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長崎県波佐見町/陶器と農業の町 波佐見町 ~「陶・農」兼業によるライフスタイルの提案~

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年4月20日更新

 

展望台から眺める鬼木棚田

展望台から眺める鬼木棚田​


長崎県波佐見町

3117号(2020年4月20日) 全国町村会 前田 夏樹


地域農政未来塾 生源寺眞一塾長が訪問

長崎空港から車で1時間。南国の雰囲気が漂う海沿いを走り、さらに内陸へ進むと緑豊かな町、波佐見町に辿り着きます。

このたび、地域農政未来塾の生源寺眞一塾長(福島大学教授)が波佐見町を訪問。地域農政未来塾第3期にて最優秀論文を受賞した今里奎介氏(農林課)を訪ね、町の取り組みや、今里氏が論文において提唱した「陶・農」兼業によるライフスタイルについて話を伺い、町の視察を行いました。

地域農政未来塾とは

地域農政未来塾とは、平成28年度に開講した全国町村会が主催する若手町村職員向けの研修です。毎年約20名、5月から翌年1月にかけて、毎月1回2日間にわたり、合計36コマのカリキュラムを提供しています。6月からは4つのゼミに分かれ、論文執筆に向けた指導やディスカッションを行うとともに、泊りがけの現地調査も行います。受講生は年明けに約1万字の論文を執筆し、20分間の論文発表を行い修了となります。

今里氏は、この論文において波佐見町の特色である窯業と農業の兼業による新しいライフスタイルを提案。担い手不足に直面する町の基幹産業に対し、定年後に移住してくる方や子育て世代をターゲットに、町の持続的発展につながるライフスタイルを提唱しました。

波佐見町の概要

波佐見町は長崎県のほぼ中央、東彼杵郡の北部に位置し、人口14、652人(2020年2月末時点)、面積56・00㎢の町です。東側(旧上波佐見町)は窯業を、南側(旧下波佐見村)は農業を中心に発展し、長崎県内で唯一海に面していない町です。昭和31年に上波佐見町と下波佐見村が合併して誕生し、平成の大合併においても近隣市町との合併をせずに、現在の町政に至っています。​

窯業の町

波佐見町は、約400年の伝統を持つ全国屈指の「やきものの町」として栄えてきました。全国の一般家庭で使われる日用食器の約15%は波佐見町で生産され、「波佐見焼」の名称で親しまれています。1990年代前半には、全国の生活雑器の1/4から1/3のシェアを占めたこともあり、毎年5月上旬に開催される「波佐見陶器まつり」は、多くの来場客でにぎわい、令和元年には全国から31万6千人もの来場がありました。現在、町内には陶磁器に関する約400の事業所があり、町内の約2、000人が窯業関係の仕事に携わっています。

波佐見焼の生産技術は朝鮮半島から伝わったとされ、慶長3年(1558年)、文禄・慶長の役に参加した大村藩主・大村喜前が陶工の李祐慶を連れ帰り、町内各所に登り窯を築いたことから、波佐見焼の産地化が始まりました。その後、今日に至るまで日用食器として栄え、大量生産・大量出荷を主とする生産・販売スタイルにたどり着きましたが、平成初期のバブル崩壊が引き金となり、販売量が大きく減少。現在は、陶磁器の原型となる生地を作る生地屋の後継者不足による分業体制のバランス崩壊も懸念されるなど、課題は山積しています。

農業の町

波佐見町は県内有数の米の産地で、昭和40年代より陶磁器生産との兼業が始まりました。近年は農業の近代化にも力を入れ、県営圃場整備、農村総合整備モデル事業なども県下で第1号として実施。水田面積650haのうち約83%の区画整理が完了し、大型農機による作業とライスセンターを結んだ米麦一貫作業体制が確立されています。これによって生じる農家の余剰労働力は、地場産業である陶磁器関連産業への就労と結びつき、農工一体となって発展を続けています。

一方、都市部への人口流出や高齢化による担い手不足が進行しており、農家総数は昭和45年の1、371戸をピークに年々減少。平成27年には654戸と約半数になりました。また水稲を中心に栄えてきたため、国内消費の米離れや減反政策の廃止等による農家の苦悩が深刻になっています。

賑わいの創出

●鬼木棚田

鬼木棚田は、「日本の棚田百選」に選ばれた名勝地です。鬼木は虚空蔵山の裾で馬蹄形に開けたところですが、その斜面には石垣で畔を築き、棚田が段々に重なっています。近年の圃場整備で、田んぼの広さや形は耕作に便利となりましたが、下から見上げると山裾まで何十段にも重なっています。展望所や山合の景観スポットから一望する風景は、まさに絶景です。毎年9月には「鬼木棚田まつり」が開催され、100体超が出展される案山子コンテストや棚田ウォークラリー、枝豆収穫祭など、多くの賑わいが生まれるスポットとなっています。

また棚田の中心地にある鬼木加工センターでは、地元の農産物を使い、農家の主婦たち手作りの無添加・無着色の特産物が販売されています。鬼木の棚田米、波佐見町産大豆によって作られた「鬼木合わせ味噌」や、その味噌をふんだんに使った味噌漬け「鬼木清流漬け」等が人気を博しています。

鬼木棚田

▲鬼木棚田


●西の原

西の原は波佐見町にある福幸製陶所跡地です。現在は国の有形文化財の建物で、カフェやレストラン、雑貨店が立ち並ぶ波佐見町を代表する観光エリアになっています。

西の原は焼物を作るのに適した斜面のある地形で、以前は幸山陶苑という江戸時代から続く窯元が営む製陶所「福幸製陶所」があり、平成13年に廃業するまで、十代にわたり波佐見焼を生産してきました。波佐見焼の特色である大量生産を行うための大きな特徴として、成形、型起こし、絵付け、窯焼とそれぞれに作業を発注する分業体制を取ることが挙げられます。昭和元年に八代目、福重武次郎氏によって西の原へ移築されたこの福幸製陶所には、事務所、細工場、絵付け場、釉薬精製所、登り窯があり、 敷地内ですべての生産が可能という貴重な製陶所でした。

