ドローン使用により撮影した加悦谷平野
京都府与謝野町
3072号(2019年3月4日) 与謝野町 企画財政課
与謝野町は、総面積108・38㎢の範囲に約2万1千人が暮らしており、南北約20㎞の間に町並みや集落が連なる、住民の顔が見え、住民の声を聞くことができる、まとまり良い地域です。大江山連峰をはじめとする山並みに抱かれ、野田川流域に広がる肥沃な平野から、天橋立を望む阿蘇海へ流れるように続く景観は、四季折々に美しい姿を作り出します。春は新緑、夏はひまわり、秋は黄金色の稲穂と紅葉、冬には季節風の「うらにし」による雪と、季節毎で味わいある自然美が堪能できます。
日本海に面した丹後半島の尾根を背に、南は福知山市、東は宮津市、北は京丹後市、西は兵庫県豊岡市に接し、国道176号、178号、312号の結節点であり、交通の要所です。京都市から北西へ約80㎞に位置し、京都縦貫自動車道、山陰近畿自動車道を利用し、京都市内からも車で約1時間30分の距離にあり、季節に応じて都市部からも多くの方が遊びに訪れます。
与謝野町の誕生は、平成18年3月1日にさかのぼります。旧加悦町、旧岩滝町、旧野田川町が合併し発足した町で、町名は与謝蕪村、与謝野晶子など文人ゆかりの地であることに由来します。丹後半島の基部に位置することで、古代より大陸から渡来した文化や文物などが、この地を経由して近畿中央部へ向かったといわれます。その結果、わが国最多の管玉を出土した日吉ケ丘貼石墓(国史跡)や、2000年前に鉄加工をしていた日吉ヶ丘遺跡(国史跡)、ガラス釧(腕輪)や多数の銅釧などを出土した大風呂南墳墓群があります。さらに、日本海三大古墳の一つである蛭子山古墳(国史跡)があり、古代ヤマト政権との強い関係をうかがわせる地域です。中世には、「丹後精好」と呼ばれる武士の袴地に使用する厚手の絹織物が特産となります。近世の享保7年には、山本屋佐兵衛、手米屋小右衛門、木綿屋六右衛門が、西陣からちりめんの製織技術を導入したことで、「撰糸」と呼ばれる薄手の絹織物業が一気に広がり「丹後ちりめん」発展の礎を築きました。
このように、本町は日本海と内陸地帯を結ぶ地として、古代には鉄生産、中世からは絹織物が繁栄し、「丹後ちりめん」の主要産地として栄えてきました。これらの文化や歴史を後世に伝える「ちりめん街道」は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、平成29年4月に「300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊」として、宮津市・京丹後市・伊根町の有形・無形文化財とともに日本遺産に認定されました。近年では、近海で取れる魚のアラと町内の豆腐工場から出るおからを主原料とする、100%天然素材の有機質肥料「京のまめっこ」を製造し、自然循環農業の推進により、米や農作物のブランド力の引き上げをおこなっています。
日本遺産認定を受けた「ちりめん街道」
誇れる文化と産業のある本町ですが、課題もたくさんあります。平成12年に1万3631人だった町内就業者数が、平成27年には1万1132人となり、これに足並みを合わせるように事業所数も減少し、地場産業は衰退の一途をたどっています。さらに、団塊世代が75歳となる平成37年には三人に一人が65歳以上の高齢化地域となり、団塊ジュニア世代が75歳となる平成54年頃には、さらに少人数の若者によって多数の高齢者を支えなければならない超高齢化地域になります。
このような人口減少と少子高齢化による問題は、本町だけが直面しているもの(わけ)ではありませんが、人手不足による経済規模の縮小や空き家問題などにより、町財政を圧迫し、地方自治そのものの維持が厳しくなることが想定されています。
これらの課題は、一人で解決できるもの、多くの方が関わり解決できるもの、また行政でなければ難しいものなど多岐にわたります。そこで本町は、これらの課題を解決し未来へとつなげていくために「自分たちのまちは自分たちでつくる」という意識を持ち、的確に対応していくための「まちづくりの設計図」として、第二次与謝野町総合計画を平成30年に策定しました。
策定にあたり、縮小傾向を示す地域でも、人と地域が輝き、老若男女がイキイキと暮らせる 「未来志向」によるまちづくりとして、その基本理念に3つの「み」を揚げました。「みんな」の手で進めるまちづくり。将来世代のための「みらい」志向のまちづくり。実現に向けた動きが「みえる」まちづくり。この3つの「み」をキーワードに、住民と行政がそれぞれの役割を理解し、共有することを基礎としています。
具体的には、自分でできることは自分でする「自助」、地域でできることは地域でする「共助」、行政が行う「公助」、そして企業・事業所の地域貢献である「商助※」です。これらの「助」がそれぞれに補完し合い、協働していく環境づくりが、現在の人たちが未来の人のためにおこなう「まちづくり」としています。
住民を交え実施された、第二次総合計画策定会議の様子
与謝野未来新聞
