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滋賀県甲良町/甲良町の歴史と地域資源を活かした交流拠点づくり

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年5月18日
町内にある湖東三山 西明寺(国宝三重塔)

▲町内にある湖東三山 西明寺(国宝三重塔)


滋賀県甲良町

3119号(2020年5月18日)  甲良町長 野瀬 喜久男​


甲良町の概要

甲良町は、琵琶湖の東部・湖東平野に位置し、東西に5・32km、南北に5・15km、面積は13・63㎢と滋賀県内では2番目に狭小な町です。

町の北には、鈴鹿山脈から琵琶湖に注ぐ一級河川「犬上川」が流れ、甲良町はこの犬上川左岸の扇状地に位置しています。甲良を含む一体には約4500年前から人々が住み、遣隋使・遣唐使として海を渡り、当時の最先端情報を持ち帰った犬上御田鍬等がこの地の出身といわれています。

「甲良」の名は1400年前の奈良時代の記録にもあり、平安時代中期の辞書「和名類聚集」の中では万葉仮名で「加派羅」と読むと紹介されている等、古くから続く町です。この名は、この地が犬上川沿いに位置することが由来であり、以降の文書等ではしばしば「河原」「川原」とも書かれています。

その犬上川の水を用いるため、甲良では奈良時代には灌漑水路を掘る等、早くから稲作を開始しています。米どころ近江の中にあって甲良米は評判がよく、江戸期には「当国第一ノ上品ナリ(彦根藩地誌『近江木間攫』)」と評価されるほどの穀倉地域となっていました。

この米づくりの歴史の中では、洪水と旱魃の繰り返しという歴史を永く経験し、激しい水争いも度々起こっています。我が国初の灌漑用ダムである「犬上ダム」が犬上川上流に築造されたのも、水をめぐる先人たちの苦悩の歴史によります。これらの水利が整えられ、私たちの町は、評判の高い甲良米の産地として稲作を中心とした農業を続けてきました。

私たちの町を代表する歴史特性の一つは、こうした「水と農業」の歴史であるということができます。

鈴鹿の山並み

▲鈴鹿の山並み

春の甲良町

▲春の甲良町

水を基軸とした住民主体のまちづくり

第二次世界大戦後の高度経済成長とともに、農業経営も合理化が進み、農業基盤整備が全国で展開されることとなりました。甲良町においても農業用水地下パイプライン化案が示されると、長年にわたり水を大切にしてきた住民の間に農村らしい景観や生活環境が損なわれるのではという危機感が生まれ、地域住民のまちづくりへの参加の気運が徐々に高まっていきました。

その後、各集落(自治会)に対して、具体的な取組内容を各集落が独自で決定できるように工夫した景観整備に関する補助金制度を提示したことで、住民のまちづくりへの主体的な参加意識がさらに高まりました。

このような意識のなか、地下を流れる農業用水を地上に噴き出す「分水工」に利用した親水公園が町内各所に整備されていきます。併せて、集落内に石積み、植栽、花飾りを施し、鯉を泳がす等した親水性水路を整備し、圃場整備地区内の樹林を保全する等、「せせらぎ遊園のまちづくり」として農村景観を守る取組が進められていきました。これらの事業を進める過程で、住民と行政、それに専門家が加わった3者の間で繰り返し議論が実施されたのも、私たちの町のまちづくりの特徴といえます。

この流れの中で平成15年には当時まだ全国的にも珍しい住民参画を謳った「甲良町まちづくり条例」を制定し、各集落ではそれぞれに「むらづくり委員会(郷づくり委員会)」が設置され、個性ある各集落の地域づくりが実施されてきました。

このような全町的な、また集落独自のまちづくり組織が現在のまちづくりの基礎となっています。

町内を流れる親水性水路(下之郷地区)

▲町内を流れる親水性水路(下之郷地区)

時代を動かした三大偉人

中世から近世にかけて、私たちの町は京の都に近いこともあって、日本の政治・経済活動と深いかかわりを持ち、また影響を受けてきました。甲良町にゆかりのある多くの歴史上の人物の中でも次の3人の偉人を「甲良三大偉人」として町を挙げて顕彰しています。


●「バサラ大名」佐々木道誉

甲良町を含む近江の国は、鎌倉時代には近江源氏とも言われる佐々木氏の所領であり、足利尊氏に仕え室町幕府の創立に参与した「佐々木高氏(京極道誉)」公は、甲良町内の勝楽寺に居を構え、ここでその生涯を閉じています。道誉公は、古い形式による権威に反発し派手な振る舞いや華美な装いを好む当時の美意識になぞらえ「バサラ大名」の異名を持ち、連歌や和歌に長じ、茶道や猿楽(のちの能楽・狂言)、また香道に親しむ等当代一流の教養人であり、一方で室町幕府の要職に就きその礎を築く等、実務にもその力を発揮する文武両道に長けた人物で、その事績は現代にも伝わります。

なお、道誉公の孫が現在の甲良町尼子地区に住み「尼子氏」を称し、さらにその子が出雲国に赴き、戦国大名でもある雲州尼子氏の祖となっています。

佐々木道誉公肖像

▲佐々木道誉公肖像


●「築城の名手」藤堂高虎

現在の甲良町在士地区は古くは藤堂村と言い、戦国大名で伊賀・伊勢の大大名となった「藤堂高虎」公はこの村の出身でした。

約190cmの大男であったと言われ、大小数え切れない程の戦に従事した猛将である一方、数々の城や寺社の設計にあたる「縄張り」に力を発揮し、熊本城を造った加藤清正と並ぶ築城の名手とされています。高虎公は、京都二条城、上野寛永寺、南禅寺三門、伊賀上野城、日光東照宮造営等数多に関わり、その名建築が現代にまで残っています。特に堀の配置や石垣を高く積む技法に長けていたと言われ、その陰には同郷の大工集団「甲良大工」、同じ近江出身の石工集団「穴太衆」があったとされています。

