石川県の無形民俗文化財に指定されている「とも旗祭り」
石川県能登町
3045号(2018年7月2日)能登町長 持木 一茂
能登町は、2005年3月1日、平成の大合併により、能都町・柳田村・内浦町が合併して誕生しました。
能登半島の北東部に位置し、富山湾に面しており、海岸線の大半は能登半島国定公園に含まれています。
外浦の豪壮な海食景観に対して、富山湾に面する内浦の柔和な沈水景観は、九十九湾や遠島山など好風景を現しており、急峻な山岳部はありませんが、町域の約8割が丘陵地となっています。
丘陵地は海岸にせまり、海岸段丘の発達が見られます。特に東側の海岸線は屈曲に富んで、天然の良港を形成し、山、川、海の豊かな自然環境に恵まれています。
気候は、日本海特有の四季が明瞭で、冬季の降雪も全国的に見れば多い方ですが、年平均気温は13℃前後で、年降水量は1、700㎜前後と、北陸地方としては比較的住みよい風土といえます。
以前は交通の便も悪く、首都圏から訪れるにはかなりの時間を要しましたが、2003年7月には能登空港が開港し、東京から1時間あまりで能登町に訪れることが可能となりました。また、北陸新幹線の金沢開業に伴い、金沢から足を延ばして能登を訪れる観光客も増加しています。
○町の歴史
海岸部では古くから漁業が行われていたほか、河川に沿った一帯では、中世に大規模な公田を含む広大な荘園が開発されました。
戦国時代には、松波畠山氏が松波に居城し、藩政期には、一部を除き前田家の所領に組み込まれ、その後宇出津港や小木港は、漁業・商業で栄えてきました。
また、国指定史跡である縄文時代の真脇遺跡など、旧石器、縄文、弥生時代の遺跡が多く残っています。
○町の文化
能登地域は、自然の恵みへの感謝の気持ちや神への信仰心が篤く、あばれ祭をはじめとする祭りが各地区で盛んに行われているほか、国指定重要無形民俗文化財のアエノコトやアマメハギなどの民俗風習が今も受け継がれています。このような里山や里海の恵みを活かす自然と調和した暮らしが、国際連合食糧農業機関(FAO)により世界農業遺産「能登の里山里海」として2011年に日本で初めて認定されました。
○町の産業
産業分野では、豊かな自然を背景とした第1次産業が、町の基幹産業となっています。
農業では、稲作をはじめとして、ブルーベリーや能登牛が特産品となっています。
漁業では、沖合イカ釣漁業と定置網漁業が全国的にも有名で、定置網で獲られたぶりは「宇出津港のと寒ぶり」としてブランド化されています。
2005年7月に完成した小木港の海洋深層水施設では、塩や脱塩水をはじめ、加工品など関連商品の開発が進んでいます。
能登のキリコ祭りの中で最も勇壮な祭りの一つとされる「あばれ祭り」
真脇遺跡公園にあるパワースポットの環状木柱列
ユネスコ無形文化遺産の奥能登のあえのこと
宇出津港の寒ぶりせり
現在の能登町の人口は約18、000人ですが、昭和初期には40、000人を超えていました。漁業や林業も盛んで、旧国鉄が開通し、観光の面でも能登ブームが沸き起こり、それに伴った外貨の獲得で町は潤っていました。
しかし、近代化に伴う都市部への人口流出に加え、町の産業を支えていた漁業でも200海里規制が追い打ちをかけ、町の経済活動は縮小を続け、それとともに都市部への人口流出も加速しました。
子育て世代の流出に伴い、児童生徒数も減少を続け、2町1村にかつて存在した9小学校は現在では5校まで減り、中学校は6校から4校へと減りました。町内にあった3高校1分校は統廃合を繰り返し、平成21年に現在の能登高校1校となりました。
1校となった後も生徒数は減少を続け、開校当初は4クラスあった定員も2クラス80名まで減少し、それでも定員を満たすことが困難となっています。
かつて高校のあった柳田地区や分校のあった小木地区では高校の消滅とともに商店も減り、かつての賑わいは見られなくなってしまいました。
このように高校が地域から無くなると活気や賑わいが無くなることを実感した当町は、唯一残った能登高校だけは何としても存続させなければいけないと考えました。当町では人口減少や高齢化の対応策として定住促進に力を入れています。全国の人口減少自治体でも取り組んでいることだと思いますが、都市部に集中した人口を地方へ回帰させる流れをつくらなければならないと考えます。日本の国土の9割の土地で過疎にあえいでいますが、国土を保全するためにも国策として強力に推進して欲しいと望んでいます。
しかし、国に任せきりにしてどうにかしてもらおうと待っていてはなりません。自ら動いて町の未来を切り開いていかなければならないと考え、平成27年に定住促進協議会を発足させ、移住者・定住者に向けての取組を始めました。お陰様でこの3年間で58組96名の方に当町へ移住していただきました。これは石川県内でもトップの数字であり、当町の人口規模から見ても大きなものです。
石川県立能登高等学校
町内で唯一となった能登高等学校の開校にあわせて「能登高校を応援する会」が発足しました。能登高校の存続と末永い発展を目指すこの会は、高校や町、地元の様々な団体で構成され、会員の皆様からの会費と町の補助金で運営されています。
