純木造の役場庁舎
岩手県住田町
3071号(2019年2月25日) 全国町村会経済農林部 松林
東北新幹線・水沢江刺駅から東へ車で40分ほど、気仙川に沿って国道を進むと、四方を山に囲まれた平坦地が広がる。そこに山の稜線を背景に建つ純木造建築物がこの町の役場庁舎だ。近づくと「森林・林業日本一の町づくり 住田町」という看板が視界に入る。庁舎は外観のみならず細部にわたり木材が多く用いられており、高い耐震性と耐熱性を実現している。中に入ると木の香りにつつまれ、ここが林業の町であることを実感する。
2018年8月、全国町村会が主催する地域農政未来塾(塾長:生源寺眞一福島大学教授)の皆川芳嗣運営委員長(㈱農林中金総合研究所理事長)が岩手県住田町を訪問した。同塾修了時の研究論文で最優秀賞を獲得した同町職員の松田誉至氏(農政課)を訪ね、塾で学んだ成果やその後の取組などについて伺うためである。
地域農政未来塾は、地域の課題に対して分析や問題提起、行動できる町村職員を育成することを目的に2016年に開塾。各年度5月から翌年1月にかけて概ね月1回程度開講し、各界を代表する有識者を講師に迎え、講義や少人数形式のゼミナール、現地調査などを行っている。農政のみならず地域づくりを担当する若手・中堅職員を対象に毎年度約20名を塾生として受け入れており、修了時にはゼミ講師の指導の下、研究論文を執筆する。
松田氏が研究論文のテーマに選んだのは「『住田型農業』の過去・現在・未来」。高度成長期以降、オイルショックなどによるエネルギー革命、都市部への人口流出、バブル崩壊以降の不況など、様々な社会情勢に翻弄されながらも特徴的な農業経営を確立し続けてきた「住田型農業」の変遷をたどり、現在の動向を精細に分析、後継者確保や地域の持続的な発展のために今できることを提言した。この未来への建設的な提案は、地域のみならず農村全体の将来を展望するものとなっており、高く評価されたのである。
町総面積の90%を森林が占める住田町は「森林・林業日本一のまちづくり」を目指している。林業は地域の産業振興の中核を担っており、伐採から製造までの一連を町内ですべて行うシステムを構築し、川上から川下までの木材流通に注力している。また、林業関係者と協力し、森林資材の有効活用、雇用創出を図っており、地域市民と一体となった地域振興を実施している。役場庁舎に隣接する消防署にも木材が豊富に活用されていた。
再生可能エネルギーの導入にも積極的だ。役場庁舎には木質ペレットボイラーによる冷暖房が導入され、循環型資源としての木材の可能性に着目していることがうかがえる。このほかトップライトを活用した自然換気機能、LED照明や人感センサーの採用による電気の節約、ソーラー街路灯の導入による自然エネルギーの活用など、省エネルギー化に資する設備導入が行われている。
農業では、キュウリやイチゴをはじめとする園芸作物、ブロイラーや養豚などの畜産物を生産。換金性の高い作物を作り、狭い面積の中で高い生産性を得るため、町独自の安全・安心農産物認証表示制度を設けて農産物の価値を高めるなどの工夫が施されている。また、地元農産物を学校給食に使用することで地産地消の推進も実施。認定農業者、認定志向農業者への継続的な支援も行われ、様々な制度(国、県、町の制度)を合理的に組み合わせることで、地域農業の持続的な発展を目指している。
役場庁舎遠景
松田氏(右)が町の概要を説明
役場庁舎で神田謙一町長、多田欣一前町長と皆川運営委員長が町の現状と課題、将来展望などをテーマに意見交換を行った。2017年より現職の神田町長は、同町出身で獣医師免許を持つ。農協職員、住田フーズ㈱常務取締役などを歴任。町長就任後は、住民参加型のまちづくりを目指し、町民と行政がともに知恵を出し地域のことを考え、協働することの重要性を強調している。役場を訪ねる住民が居心地よく過ごせるよう最大限配慮し、町長室はやや控えめな間取りとなっている。町長の住民への思いやりが庁舎からも感じられる。
住田町には特徴的な条例がある。2017年6月に制定された「こざっぱり条例」というものだ。「飾り気がなく清潔感にあふれ、見る人に安らぎや快適さをもたらす様相」を「こざっぱり」と表現し、身近な里山景観を町民が主体的に守り、未来へ引き継ぐことがこの条例の目的だ。「全部を一度にやろうとすれば疲れてしまう。小さなことでもできることから確実にやっていくことが大切だ」と、前町長の多田氏は語る。
