真鶴の港を上から望む風景
神奈川県真鶴町
3095号(2019年9月30日) 真鶴町長 宇賀 一章
真鶴町は、神奈川県の南西部に位置し、南北に約7km、東西に約1km、人口7、344人(平成27年国勢調査)の小さな港町です。箱根火山の南東側外輪山麓と、相模湾に突き出した小半島から構成されています。
黒潮が流れ込み、冬でも暖かい風を生む相模湾に向かって傾斜する町土ですが、陽光をさえぎるものは無く、豊かな緑が澄んだ空気を作り出しています。半島部分と東部の新島高地との中間に広がっている南東斜面が真鶴町の中心となっており、この地域は、さらに小起伏により、真鶴地区と岩地区に分かれています。
こうした美しい町並みが、永きに亘って港の町の歴史を培ってきました。
真鶴の港を上から望むと、 港を中心にすり鉢状に建物が広がっています。屋根の色はさまざまですが、地形に沿って家が並び屋根も地形にそった形をしています。大きなマンションが空に突き出したりはしていません。さらにひとつひとつの家と家の間をよく見ると、そこには緑があり、どこか安心で、懐かしい風景が今もなお残っています。
しかし、この風景が壊れてしまうかもしれない出来事がありました。それが「リゾート法」の施行です。近隣の市町で次々とマンションが立ち並び、真鶴町にもこの波が押し寄せてきました。地価がどんどん上がっていく中で、多くは人が住むためではなく、投資目的の建設が多かったそうです。
そして、この時一番の問題だったのが「水」でした。もともと水源に乏しい真鶴町は、隣町から一部の水を供給していたため、町民は、マンション建設により人口が増えることで、さらに水が不足し、日常の生活が崩れてしまうのではという大きな不安を抱いていました。
その中で当時、リゾートマンション建設反対派の町長が当選しました。就任3か月の速さで制定したのが「給水規制条例」で、「ある一定規模以上の開発に対して新たな水の供給を行わない」というものでした。そして次の対策として行われたのが、美の基準を含むまちづくり条例の制定でした。
まちづくり条例は3つの柱で構成されています。
1つ目は、「土地利用規制規準」。
土地の利用方針を、真鶴町の特性や地域の状況に合わせて細かく定めていくものになっています。
2つ目は話し合いのルールを定めた「建設行為の手続き」です。
建物を建築したり、土地を造成したりするときに、事業者が町や町民と話し合い、合意にいたるまでのルールを定めています。話し合いを重ねることで、互いの意見に寄り添った建物が建つのもまちづくり条例の特徴です。
そして3つ目の柱こそ、まちの美しさを定めた『美の基準』。
この美の基準はBEAUTIFULの美ではなく、真鶴のLIFEを言葉にして集めたものになっています。この美の基準をつくるにあたっては、建築家、弁護士、都市計画家に協力を仰ぎました。その際に参考にしたのが、クリストファー・アレグザンダーが提唱した『パタン・ランゲージ』、チャールズ皇太子の『英国の未来像-建築に関する考察-』、そして条例制定前の1989年度に行われた住民による地域資源の掘り起こしイベント「まちづくり発見団」の成果(報告書)です。これらを活用し、固有の美を拾い上げ作り上げてきました。
美の基準の冊子
では、美の基準を詳しく説明していきます。美の基準は1冊の本にまとめられています。ページを開くと「本デザインコードは、町、町の人々、町を訪れる人々、町で開発をしようとする人々がそれぞれに考え、実行していくべき小さなことがらをひとつひとつ綴っています。」という言葉があり、そしてさらにページをめくっていくと8つの基準が書かれています。
◇場所 建築は場所を尊重し、風景を支配しないようにしなければならない。
◇格づけ 建築は私たちの場所の記憶を再現し、私たちの町を表現するものである。
◇尺度 すべての物の基準は人間である。建築はまず、人間の大きさと調和した比率をもち、次に周囲の建物を尊重しなければならない。
