/「Go! Beyond~今を乗り越え、その先へ~」

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年6月28日

ワイン用ぶどう畑「高田島ヴィンヤード」

▲ワイン用ぶどう畑「高田島ヴィンヤード」


福島県川内村

3164号(2021年6月28日)川内村長 遠藤 雄幸


〇はじめに

川内村は、福島県浜通りに位置し、総面積は19、738ha、うち約17、400haが林野で占められ、美しい自然と豊かな森林資源に恵まれ、震災前3、028人が暮らしていました。

平成23年3月11日の東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所事故発災以降、「一歩踏み出せば奇跡は起こる」と信じ、当村の復興を進めてきました。お陰様で約8割の村民が戻り、愛おしい日常を取り戻しつつあります。令和元年には村制施行130周年を迎えることができ、令和3年3月には、復興の新たなステージへの決意を示す「輝村宣言」を発表致しました。

これまでご支援をいただきましたすべての自治体、団体、個人様に紙面をお借りし心より感謝申し上げます。

自然豊かな山間に抱かれた当村は、あの震災・原発事故以来「被災地」と呼ばれるようになりました。事故直後、村民は全村避難を余儀なくされ、避難所において、先行きが不透明な中、漠然とした喪失感と閉塞感で、心身共に極度のストレスを受けました。さらに、目に見えない放射能が、補償や賠償金の多寡等で格差を生じさせ、住民感情を複雑にし、さまざまな軋轢を生じさせ、人の生き方や判断にもずけずけと土足で入り込み、住民の心と身体を痛めつけてきました。

平成26年6月、一部残っていた居住制限区域が解除され、村の避難指示区域は全て無くなりましたが、すぐに住民が戻るものではなく、あらためて帰還促進というオペレーションの難しさを感じています。

 

〇原発事故の影響

地震の被害は少なかった当村ですが、放射性物質の汚染を踏まえ、3月15日私自らが全村避難を決断し、防災行政無線で呼びかけ、翌日早朝から郡山市の「ビックパレットふくしま」に避難しました。当時は、富岡町民約8、000人が当村に避難していたため、富岡町と一緒の避難となりました。

長期の避難生活による影響は計り知れないものがありました。体調を崩す村民が続出し、特に高齢者においては入院や要介護度の重症化に伴う施設入所が増えました。震災による直接死はゼロですが、避難途中や入院先で亡くなった関連死が100名を超えました。放射能のリスクと避難のリスクが同時並行的かつ多発的に押し寄せてきました。

農林畜産業は廃業及び休業に追い込まれ、子どもたちの教育環境も激変しました。働く場所さえ失われ、県外避難により家族が離ればなれになり、地域のコミュニティーも分断されてしまいました。原発事故がもたらした最大の被害は、住民間の軋轢と人間の尊厳の喪失だったのかもしれません。

​​​​川内村村民体育センター避難所

▲川内村村民体育センター避難所

 

〇帰村宣言

未曾有の環境変化の中、当村の放射線量は、地区により比較的高い線量を示すところもありましたが、全体的には低いことが判明し、除染を実施することで戻れる環境が整うと判断し、平成23年11月には、保育園・小中学校・診療所等の公共施設の除染を開始しました。加えて原発の水素爆発の危険性が低くなったこともあり、平成24年1月「戻れる人から戻る、心配な人はもう少し様子を見てから戻る」ことで帰村宣言を行い、同年4月、一年ぶりに行政機能を役場に戻し、除染やインフラ整備に取り組みました。

帰村に向けた住民懇談会では、除染、雇用、医療介護、教育、買物交通、補償、賠償など戻れない理由を訴える声が噴出しましたが、その中でただ一つ共通していたこと、それは一日も早く我が家に戻りたい、当たり前の日常を回復してほしいという住民の切なる願いでした。その思いに応えるため、速やかに役場での業務を再開したところです。

​​帰村宣言

▲帰村宣言

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〇震災原発事故からの復旧・復興

単に震災前の状態に戻すのではなく、村の生き残りをかけ、創造的・未来志向の復興を成し遂げるため、新たな指針として、第四次総合計画(令和25年3月)を策定しました。また、当村が、生活環境や雇用など村民の帰村を促進するための復興事業を先行的に進めていくことにより、双葉地方復興のフロントランナーとしての役割を担う、そのことも村づくりの指針と位置づけました。​

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〇除染

除染は、帰村に向けて、真っ先に取り組むべきものだと考えていました。空間線量の軽減と継続的モニタリングは、村民が村に戻り、放射能の脅威から解放され、安心して暮らすために必要不可欠でした。先ず平成23年9月、緊急時避難準備区域内の除染目標を空間線量率0・23μSv/h以下に設定し、村内1、070世帯の宅地除染を実施し、平成25年度末までにすべての住宅除染を完了させました。さらに、農地、道路、森林へと対象範囲を広げながら生活空間の除染を進めるとともに、村内10か所に、除染廃棄物の一時保管場所である仮置場を整備しました。

除染が完了した世帯には、線量調査を実施するとともに、放射線を可視化できるガンマカメラによる撮影を行い、線量調査結果と写真を一世帯ずつ配布し、データに基づく生活空間の安心・安全を提供しました。宅地除染は、平成26年3月に全世帯が完了しております。​

