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宮崎県高鍋町/地域資源を活かした取組~高鍋デザインプロジェクト「まんぷく TAKANABE」~

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年6月25日

ひまわり畑

一面のキャベツ畑が夏はひまわり畑に


宮崎県高鍋町

3044号(2018年6月25日)高鍋町長 黒木 敏之


歴史と文教の町 高鍋町

高鍋町は宮崎県の東側、海沿いのちょうど中央に位置します。県内で最も小さい面積の町内に約2万人の人々が暮らす、農業と商業が盛んなコンパクトシティです。特産物であるキャベツ、天然のカキ、焼酎など、海と山、そして太陽の恵みをいっぱいに受けた美味しい〝食”が自慢です。

特に町北東部の染ヶ岡台地には広大なキャベツ畑が広がっており、夏を迎えると一面のひまわり畑に様変わりします。8年前に児湯郡を襲った口蹄疫からの復興支援として地区の農家が始めた「きゃべつ畑のひまわり祭り」は、日本最大規模のひまわりが咲き誇り、県外からも観光客が集まる一大イベントとなりました。夏のひまわりが緑肥となり、美味しいキャベツを育てるという循環を築いています。

高鍋町の歴史は、旧石器時代にまでさかのぼることができます。町内には多くの遺跡があり、特に古墳時代には、持田古墳群をはじめとするたくさんの古墳がつくられ、今もその姿を見ることができます。奈良時代になると、後の高鍋城の基礎となる山城が築かれ、江戸時代には秋月家3万石の城下町として栄えました。高鍋藩の藩校として創設された「明倫堂」から数多くの人材が輩出されたことが、高鍋町が「歴史と文教の町」と呼ばれる由縁です。

持田古墳群と並んで日向灘を見下ろす場所には、町の名所の一つである高鍋大師があります。これは、昭和の初めに盗掘に遭った持田古墳群に眠る祖先の慰霊のため、一町民であった岩岡保吉が私財を投じて建造した700体以上からなる石仏群です。それぞれに個性のある石仏は素朴であたたかみがあり、心癒されるパワースポットです。

高鍋大師

見晴らしの良い高台から町を見守る高鍋大師

高鍋の地域資源を掘り下げる

高鍋デザインプロジェクト「まんぷくTAKANABE」は、九州初の “自治体×事業者×県内デザイナー×地元信用金庫” によるコラボ事業として2016年9月にスタートしました。町には美味しい食材やそれらを使った料理を出す飲食店、菓子店など、優れた事業者が多く存在します。しかし、その商品を売るためには、素材や技術の良さを伝えながら消費者にとって魅力が感じられるようなものを作らなければいけません。また、町の事業者のほとんどが小規模経営のため、良い商品を作っていてもその売り先を積極的に町外まで拡大しにくいという問題がありました。その問題を解決し、町の事業者の経済活動を活発にするために本プロジェクトを立ち上げています。

運営の体制としては、まず町主導のもと、町の事業者と宮崎県内で活躍するデザイナーとの協働で、地域資源を活かした商品開発をおこない、高鍋町をPRできるような商品群を作ります。「県内のデザイナー」と限定しているのは、事業者とデザイナーの距離が近いことで、リサーチの期間が短縮でき開発がうまく進むことと、今後新しいビジネスを自社で創る際にも相談しやすいという利点があるからです。そこへ、地域に地盤を持ち地元企業の活性化を応援する立場の高鍋信用金庫と、グッドデザイン賞を主催しデザインで社会問題の解決に携わる日本デザイン振興会が協力することで、ビジネス面とデザイン面の両面から事業をサポートしていく体制としています。また、実施には全国信用金庫のメインバンクである信金中央金庫と、県内企業の産業支援を担当する宮崎県工業技術センターも協力し、地域内外のさまざまな組織が一丸となって高鍋町の活性化に取り組むこととなりました。

商品開発

町の事業者と宮崎県内のデザイナーが協働して商品開発を実施

体制図

高鍋デザインプロジェクトの運営体制図

高鍋出身の偉人の言葉をテーマに

事業をスタートして、まず最初に町の事業者へ説明会を実施し、プロジェクト参加者を募集しました。それにより集まった8事業者に対して、デザインチームがヒアリングに回り、現在の問題意識や生産・営業体制、今後の事業のビジョンやこれからどんな商品を作りたいかなどを聞いていきました。同時にブランドづくりの参考のため、事業者が町民として町に持つイメージを聞いていきました。