◇調和 建築は青い海と輝く緑の自然に調和し、かつ町全体と調和しなければならない。
◇材料 建築は町の材料を活かして作らなければならない。
◇装飾と芸術 建築には装飾が必要であり、私たちは町に独自な装飾を作り出す。芸術は人の心を豊かにする。建築は芸術を一体化しなければならない。
◇コミュニティ 建築は人々のコミュニティを守り育てるためにある。人々は建築に参加するべきであり、コミュニティを守り育てる権利と義務を有する。
◇眺め 建築は人々の眺めの中にあり、美しい眺めを育てるためにあらゆる努力をしなければならない。
そして、8つの原則のなかに、69のキーワードがおさめられています。いくつか紹介していこうと思います。
美の基準キーワード「眺め」
●静かな背戸
美の基準のキーワードは前提条件、解決法があり、事例写真や絵で構成されています。
静かな背戸の前提条件を紹介したいと思います。
前提条件では静かに散策できる場所という背戸道の要素や特徴を示しており、解決法において、建物により騒音から背戸道が守られたり、自然の生態系を保全し、それらが活きづくよう演出したりすることを求めています。
美の基準キーワード「静かな背戸」
●実のなる木
真鶴町は、柑橘業が盛んな場所であることから、町のいたるところに蜜柑の木や檸檬の木が植えられています。この豊かな象徴として美の基準でも「実のなる木」というキーワードで綴られています。
●豊かな植生
真鶴町には「お林」とも呼ばれる真鶴半島自然公園があります。樹齢350年以上と言われるクロマツやクスノキ、スダジイ等の巨木や多くの植物が生い茂っています。
いくつもの遊歩道があり、野鳥のさえずりに、森林浴や自然観察を楽しむことができます。
また、お林の「照葉樹林」は、魚を育てる森といわれ大切に守られてきました。神奈川県の天然記念物に指定されています。
●まつり
毎年7月27日、28日の両日、日本三大船まつりとして国指定重要無形民俗文化財に指定されている「貴船まつり」が開催されます。豊漁・無病息災を祈願する真鶴伝統の祭礼です。小早船や神輿の海上渡御、鹿島踊り奉納など豪華さと伝統を兼ね備えており、華やかに飾り付けられた船が海を渡る姿は祭りの花形となっています。このように真鶴町の文化が綴られているのも美の基準の魅力のひとつでもあります。
貴船まつり
まちづくり条例が施行後、ある問題が起こりました。岩のある敷地でマンション計画があり、建築基準法上では違反にはならないが、まちづくり条例では違反になるという相互のズレが生じる案件がありました。その相互のズレをなくすために景観法を策定し、まちづくり条例を中心とした景観づくり、緑の保全・育成、観光振興との連携、公共施設からの景観形成など、多様な主体との一体的な推進を今後重視する景観づくりとして明確に示しました。
美の基準ができて約25年。この美の基準が今ひとつの価値となってきています。この美の基準の魅力を知り、移住者が増え、その移住者がSNSなどを通じて魅力を発信したことで美の基準がたくさんの人に知られるようになりました。
リゾート法が施行され、変えないことを選んだ真鶴町は、今その価値が少しずつ若い人たちから共感を得るようになってきました。
美の基準の69のキーワードは現在までひとつも変わらずに継承されてきました。そして69番目のキーワードの「眺め」はこんな解決法になっています。
真鶴町がいつか自然と人のユートピアとなるように願うこと。
美しい世界を一人ひとりが具体的に想像すること。
美しく豊かな眺めはそれぞれの心から創られる。
美の基準は真鶴町にとっての「共通言語」になっています。その共通言語をよりたくさんの人に知ってもらうことが、これから重要になってくると思います。共通言語があるからこそ対話が生まれ、新しいカタチが生まれ、それがまた価値となる。そんな美しいサイクルがこれからも引き継がれていくことを確信しています。