現在の西の原は、歴史と趣のある建物を利用し、約1、500坪の敷地内に、輸入雑貨やユニークな画材等を取り扱うショップから、おしゃれな内装とメニューが特色のカフェ・レストラン、地元のお母さんたちがにぎるおにぎり屋さんなどが立ち並んでいます。元ろくろ場はギャラリーコーナーとなり、スペースの広さを活かした展覧会やライブ、ワークショップを開催。その他、波佐見焼のデコレーション体験施設や、倉庫を活用したボルダリング施設まで幅広いレジャー施設があります。平成24年2月に国の有形文化財に、同年5月には県のまちづくり景観資産に登録されました。元製陶所として使用されていた当時の面影を残しつつ、全く新しい空間として再生され、インスタグラムなどのSNSでも話題になるなど、若者を中心に人気のスポットです。

西の原の入り口

▲西の原の入り口

西の原 カフェの外観

▲西の原 カフェの外観​

倉庫を活用したボルダリング施設

▲西の原 倉庫を活用したボルダリング施設​


●陶房 青

1644年に始まったとされる陶郷「中尾山」での陶磁器生産。現在でも20程度の窯元・商社が陶郷としての歴史を守っています。中尾山のほぼ中央、石畳の細い路地を上がる途中に佇むのは「陶房 青」です。窯元の吉村聖吾氏は19歳の若さで窯業の世界に入り、父親の後を継ぎました。現在「陶房 青」では、大学を卒業したばかりの若者から絵付け歴30年を誇る大ベテランまで、10人の職人が働いています。窯元の吉村氏は、一日に約50個もの陶器を作っています。今は機械でもっと簡単に作ることができますが、味を出すため、今も一つひとつ丁寧に手で作っていると話されていました。

陶磁器づくりは、まずろくろや押し型を使用して形を作る成形の後、乾燥させてきれいにしてから1、000℃の熱で素焼きをします。下絵付けを行った後、汚れや水漏れを防止する釉薬を施し、1、300℃の熱で本焼きをすると、釉薬が溶けて絵具が発色します。その後さらに上絵付けを行い、検品をして完成します。陶磁器づくりの働き手は地元よりも町外出身者が多く、ヨーロッパなど海外から来る方もいます。多くの働き手は技術を覚えると地元で開業するなど独り立ちしますが、実際に成功するのは10人に1人程という厳しい世界です。

陶郷「中尾山」

▲陶郷「中尾山」

陶磁器づくりの様子

▲「陶房 青」窯元 吉村聖吾氏

「陶房 青」の内観

▲「陶房 青」の内観

新しい「陶・農」兼業による ライフスタイル

地域農政未来塾第3期生の今里氏は、窯業・農業共に担い手の確保が急務であることに鑑み、従来から行われてきた陶農兼業とは違う、外部から人を呼び込むための新しい「陶・農」兼業によるライフスタイルを論文で提唱しました。ターゲットを「定年後移住型」と「子育て世代移住型」に絞り、それぞれの経済面・生活面を考察。サポートを行った上で町外部への魅力発信を図っていくという提案です。

ターゲットの一つである「定年後移住型」では、経済面では年金にプラス5万円の月収を得ることができる体制づくり、生活面では農機具のシェアリングサービス等、行政がある意味では便利屋として機能するスタイルを提起。セカンドライフの充実を念頭に置きます。一方もう一つのターゲットである「子育て世代移住型」は、「継業」によるトレーナー制度の実施やハウス団地の建設等のサポートを行い、アスパラガスを中心に農閑期に窯業を行うスタイルや、窯業を中心に水稲作の週末農業を行うスタイルを提起。町からの補助金を活用した経済的支援も行います。生活面では、地域コミュニティの形成に係る行政サポートを行い、移住者の負担を軽減。子育て世代は、生活を成り立たせるために経済面のサポートを重視し、移住者に職業選択の幅を持たせます。

近年U・Iターン者による古民家カフェやレストラン開業、SNSでの注目など、外部からの波佐見町の評価が高まっています。また農業においては、米づくり体験や酒造り体験を通じた関係人口の増加、窯業では作業場を観光資源として生かす観光施設企画など、町の魅力発信につながる新たな胎動が町内で生まれています。それらを活かし、波佐見町の魅力を多方面で情報発信していくことで、移住者を呼び込み、さらに定住させていく。これが新しい「陶・農」兼業によるライフスタイルの鍵です。今里氏の提案に、生源寺塾長を始め地域農政未来塾からも、未来につながる期待が寄せられています。

町長室

▲町長室で一瀬町長(中央)の話を聞く生源寺塾長(左上)

論文発表を行う今里氏

▲役場で論文発表を行う今里氏

おわりに

波佐見町を知らない人たちに対し、どのようにして知名度やブランドを上げていくか。東京都浜松町では、このようなテーマのもと、波佐見町のファン拡大を目指し、波佐見焼プロ養成講座が毎年開催されています。町づくりで大切なのは中長期な「意識改革」と「人づくり」と一瀬政太町長は言います。「それはすぐに成果が出るものではなく、10年はかかる」、「今は販路がインターネット中心に変わってきていて、30代・40代といった若い世代が強い」と話されていました。

今里氏を始め、若い世代が盛り上げていくこれからの波佐見町。今後益々目が離せず、期待が膨らみます。皆さま、ぜひ一度波佐見町へ足を運び、その魅力を味わってみてください。