補助事業を中心に行っており、制服購入補助や部活動補助、通学定期購入補助など、保護者の負担を減らすもののほか、平成26年度からは高校内に「鳳雛塾」という公営塾を設置し、生徒の進学や公務員志望に応える取組を行っています。また、平成29年度からは給付型奨学金補助や、国立大学に進学した生徒に対する一時金給付も始めました。
これらの取組は一定の効果を得ており、現在も継続して行っていますが、町として直接、地元高校の力になりたいと考え、平成28年に能登高校魅力化プロジェクトを立ち上げ、取組の柱として公営塾「まちなか鳳雛塾」を設置しました。
設立の背景には、高校内で行っていた公営塾「鳳雛塾」での勉強に対する機運の高まりが挙げられます。生徒達のやる気はありつつも、高校の教室で開講するため夜間の利用は制限されてしまい、都市部のように遅くまでやっている大手の塾も町内には存在しませんでした。そこで、閉校後も安心して勉強できる場を提供するため、旧公民館を改装し公営塾としました。
放課後から夜10時まで開放しているこの塾は、高校内の「鳳雛塾」と連携した学習を行う意味も込めて「まちなか鳳雛塾」と名付けました。
運営には総務省の地域おこし協力隊制度を活用しており、現在3名の隊員に活躍してもらっています。財政的にも手厚い地域おこし協力隊制度は過疎地域にとって大変ありがたいものです。
まちなか鳳雛塾(持木町長と能登高校の生徒)
初は地域に唯一残った高校を何とか残したいという考えで始めた取組でした。地域から高校が無くなると、他市町へ通わせねばならず、通学費や下宿費用だけでも保護者には大きな負担となります。子ども達にとっても長時間にわたる通学に時間を取られ、部活動や学業にも影響が出てきます。
また、町の経済面でも高校が存在することには大きな意味があります。事務用品やスポーツ用品、飲食、衣料品、交通や宿泊施設などの利用もあり、消費活動の場としても町には欠かせないものです。
これだけでも地域にとって高校は不可欠な存在といえますが、取り組んでみてさらに多くのことが分かりました。高校の存続という一面だけで捉えるのではなく、それが地域に、町にどのような効果を生み出すか、どのような影響を与えるかが見えてきたのです。
定住促進を進めるうえでメインターゲットとなるのは若い世代、子育て世代です。このような層に訴えかける強いメッセージは教育環境の充実です。〝我が町へ来てください!〟と誘っても、高校は無いので隣町へ通ってください、バスで1時間かかります、となれば移住に躊躇されるでしょう。安心して移住していただけるよう、地域の高校をしっかり守っていくことは必要です。
地域の高校を卒業した人材は地域を担っていく力となります。地域の人材を地域で育てる仕組みをつくり、地域に愛着を持ってもらう取組を継続することで、町の未来を託せる人材が育つと考えます。
まちなか鳳雛塾は町内からも好評を得ており、現在の塾生は約65名と町内の生徒児童数の1割程度が通塾しています。生徒達の意識も向上し、地元国立大学へ進学したいとはっきり目標を口にする子が増えてきました。
また、高校の先生方も時間がある時に塾へ顔を出していただき、生徒の進路について相談する等、ご協力いただいています。
課題は、地域おこし協力隊員の確保です。3年の任期となっているため、長期にわたって任用することができず、任期満了前でも自己の夢の実現のために退任することも考えられます。任期満了後も雇用することができれば良いのですが、財政状況により実現は簡単ではありません。こういった理由から人材を確保するのが難しく、4名体制での事業運営を目指していますが、現在は3名の隊員で対応し、随時隊員を募集している状況です。運営体制をしっかり整えることを考えるともう少しマンパワーが必要です。
全国にはしっかりとした理念のもと、上手に運営されている高校魅力化プロジェクトがいくつもあります。こういった先進地域に学ばせていただくため行政視察等を行って、時間をかけて準備してから立ち上げようと考えていたのですが、平成28年度の高校入学者数が定員を大幅に下回るという状況となり、急遽6月補正を行い、前倒しで「能登高校魅力化プロジェクト」を開始しました。
このため、準備に十分な時間を取れず、手探りの状況で事業を始めることとなりました。おかげで進行しながら学ぶことも多かったのですが、急遽提案したこの事業を認めていただいた町民・議会の方々には心から御礼申し上げます。
また、プロジェクトを推進していく上でも、県立高校と町役場では立場や指揮系統が異なるため、コンセンサスを得て活動しなければならないと考えています。
昨今、教員の激務が話題となっています。今までは高校生の活動は高校に任せきりで、自治体は口を出すだけで手は出さないことが多かったと思います。しかし、地域を担う子ども達の教育は町にも大きく関わりのあることですので、町も汗をかき、教員の激務を少しでも和らげることができればと思います。
高校の存続は高校だけの問題ではなく、地域の存続にもかかわる一大事だという事を広く町民にも御理解いただき、今後も町の発展に寄与するような取組を続けていきたいと考えます。
日本百景の一つに数えられている九十九湾