今後、日本全体で人口減少が進むことが予測されるなか、本町では人口減少を前提として、この課題にどう対応するべきかを念頭においた戦略的なまちづくりをおこなっています。これまでの行政主導によるまちづくりではなく、住民や本町に関わりを持つ人を「町の財産」と考え、互いに新しい価値を生み出すパートナーとなることが、町を持続可能にする新たな可能性と考えています。このことは、地方創生における地方版総合戦略において、最も重要なものが「ひと」であり、次いで「しごと」と、「まち・ひと・しごと」ではなく、優先的に取り組むべき対象順に「ひと・しごと・まち」に並び替えた、「与謝野町ひと・しごと・まち創生総合戦略」にまとめています。
しかし、人づくりを優先とする本町には大学などの教育機関がありません。そのため、日常生活において高いレベルの教養を身に付ける機会が限定的でした。そこで、住民が広いテーマで高度な内容を学ぶことができるリベラルアーツ事業を、総合戦略策定前の平成27年度に開始しました。事業は、大学等で教鞭をとる方を講師招聘するアカデミックな内容で好評を得ていました。しかし、総合戦略策定とともに、これまでよりも本町の未来を担う人に対し、訴求するテーマや内容を提供していくべきとして再考しました。
総合戦略では、有機質肥料「京のまめっこ」を活用した自然循環農業の推進とともに、6次産業化を見据えたホップなどの作物の栽培を推進する「まめっこプロジェクト」。与謝野町の美しい自然環境が生み出す水を活用し、真の意味での地ビール醸造を可能とする環境づくりの「クラフトビール醸造プロジェクト」。本町を代表する基幹産業の絹織物業を、養蚕の段階から管理することで織物業全体の可能性を広げる「シルクプロジェクト」。天橋立の内海「阿蘇海周辺」を、本町の魅力を体感できるエリアに再構成する「阿蘇ベイエリアプロジェクト」。加えて、これらのプロジェクトを「みえるまち」のコンセプトのもと、町内事業者とともに産業振興により与謝野町の魅力を向上させる政策の「与謝野ブランド戦略」があります。これらの戦略的プロジェクトを、効果的かつ円滑に作用させる基礎を担う施策として、学びと交流による「人づくり」の場として「よさのみらい大学」を平成29年度に開始しました。
町外からの参加者も多い与謝野ホップ収穫体験
与謝野ブランド戦略推進の象徴としてデザインされたロゴマーク
よさのみらい大学ロゴマークは、「交流・繋がり・伝統」のイメージでデザインされています
総務省「公共施設オープン・リノベーション推進事業」により、キッチン・ラボを含むコワーキングスペースとして生まれ変わった「産業創出交流センター」は、よさのみらい大学の講座会場として数多く利用しています
地域資源として眠っていた醤油倉庫をリノベーションし、多目的スペースとして再生した「nest」
「nest」にて実施された講座での、受講者同士による交流時の一コマ
よさのみらい大学は、学校教育法上で定められた正規の教育機関ではなく、行政による未来に向けた人材育成事業です。「与謝野町全体をキャンパスに見立て、学びを通して新しいモノやコトを発見し、未来を描き行動する『人』の育成」を事業コンセプトに、4年制大学の構造に倣った形態で運営しています。
多くの方に見識を広げる機会を提供する「リベラルアーツコース(一般教養課程)」、総合戦略の各種プロジェクトとの連携を踏まえた「YOSANOブランド戦略 ビジネス学部(専門教養課程)」、地域と行政が一体となり、住民視点によるまちづくりの礎を構築する「地域づくり学部(専門教養課程)」の、1コース2学部です。講座は、それぞれの特性に応じた内容で構成され、リベラルアーツコースを事業全体の入り口講座とすることで、受講者の窓口を広げ、各学部講座に繋がるように組み立てています。また、講座ごとに受講者同士の交流を主目的とする時間を設けるとともに、受講者にとって有意義な時間となる雰囲気づくりを心掛けています。
こうした創意工夫は、行政だけではない民間による力が大きく関係します。本事業は、民間運営による行政の事業ですが、本町の現状を理解し、本町の未来を考え、「町のためになる」ことを第一とする民間事業者と協働で実施することを重視しています。その結果、行政立案の事業構想を自由に発展させ、本町の未来を担う人のニーズに応える企画の実現に繋がりました。事業を開始した平成29年度は、受講者数が延べ900人を超え、新規受講者の割合も講座ごとに約30%増となりました。また、当該事業のような講座形式の事業で最も懸念される「一度限り」といった継続性の課題においても、多くの受講リピーターを獲得する結果となっています。
これを受け平成30年度事業では、前年度以上に幅広い層が集いやすいオープンでフラットな場づくりと事業展望を踏まえた運営をすることで、事業開始から約半年で与謝野ブランド戦略の農商工連携による地場産品とキッチンカーを活用する移動販売といった新たなビジネスが芽生えてきています。
本町では、今後も「人が育ち、仕事が生まれ、地域が発展する」みらいの設計図の実現に向けて、各種プロジェクトを一貫性のある大きな枠で結びつけ、与謝野を織りなす人が育む地域内循環による「与謝野町の、住民による、未来のための『まちづくり』」を推進していきます。
※商助…企業・事業所が地域への貢献に努力すること。企業・事業所の「自助」は経済活動を通じて収益を維持・増加することであることから、与謝野町では環境や福祉・教育、男女共同参画など様々な分野での「地域貢献」を表すため「商助」という言葉を第一次与謝野町総合計画から使用し継承している。