ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村の取組 > 和歌山県湯浅町/伝統と歴史が息吹く 醤油発祥の地

和歌山県湯浅町/伝統と歴史が息吹く 醤油発祥の地

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年11月9日

 夕暮れ時の町の様子

▲伝建地区


和歌山県湯浅町

3140号(2020年11月9日) 湯浅町長 上山 章善


湯浅町の概要

湯浅町は、和歌山県の中部、紀伊半島の西岸に位置する人口11、688人(令和2年10月現在)、面積20・79㎢の小さな町です。県都和歌山市からは車でおよそ30分程度、関西国際空港からは高速道路を利用して1時間程の距離にあります。

紀伊水道に臨み温暖な気候から沿岸漁業や柑橘類の栽培も盛んで、湯浅湾で水揚げされる新鮮なシラスなどの魚介類と本町の田地区で栽培される「田村みかん」はブランドみかんとして全国的に知られています。

湯浅町は、湯浅村・青木村・別所村・山田村からなる湯浅村(明治29年(1896)に町制施行)と、栖原村・田村・吉川村からなる田栖川村が、昭和31年(1956)に合併して出来たもので、平成28年(2016)には町制施行120年を迎えました。

古くは、紀伊半島南部の聖地・熊野に詣でる人々が利用した熊野古道が町を縦断し、その立地からかつては宿所や休息所にあてられることが多かったといわれています。

平安時代末期には、本姓藤原氏を称する豪族が、この湯浅の地を本拠とし湯浅宗重(1118~95)の時代に力を伸ばし、やがて湯浅一族は紀伊半島に広く勢力を持つ武士団として、その名を轟かせたという記録が残っています。後に、湯浅一族は滅亡しますが、湯浅の地は醤油醸造などの商工業を中心に栄えました。

とりわけ湯浅を特徴づけたのは、鎌倉時代にその起源を遡る醤油の醸造です。紀州藩の保護を受けて湯浅の醤油醸造は興隆し、その歴史から湯浅は「醤油醸造の発祥の地」といわれています。

近世から近代にかけて醤油醸造が盛んであった市街地の一帯は、今も醤油醸造業関連の町家や土蔵をはじめとする伝統的な建造物がよく残されていることから、平成18年(2006)12月に醤油の醸造町として重要伝統的建造物群保存地区に選定され、歴史ある町並みの保存整備を進めています。

また、平成29年(2017)4月には、本町の醤油醸造発祥の歴史と伝統を物語るストーリー「『最初の一滴』醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅」が日本遺産に認定されました。

私たち日本人が世界に誇る「和食」の文化に無くてはならないのが醤油です。醤油醸造の発祥の地としての歴史を活かした観光施策をはじめとしたさまざまな取組を進めています。

 

醤油仕込蔵の内部

▲醤油仕込蔵​​​

宿泊施設の外観

▲宿泊体験等施設 千山庵​(外観)

宿泊施設の内観

▲宿泊体験等施設 千山庵​(内観)​

観光振興の取組

湯浅町は、田村みかんや釣りといった点では知られていましたが、知名度は決して高いものではありませんでした。

平成18年に和歌山県内で唯一の重要伝統的建造物群保存地区に選定されて以降は、湯浅町を訪れる方が徐々に増えつつありました。そんな中、湯浅の歴史や文化、そして自然といった魅力を県内外のより多くの方に広く発信していこうと取り組んだ結果、日本遺産の認定を受けることができました。これを契機に、古くからの町並みが残る伝建地区を中心に、ここ数年はインバウンドも含め観光客数が増加傾向になりました。

町としても、伝建地区内にあった伝統的建造物の空き家を改修し、昔ながらの町家の風情を残した1棟貸しの宿泊体験等施設として活用しています。このほか、伝建地区に近い観光用駐車場の整備や地元産品を中心とした土産物の販売と飲食スペースを設けた「湯浅美味いもん蔵」も整備しました。

 

湯浅美味いもん蔵

▲湯浅美味いもん蔵

 

しかしながら、新型コロナウイルス感染症の影響を受け、湯浅町でも観光客の姿が少なくなりました。例年、町内外から多くの方が集まる「湯浅まつり花火大会」や地元でとれる新鮮な魚介やそれらを使った料理の販売がある「ギョギョっとお魚まつり」も感染拡大防止の観点から本年の開催は中止となりました。

この感染症が収束した暁には、現在落ち込んでいる観光客を取り戻せるような仕掛けづくりが必要であると感じています。その1つとして、津波防災に関する日本遺産の認定を受けている隣町の広川町とも連携しながら広域観光にも取り組んでいきたいと考えています。