除染作業の様子

▲除染作業の様子

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〇雇用の創出・インフラ整備

安全に住める環境を確保したうえで、これまで以上に不便なく暮らせるインフラ整備が必要となります。当面の暮らしの利便性を取り戻しつつ、隣接するいわき市・田村市・小野町などとの連携の下で、日々の暮らしを支える住宅、雇用、買い物、医療、教育(高校通学を含む)、交通アクセス、介護・福祉、ごみ・下水汚泥処理、葬祭場などの環境整備を進めていくこととしました。

住環境整備では、震災前の村営住宅が36戸と新たに住宅を求めるニーズに比して少なく、住宅不足の解消が課題でした。そこで村営アパート、災害公営住宅、若者定住住宅、定住促進住宅及び子育て支援住宅等、合わせて157戸を整備しました。さらに、民間アパート建設のための支援事業を行い20戸の民間アパートを整備しましたが、すぐに空きがなくなり、現在でも慢性的な住宅不足が続いている状況であり、今後も取り組むべき課題となっています。

雇用の場の創出として、国の福島再生加速化交付金事業を活用し、工業団地造成事業を進め、総面積15 ha、7区画が平成29年7月に完成しましたが、内3区画に企業が進出しております。また、村内他所にも金属加工金型工場、蓄光タイル製造工場、チップ製材工場を誘致し、併せて自前で完全密閉型水耕栽培の植物工場を立ち上げました。震災前より働く場所の選択肢が増え、新たな雇用が生まれています。

生活に密着したインフラ整備については、平成28年に複合商業施設「YO-TASHI」がオープンし、身近な所で買い物ができるようになりました。

医療機関が遠くなったため、震災前の内科・歯科に加え、平成24年度から眼科・整形外科・心療内科・消化器内科など、震災前よりも診療科目を増やしました。

平成27年には、新たに特別養護老人ホームかわうちがオープンしました。

村内で葬式等を挙げられるよう、平成26年3月に葬祭センター「ふるさと」を整備しました。

村民の体力維持向上のための施設として、平成28年には温水の「もりたろうプール」がオープンしました。

震災前から川内村の観光施設であった「いわなの郷」、「かわうちの湯」も改装・改修のうえ再開し、多くの利用者で賑わいを取り戻しております。

さらに、タイ国のコーヒーチェーン店Amazonの日本第1号店がオープンし、村民の憩いの場となっています。

避難で中断していたイベントについては、平成24年に、詩人草野心平を偲ぶ「天山まつり」を2年ぶりに天山文庫で実施し、「かわうち復興祭」及び「かわうちBON・DANCE」を開催しました。

さらに、小学生の発案で平成28年4月30日に開催した第1回川内の郷かえるマラソン大会は、川内優輝選手をゲストランナーに迎え、北海道から沖縄県まで全国33都道府県から1、188名が参加、現在も継続して行われています。イベントの復活開催は、賑わいの創出と交流人口増に繋がるきっかけになりました。

教育環境の整備では、令和3年4月5日に、かわうち保育園を併設した義務教育学校「川内小中学園」が開校し、新たな教育環境がスタートしました。今後、川内ならではの教育に力を注いでまいります。

町分住宅

​▲町分住宅

 

工業団地

​▲工業団地

 

マラソン大会

​▲マラソン大会

 

義務教育学校

​▲義務教育学校

 

〇新たな産業の創出

基幹産業である農林畜産業では、生食用ぶどうの栽培、西洋野菜栽培やエゴマの生産販売など、新たな内発的産業の動きも出てきております。

昨年秋には、いちご栽培に着手し、年明けから出荷も始まっております。

ワイン用ブドウは、5年前に定植した苗木から、昨年初めて収穫・委託醸造を行い、令和3年4月川内産ブドウを使用したワイン「シャルドネ2020」が完成しました。現在、村内のヴィンヤードに醸造施設を建設中で、今秋にはワイン醸造を開始し、来春には、川内産ワインと表示されたボトルが店頭に並ぶことを楽しみにしております。

いちご栽培施設

​▲いちご栽培施設

 

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〇移住定住への取組

新たなステージを迎え、帰還促進と復興をさらに進めながら、交流人口を拡大し、定住人口を増やすための施策に取り組んでいます。

移住支援については、結婚祝金、出産祝金、保育料給食費無料、医療費無料(18歳までの児童対象)、新築住宅建設費補助(300万円)、ひとり親移住奨励金を行っております。

 

〇復興の先の課題

現在も避難している村民の大部分は子どもたちがいる子育て世帯です。若い世帯の帰村が進んでいないことで、コミュニティーを維持していくことが困難な地域も出てきています。震災前よりも行政依存度が高まり、村民の自立を促すことの大変さを感じています。さらに、国の復興予算が減少していく中で、景気の反動減等の課題が顕在化してきております。

〇おわりに

復興は、一言で言えば、生きがいや誇りを取り戻すことだと考えています。震災前から農山村の空洞化が叫ばれていましたが、原発事故を契機に耕作をあきらめる農家が一層増えています。その結果人が住まなくなれば土地が荒れ、地域の自治が崩壊していきます。農山村で生活する意義や価値観が見いだせなくなり、誇りまで失っていくのではないかと危惧しています。

これまでさまざまな不条理や軋轢、ジレンマ、不安や不満、不信感と戦ってきました。いつも背中を押されているような緊張感を感じてきました。しかし、それは私にとってエキサイティングな時間だったのかもしれません。これまでの経験を活かし、村民一人ひとりが希望や生きがい、川内プライドを持ちながら暮らすことのできる村、多くの人々を惹きつけるような、特に、子どもたち、女性、若い人たちが住みたいと思うような、「輝く村」づくりに取り組んでいく、その決意を新たにしているところであります。

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