転がる石が心地の良い音を奏でる鳴り石の浜
鳥取県琴浦町
3070号(2019年2月18日) 琴浦町長 小松 弘明
南に中国山地の秀峰大山、北には日本海の水平線が続き、鳥取県のほぼ中央に位置する琴浦町は、県の東西の空の玄関である「鳥取砂丘コナン空港」「米子鬼太郎空港」まで、どちらも車で1間時ほどの場所にあります。
平成16年9月に二町が合併して総面積139.97㎢、人口およそ1万7千人の琴浦町が誕生し、今年15周年を迎えます。人口最少県の鳥取県の中で、町村では人口のもっとも多い町ですが、山と海の両方の恵みを享受する自然豊かな町です。
かつて、その海岸線が「琴ノ浦」と呼ばれていたとの言い伝えから名づけられた琴浦町は、太平記に記された後醍醐天皇の合戦の舞台となった国立公園「船上山」や、白鳳時代の寺院跡「斎尾廃寺跡」など多くの歴史的遺跡や建造物を有し、歴史や文化の薫る町でもあります。
産業では、二十世紀梨やミニトマト、ブロッコリー、芝などの農業のほか、週刊誌に「日本一老けない牛乳」として取り上げられた「白バラ牛乳」ブランドの高品質の乳製品や、数々の受賞歴のある「東伯和牛」など、酪農や畜産も盛んです。また、漁港も有し、新鮮なトビウオから作る「あごちくわ」は特産の一つで、食文化が豊かな町です。
平成26年に地方創生に先がけて人口減少対策をまとめ、心豊かな琴浦での暮らし、「コトウライフ」をキャッチコピーとして取り組んできました。平成27年度には「琴浦町まち・ひと・しごと創生総合戦略」を策定し、それまでの人口減少対策を引き継いで、地方創生の取組を進めています。
昨夏は例年にない猛暑が続き、ニュースでは毎日、最高気温が話題となりました。そんな中で、鳴り石の浜のひまわり畑が昨年も満開となりました。
このひまわりは、この海岸を拠点として地域活性化に取り組む団体「鳴り石の浜プロジェクト」が6年前から育てているもので、海を背景に咲くひまわり畑は全国的に珍しいと、今では多くの人が訪れる観光スポットとなっています。
この鳴り石の浜プロジェクトは、様々なアイデアと発信力で人を巻き込み、呼び込みながら次々と新しい取組を展開し、町の魅力を全国に発信している、元気な地域活性化団体です。
海辺に咲くひまわり
町の中央を走る国道9号沿いは、かつて商業や地元グルメの店舗などが集まる中心地でした。平成23年2月、町を横切る山陰道東伯中山道路が開通し、便利にはなったものの国道9号の交通量は激減し、それに伴って沿線の店舗は売り上げが減少、廃業する店舗も出始めました。
そんな時、「このままでは町が大変なことになる!」と思った住民有志が、民間レベルでできる地域活性化の手法を模索し始め、平成23年6月、「鳴り石の浜プロジェクト」を立ち上げました。
当たり前の風景が町の宝に
小学校での出前授業
町の西側に、東西約500mにわたり、大小の丸い石が敷き詰められたような自然海岸が残っています。これらの石は古期大山の噴火でできた安山岩が、何万年もの間に波にもまれてぶつかり合い、堆積したものとされ、波打ち際で「カラコロ」と心地よい音が鳴る珍しい現象から、「鳴り石の浜」と呼ばれています。
地域の隠れた食文化を発信する「B級グルメ」のように、「そこにしかない地域の宝」を見つけ出し、その魅力を発信することによって地域活性化につなげる方法があります。しかし、どんなに素晴らしいものでも、毎日見ていると慣れてしまって、その価値に気づかぬまま埋もれてしまうものも多いと思います。
鳴り石の浜も、地元の人はどこにでもある普通の海岸と思っており、8年前まで誰も行くことのない寂しい海岸でした。鳴り石の浜プロジェクトは丸い石が海岸を埋め尽くす景観や、波に洗われて音を立てるこの浜独得の現象が、全国的に見ても非常に珍しいということに気づき、ここを舞台にしたイベントや情報発信などの活動を始めました。その活動のベースにあるのは、地元の自然を大切にして、後生に残していきたいという強い思いです。日々の清掃などの保全活動はもちろん、地元小中学校を訪問してふるさとの素晴らしさを伝える出前授業など、その取組は地元新聞にも度々取り上げられ、地域に活力をもたらしています。
鳴り石の浜プロジェクトは、特にプロジェクトの中心となるリーダーたちの企画力と行動力が素晴らしく、お金がなくてもできる独自の取組をしています。
例えば、きれいな波音が「よく鳴る」ことから、物事が「良くなる」というダジャレを思いつき、幸運を呼ぶ浜(パワースポット)として発信。海岸にある石に願い事を書いて海に投げると願いが叶うといわれる「石絵馬」は、訪れた方の楽しみになっています。
また、「鳴り石の浜のひまわり畑」は、東日本大震災で被災した岩手県陸前高田市から送られたひまわりの種を使い、地域の人に愛着を持ってもらうため、地元の小中学校の子どもたちに種から苗まで育ててもらっています。近くにある特別支援学校の生徒にも呼びかけて、近隣の住民と共に海岸の畑に植え替えをして、帰省客が増えるお盆の時期に咲くように計画して育てています。
そうした地域を巻き込んだ取組に関わった子どもたちが、将来地元に帰ってきて今後の活動を支えるメンバーに育っていく、そんな期待も感じられるプロジェクトとなっています。
願いごとが叶うかな!?