先述のとおり、住田町は林業の町。産業としての林業振興のみならず、森林と人間の共生を意識した人づくりを重視し、保育園児から大人までの幅広い年代を対象とした森林体験学習「森の保育園」を実施するなど、森林を身近に感じ、その価値を残し伝えていくことの重要性が受け継がれている。地元の高校生やボランティア「森の案内人」が保育園の活動を手伝い、四季折々の自然を楽しみながらの地域・世代を超えた交流も盛んだ。「森の保育園」は好評を得ており、他地域から参加を希望する声も多く聞かれる。「誰もが木に育てられていることをわかってほしい」と多田氏は語り、愛用している木製の名刺入れを披露した。「幼少期から木のある生活を経験することで、地域に暮らす人が木材資源の大切さを理解し、生産者や加工者に対する理解や、木の文化の伝承につなげようとする」…この思いは多田氏から神田町長に引き継がれ、木育の取組が今後も幅広く展開されることが期待される。皆川委員長は「今は都内のマンション住民だが、内装に木を多く使っている。木の香りのする生活を大切にしている」と応じた。素材を通して生産者を思う生活スタイルもまた、場所にとらわれない都市と地方のつながりといえるのではないだろうか。
木造の役場庁舎内
懇談の様子(右から多田前町長、皆川運営委員長、神田町長)
松田氏が提案する新しい「住田型農業」は、課題を吸い上げる姿勢、関係機関の連携、農家同士のつながりを3本の柱とする。
町職員が日頃から農家を巡回し、農業者と信頼関係を構築することで、地域の人々の思いや課題を把握することが可能となる。さらに、それを関係機関が共有することで、農家に対して適切な助言・提案を行うことができる。また、従来の住田型農業に見られた農家同士のつながりを後押しし、相互に問題点を指摘する関係を構築することにもつながる。長年苦楽を共にした農業者同士であればこそ、お互いの言葉を信用して、生産意欲の向上のために切磋琢磨することができる。こうした農業指導体制を構築し、関係機関と農家が一丸となり農業振興を図ることで、衰退の危機に瀕する中山間地農業を持続可能なものとする考えだ。
さらに、農林業や地場産業の後継者確保のために交流の促進を図り、都市に暮らす外部の人々にとって、住田を「非日常的な場所」から「日常的な場所」へと変えていくことの重要性も指摘した。これらの提案が目に見える形として表れている場所がある。住民交流施設「まちや世田米駅」である。
ここは100年以上の歴史を持つ古民家を改修しコミュニティカフェ、レストラン、ギャラリーなどを備えたまち住民交流拠点施設である。改修前は菅野家という実業家の住居兼店舗として使われていた町家で、大正時代には養蚕繭の仲買商や住田で産出されていた砂金を扱う金銀治金商などいくつもの看板がかかっていた。この施設を町内の有志でつくる(一社)SUMICAが町から指定管理を受けて運営している。
法人副代表の植田敦代氏は岩手県花巻市出身。大学進学を機に上京、東日本大震災の後、地域のために何かできることはないかと考え、岩手県にUターンした。いわて復興応援隊に着任し、住田町観光協会へ配属されたことをきっかけにこの町に移住。地域事業者とUターン移住者が協力し、カフェやレストランの運営、施設内の蔵を活かしたギャラリーなどを展開する。夕方になると学校帰りの子どもたちが集まって宿題をしたり遊んだり、地域のお年寄りが集まって談笑したりする様子が見られ、ここが地域の人々の居場所、小田切徳美明治大学教授(地域農政未来塾主任講師)がいう「地域の縁側」になっていることがよくわかる。
植田氏は、「まちや世田米駅」を拠点として、住民が地域に誇りを持ち、地域の魅力を発信することで関係人口を増やし、地域にかかわる人々みんなで一緒にまちを盛り上げていきたいと将来の展望を語った。
松田氏は「ふるさと住田会」の活用も提言した。「ふるさと住田会」は主に首都圏在住の住田町出身者で構成され、郷土愛に基づき会員相互の親睦と啓発を図るとともに町の発展に寄与することを目的とする。松田氏は町と結びつきのある人について、同会会員だけでなく、その家族の存在にも注目。出身者の家族も対象にすると、町に縁がある人は首都圏だけでも町人口の約8割に相当することから、この裾野の広さを後継者確保のための孫ターンの呼びかけに活用できると考えた。こうした「縁」を広げる施策を展開することで町の将来を「自分ごと」として当事者意識をもって考え、語り合い、行動する人が増えるのではないかと提言したのである。
まちや世田米駅
蔵ギャラリー
松田氏は共に学んだ2期生や前後期生と引き続き情報共有しながら、地域の課題を今後も模索したいと語る。地域農政未来塾は農政や地域振興に関する知見を獲得することのみならず、塾生同士や講師との関係構築など、担う役割は多岐にわたる。
塾生が未来塾から得るものは様々であろう。月1回上京し全国の町村職員仲間とともに学び議論する時間は、再度地域を見つめ、考え直すきっかけを与えてくれる。
まちや世田米駅にて、植田氏(右)と皆川運営委員長(左)