 

花火

​▲湯浅まつり花火大会

焼き鯖の屋台

▲ギョギョっとお魚まつり​

中心市街地の賑わい創出の取組

町の重要課題として、中心市街地であるJR湯浅駅周辺の賑わいを取り戻すための取組を進めてきました。そこで、平成29年度からJR湯浅駅を含む駅前複合施設の整備事業に着手し、令和2年3月に施設が完成しました。この施設は、醤油醸造の発祥地である湯浅の玄関口であることから醤油の醸造蔵をイメージした外観となっており、名称を広く募集した結果、地元高校生により「湯浅えき蔵」と命名されました。

 

駅の外観

▲湯浅えき蔵​

 

「湯浅えき蔵」は、1階にJR湯浅駅、観光交流センター、湯浅町商工会、2階にカフェを併設する図書館、3階に会議室やイベント・講演会に利用できる地域交流センターを配しています。2階の図書館は、最大約6万冊の収蔵が可能で、児童書コーナーも設けていますので、お子様も一緒に読書を楽しんでいただけます。また、郷土資料コーナーは、湯浅の歴史など、ここに来れば湯浅のことがわかるようなスペースとして今後充実させていく予定です。3階の会議室や地域交流センターは、災害時の避難所としての活用も想定しており、防災機能も併せ持つ施設となっています。

駅と直結した図書館、そして会議スペースやホールがあるというのがこの施設最大の魅力でもありますので、大いに活用していきたいと考えています。

さらに、現在、湯浅駅や湯浅えき蔵の利用者の利便性の向上と駅周辺の更なる賑わい創出のため、駅前駐車場の整備と併せて、子どもからお年寄りまであらゆる世代の方が集える広場の整備も進めているところです。

新しく生まれ変わった湯浅の玄関口を多くの方に利用していただき、この「湯浅えき蔵」を拠点に中心市街地の賑わいを取り戻していく取組を進めていきます。

 

たくさんの資料が収められた壁

▲えき蔵 図書館ホール壁面​

児童書コーナー

​​▲えき蔵 児童書コーナー​

人口減少時代に向けた取組

湯浅町の人口は、昭和60年(1985)に17、171人で最多となって以降、減少に転じており現在は過疎地域に指定されています。今後の人口推計によると、20年後の2040年には、7、382人まで減少すると予想されています。今後は、いかに人口減少のスピードを抑制するかが重要であると考えています。

そのために、住民の誰もが安心して安全に暮らせるまちづくりを進めています。

まず最初に取り組んだのは、次代を担う子どもたちの教育環境の整備であり、すでに町内全ての小・中学校の建替えや耐震化を完了しています。

また、和歌山県では、東南海・南海地震や南海トラフ巨大地震による津波への防災対策も必要とされています。湯浅町では、地震発生後約35分で津波が到達すると予測されていることから、旧役場庁舎をはじめとする町内の公共施設は、老朽化が進んでいるだけでなく、津波浸水区域内に位置していることも懸案事項であったため、防災拠点である役場庁舎と消防組合庁舎、そして老人福祉施設を高台に移転させました。

このような「安心・安全なまちづくり」は、現在、保育園を統合した新たな認定子ども園の建設や地域福祉センターの移転、平常時には地域住民の憩いの場となり、災害時には避難所となるコミュニティセンターの建設など着実に事業を進めているところです。

子どもからお年寄りまで、あらゆる世代の方が安心して安全に暮らせるまちを創り上げていくことが、人口減少への第一歩であると考えています。

これからの湯浅町

湯浅町には、先人より脈々と受け継がれてきた素晴らしい伝統や文化、そして豊かな自然があります。それらを大切に守りながら、かつ新たな魅力として付加価値を付けることで魅力あふれる湯浅町を後世に引き継ぎ、併せて、町外からの観光誘客に向けた取組を強化し、まちの賑わいを取り戻しつつ、雇用創出につなげていくことが町行政としての重要な役割であると考えています。

醤油づくりは、それぞれの工程をチームワークを乱さず、各人が責任をもって遂行してこそ、美味しいものが完成します。町行政も同じだと考えています。職員、そして町民が一丸となってまちづくりに取り組むことが、活気あふれる湯浅町の実現につながると確信を持っています。皆さんも、ぜひ一度湯浅町を訪れて、湯浅ならではの歴史と自然の魅力を感じてもらいたいと思います。

海と山

▲湯浅町の海と山