地域の人たちとひまわりの苗植え
鳴り石の浜は、その波音だけでなく、5月から8月まで、水平線に夕日が沈む「夕日スポット」でもあります。これも地元では当たり前の風景でしたが、「夕日の写真コンテスト」を企画したところ、町内外から海に沈む夕日を撮影するため訪れる人々で賑わった上、作品を見た地元の人もふるさとの美しさに改めて気づくことができました。
最近の仕掛けでは、ストーンバランシング(バランスよく石を積んでアート作品を作る遊び)を楽しめる場所として発信を始め、今ではフェイスブックやインスタグラムなどのSNSに、海外からも含め、たくさんの写真が投稿され、新たな魅力の一つとなっています。
このように、鳴り石の浜プロジェクトは、ただ海岸を眺めるだけでなく、実際に自分で触れて体験し、参加するなど、いろいろな楽しみ方を次々と提案し、訪れてみたいと思える魅力を発信し続けています。
そして、SNSなどによりその魅力を拡散させ続けており、平成27年度には国土交通大臣表彰「手づくり郷土賞」、平成28年には総務大臣表彰「ふるさとづくり大賞」を授賞するなど、その取組も評価されています。
夕日に輝く鳴り石の浜
大人も子どももハマるストーンバランシング
地域活性化は、組織結成時の思いや勢いを継続させるのが難しいものですが、鳴り石の浜プロジェクトの継続のカギは「楽しむこと」です。
はじめは「地域のために」という気持ちが強くあっても、毎回参加させられると「やらされ意識」となり、不満も増して活動が続きません。「ボランティアはそれぞれがやりたい気持ちの時にできる人でやればいい」という考え方に気づいてからは、中心メンバーも気持ちが楽になって活動をより楽しめるようになり、今もイベントなどを開催する時は「この指とまれ方式」で、その都度参加できる人を募集して実施しています。その方がお互いに気楽に続けられ、結果的にプロジェクト自体も長く続いていくようで、メンバー自身が楽しみながら、力を持ち寄って楽しくやっている、そういう雰囲気を大事にしています。
まちづくりは、多くがボランティアです。町を元気にしたいという思いのある人が集まり、小さな取組から大きなイベントまで、それぞれの活動を行ってくださいます。そこでは時間と労力、時にはお金をかけて取り組まれており、「ひとのちから」のありがたさを感じます。
鳴り石の浜プロジェクトのように、活動を引っ張るリーダー達がいて、人を集めるスキルがある団体ばかりではありませんが、楽しみながら町を元気に、と思う人たちが増えると、町の活力にもつながっていくと考えています。
いま琴浦町が、重点施策の一つとしているのが「ひとづくり」です。人口減少・高齢化が進む現代において、一人ひとりの力を高めることこそが町の活力につながると考えています。IT社会が急スピードで進んだとしても、それを扱うのは「ひと」であり、また、地域の将来を支え、考え行動していくのも、そこに住む人たちです。地域の活性化に向けて、自分たちで考え、行動できるリーダーが育つことが、町にとっても財産となります。
そのために、新たな刺激や知識を学ぶ場として、「とっとり琴浦熱中小学校」を昨年の10月27日に開校しました。
これは、全国12の自治体が連携して取り組む地方創生事業ですが、各分野の第一線で活躍する方々が講師となり、空き校舎などを活用した全国の「熱中小学校」で授業を行う大人の学びの場です。ここでは、授業の中から生徒と講師が相互に係わり、交流の中から何かをやってみよう、という熱を生みます。そして、その熱が地域に広がり、新たなチャレンジが生まれることを目指しています。
町内だけでなく、県内外からも生徒が集まるこの事業は、いま注目の「関係人口」の創出にもつながるものと期待しています。
中国地方初! とっとり琴浦熱中小学校開校
琴浦町の地方創生のカギは「ひと」であり、ここに暮らす様々なひとの思いや活動の中で、町に活気をもたらしていきたいと考えます。
町を盛り上げようと活動する「ひと」。外部からの視点で新しい風を吹かせてくれる「ひと」。ここでの暮らしを楽しむ「ひと」。町の外から気にかけてくれる「ひと」。琴浦町に関わる一人ひとりが輝くことこそが、町全体が活力を維持し、輝くことにつながっていきます。
心も暮らしも安心・安全を基本としながら、新たな人の絆や交流から「ひとづくり」を進め、5年後に二十歳を迎える琴浦町が、よりいっそう輝きに満ちた町となるよう、今後も取り組んでいきたいと考えています。
人と町がつながる「コトウライフ」