主君を何回も変えたことから不忠の人物のように扱われることが多い高虎公ですが、徳川家の信頼が篤く、交通の要衝である伊賀・伊勢を任されたほか、家康臨終の際には外様大名で唯一枕元にはべることを許される等、これと見込んだ主君にはその全身全霊をかけて仕えた「忠義の人物」でした。

また、芸事にも理解が深く、高虎公と伊達政宗が能楽主催の双璧であったとの記録もあり、能楽「喜多流」を後見する等の文化人でもありました。甲良町ではこれにちなみ、高虎公を主人公として全国初の新作能「高虎」を制作し、昨年初演が行われたところです。

藤堂高虎像

▲高虎公園に建つ藤堂高虎像(在士地区)


●「日光東照宮造営の大棟梁」甲良豊後守宗廣

「甲良豊後守宗廣」公は現在の甲良町法養寺地区に生まれ、後に徳川家から重用された匠頭です。甲良家は京で活躍する建仁寺流の工匠であり、祖父は安土城の築城にも関わる等、近江を代表する大工集団棟梁の家系でした。

宗廣公は甲良大工の棟梁として、江戸初期を代表する建築物を数多く手掛けています。主なものとして、江戸城天守閣の建築や鶴岡八幡宮、上野寛永寺五重塔等の造営に関わり、特に“日光見ずして結構というなかれ”との格言も残す日光東照宮は宗廣公の指揮した寛永の大造替の姿を今に残しています。

これらの事業により宗廣公は江戸幕府の建築関係の技術頭である「作事方大棟梁」となり、以来甲良家の家職となって明治に至るまで様々な事業を執り行っています。

甲良豊後守宗廣銅像

▲甲良豊後守宗廣銅像


これら甲良三大偉人を輩出したように、深い歴史とともに地域の文化を育んできたことによる「豊かな歴史文化」が蓄積されていることも、私たちの町の大きな特徴です。

甲良の歴史資源、地域資源を活用する3拠点

全国的な少子高齢化が進む中、本町でも同様に人口減少が喫緊の課題となっています。また、かつて「せせらぎ遊園のまちづくり」の第一線で活動してこられた方々も、世代交代されてきています。

このような人口減少・高齢化による地域の担い手の減少を見据え、甲良町では地域の資源を活用した「拠点」づくりが必要であると考え、地元団体等と協議を進めてきました。

その成果として、国の地方創生関係補助金も活用しながら、既にあった任意団体を法人組織に改組するなどし、「水と農業」「豊かな歴史文化」を活用した地域の活性化のため、三つの施設を整備しました。


●藤堂高虎公がシンボルの観光交流拠点「和の家」(甲良町在士地区)

「藤堂高虎ふるさと館 和の家」は、地区内の古民家を改装し、地域住民組織「一般社団法人 藤堂高虎公顕彰会」により運営されています。戦国武将として活躍し、津藩32万石の大大名となった藤堂高虎公の資料展示のほか、飲食や「おくどさん」体験等の体験プログラムの提供、グッズ販売等、観光や情報発信の拠点となっています。

和の家外観

▲和の家外観


≪藤堂高虎ふるさと館 和の家≫

住所:〒522–0244

犬上郡甲良町大字在士474番地

TEL/FAX:0749–29–9033

定休日:火・水曜日(その他季節休業あり)

HP:http://wanoya.net


●農業者運営の食の拠点「野幸」(甲良町金屋地区)

甲良町金屋地区は犬上川から最上流の灌漑用水「一の井」があった地区であり、農業が盛んです。「野幸」は地元で毎年開催される子どもの誕生を祝う伝統行事で奉納される、草花や野菜等による造形物(つくりもん)である「ヤッサ」の語源となった言葉です。

食の拠点「野幸」は「農事組合法人ファームかなや」が運営し、地元住民が生産した野菜をふんだんに使った四季折々の手作り「田舎ランチ」が味わえる農家レストランのほか、弁当や加工品の販売、配食サービス等を展開しています。

おだいどこ野幸店内

▲おだいどこ 野幸店内

野幸ランチ

​▲野幸ランチ


≪おだいどこ 野幸≫

住所:〒522–0253

犬上郡甲良町大字正楽寺543番地

TEL/FAX:0749–20–7077 定休日:月・火曜日

HP:http://www.yasachi-kanaya.com


●六次産業拠点「ゆずのだいどこ」(甲良町長寺西地区)

当地区の伝統として「ゆず」を食する文化があり、地元住民が自分たちで丘陵地にゆずを植え果実を収穫していました。しかし、たくさんあった果実すべてを消費することができなかったことから、地元有志が立ち上がり、ゆずの生産から加工、販売までを一体に行う六次産業施設「ゆずのだいどこ」が出来ました。ここではゆず加工品販売、ゆずを利用した料理や、かき氷等の提供もされています。

ゆずのだいどこ(外観)

▲ゆずのだいどこ(外観)

ゆずのだいどこ(スタッフ)

▲ゆずのだいどこ(スタッフ)


≪ゆずのだいどこ≫

住所:〒522–0261

犬上郡甲良町大字長寺714番地3

TEL/FAX:0749–38–3148 営業日:金・土曜日のみ

HP:http://yuzunodaidoko.net


甲良町としては、今後も地域資源を活用し、地域の活力を高めるため、地元の皆さんのご協力を得ながら地域活性化のための整備をしていく予定です。