その中で、食べ物が美味しい、子育てがしやすい、などのキーワードのほかに、高鍋町出身の偉人である石井十次の名前が出てきました。石井十次は高鍋藩の明倫堂で学び、その後日本初の孤児院である岡山孤児院を創設、児童福祉の世界では「孤児の父」として有名な人物です。十次は生涯にわたり3千人を超える孤児を社会に輩出しましたが、知恵を凝らしたユニークな教育方法の中で特に代表的なのが「満腹主義」の精神でした。貧しい時代でも子どもたちにお腹いっぱい食べさせることで情緒を安定させ、いたずらや非行に走る子をなくしたと言われています。それはきっと物理的なお腹いっぱいの満腹だけでなく、十次の愛情が子供の心を豊かに満たしたゆえでしょう。高鍋町では今でも保育園や小学校でその教育方針が生かされていると感じています。

そのようなヒントもあり、心が幸せで満たされる贈り物を高鍋から発信しようという思いを掲げ、デザイナー、事業者との協議の上「まんぷく TAKANABE」というブランド名が決定しました。

視察風景1

視察風景2

デザインチームによる視察・ヒアリングの風景

満腹主義

石井十次が唱えた満腹主義についての絵本

「まんぷく TAKANABE」始動!

各事業者の商品開発は、1事業者につき1〜2名のデザイナーが担当し個別に進めていきますが、ブランド全体のイメージと商品デザインを合わせていくことに配慮しています。また、頻繁にデザイナー全員でのミーティングを行い、それぞれのチームの進捗状況と具体的なデザインを共有し、お互いに意見を交わしながら作っていきました。デザイナーの拠点はそれぞれ宮崎市、延岡市、高鍋町に分かれていますが、ネットでのビデオ通話を介して現在も毎週定例ミーティングを開いています。

初年度となる2016年度は8事業者による13点の商品が開発・発表されました。宮崎産の果物と野菜のゼリーを製造販売しているひょっとこ堂では、ゼリーの素となる美味しいシロップを活用し、炭酸や牛乳で割って飲む商品「おやたんこみる」(親は炭酸、子はミルクで割って飲むという意味)を開発しました。また、キャベツ畑を営むながとも農家では、キャベツを使ったディップソースや乾燥キャベツなどを開発すると同時に、使い方や食べるシーンなども合わせて表現することで消費者の気持ちをつかむデザインに。お茶の農家である河野製茶では、もともと販売していた茶葉の商品類をリニューアルし、持田古墳群の中にある茶畑で育てたお茶であることをストーリー化した「コフンノミドリ」という新しいお茶ブランドを展開しました。

他にも、町の名物2大餃子店である餃子の馬渡、たかなべギョーザの餃子を両方食べられるセットや、藤原牧場によるおかずにもおつまみにもなる牛肉加工品など、高鍋の地域資源と特徴を活かした商品群が出来上がり、2017年3月に地元の桜祭りで発表、販売を開始しました。お披露目に使った白いまんぷく屋台も、デザインチームと事業者が自分たちの子供たちと一緒に集まって手作りした作品です。

おやたんこみる

キャベツソース

コフンノミドリ

(上から)ひょっとこ堂「おやたんこみる」、ながとも農家「キャベツのディップソース」、
河野製茶「コフンノミドリ」

ロゴマーク

「まんぷく TAKANABE」のロゴマーク(デザイン:平野由記)

宮崎を代表するおみやげを目指して

017年度は、新規参加事業者との商品開発に着手し、また同時に注力したのが、販路拡大と広報活動です。宮崎市や東京での販売会への出店など町外に向けた販路拡大のほか、高鍋町内での認知も高めるべく、町内の販売拠点を増やしています。また広報活動として、「まんぷく新聞」の町内全戸配布も始めました。「まんぷく新聞」では参加事業者とデザイナーが1組ずつ、商品の紹介とそれに込められた思いなどのメッセージを掲載し、商品とその商品の背景を町民にお知らせすることで活動に興味を持っていただき、また購入してもらうことを狙いとしています。評判は上々のようで、掲載された事業者には商品問い合わせの電話が入っています。もちろん販路を地域外に拡大していくことも重要ですが、まず町民に理解をしてもらい協力してもらうこと、お土産に買ってもらうことが、今後の広がりにつながっていくと信じています。

3年目を迎えた本プロジェクトは更なる販路拡大を目標に掲げ、高鍋を代表するお土産から、宮崎を代表するお土産へ。そして経済的な成長と同時に、町を担う若手事業者の人材育成、町を誇りに思うシビックプライドの醸成を目指して、この「まんぷくTAKANABE」プロジェクトを今後も推進していきます。

3月桜祭り

3月桜祭りでの商品お披露目

ワークショップ

事業者とデザイナーの家族で屋台作りワークショップ