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北海道奥尻町/北と南の離島が連携したスポーツイベントによる島興し

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年2月20日更新
沿道を駆け抜けるランナーとサポートする町内スタッフの写真

沿道を駆け抜けるランナーとサポートする町内スタッフ


北海道奥尻町

2991号(2017年2月20日)  奥尻ムーンライトマラソン大会長 奥尻町長 新村 卓実


奥尻町の概要

奥尻町は、北海道の南西端に位置し、東西11㎞、南北27㎞の南北に長い台形状の「奥尻島」全域に人口約2,800人の住民が暮らす離島の町です。その昔、アイヌ語で「イクシュン・シリ」と呼ばれ、後に「イクシリ」と訛ったものが「オクシリ」となりました。イクは「向こう」、シリは「島」、つまり北海道本土から見た「向こうの島」という意味が通説と言われています。  

奥尻島は、島の面積の7割以上が山林で占められ、この山林の大半がブナの原生林で覆われています。ブナの山は保水力が高く、水の豊富な島として北海道内の離島で唯一稲作を営めるとともに、涸れることのない清流が複雑な海岸線に流れることで、奥尻島を代表する味覚でもあるウニやアワビといった海の幸の宝庫となっています。

北海道南西沖地震の発生と観光業

平成5年7月12日午後10時17分、マグニチュード7.8の北海道南西沖地震が発生しました。地震発生後2~3分で押し寄せた最大で約30mという大津波や火災によって、島内だけで死者・行方不明者合わせて198名、被害総額664億円という甚大な被害を受けました。人口4千人強、町の年間予算規模が約50億円という当時の島にとっては大惨事となりました。  

その後、全国から寄せられた温かいご支援、ご協力によって、島民一丸となって復興へ向け立ち上がり、震災後わずか5年を経過せず、平成10年3月には完全復興を宣言することができました。

復興宣言後、島の基幹産業である観光業は、震災前の観光入込客数5万9千人に迫るほどまで回復しましたが、震災から10年後の平成15年度をピークに、ここ3年間は、当該入込ピーク時の半数を下回る2万6千人台で推移しています。

沖縄県伊平屋島との出会い

北海道南西沖地震の被災から20年という節目の年を迎え、新たな島の未来の礎となるスポーツイベントの開催を検討していたところ、沖縄県伊平屋村で開催されている、月夜に走るという全国でも類を見ないマラソン大会「伊平屋ムーンライトマラソン」の存在を知りました。  

伊平屋ムーンライトマラソンは、夕方にスタートをし、しばらく明るい中で田園風景や海岸の景色を堪能して走ります。やがて島の西海岸に沈む美しい夕日を眺めながら駆け抜け、日が暮れた後は、東海岸から昇る満月の光とペンライトの明かりを頼りに、ランナーが思い思いのペースでゴールを目指します。

また、大会前日に行われる前夜祭、大会終了後の後夜祭では、モズクそばや牛汁、地酒の泡盛を使ったカクテルが振る舞われるほか、郷土芸能の披露やアトラクションなど、島全体での“おもてなし”を存分に満喫できるマラソン大会です。

この伊平屋島が20年間かけて育て上げた「ムーンライトマラソン」ブランドと運営ノウハウをご提供いただくため、町と観光協会が中心となって伊平屋村と業務提携に向けて交渉を重ねた結果、ムーンライトマラソン大会の開催を通じて、観光振興の拡大と離島である両島相互の交流を積極的に行い、観光基盤の強化を図ることを目的とした「ムーンライトマラソン協定」を締結することで合意に至りました。

こうして、北の「奥尻島」と南の「伊平屋島」が離島タッグを組み、新たな広域連携のスタートラインに立ったのです。

沖縄県伊平屋村と「ムーンライトマラソン協定」を締結している写真

沖縄県伊平屋村と「ムーンライトマラソン協定」を締結(左:奥尻町長)

奥尻ムーンライトマラソン

伊平屋村と協定を結んだ本町では、平成26年6月13日に前夜祭、14日に第1回マラソン大会と後夜祭を開催する運びとなりました。地震から20年の節目という点で多くの道内マスコミから取材を受け、報道されました。また、離島連携という形で暖簾分けを受けた初めての大会という珍しさもあって、定員500名を超える申込があり、その6割以上の参加者が奥尻に初めて来島するなど、新たな観光客層の開拓といった点でも、まずは一定の効果があったものと手応えを感じました。  

奥尻町(上)と伊平屋村(下)の大会の様子の写真

奥尻町(上)と伊平屋村(下)の大会の様子

大会コースは、島外から来島される参加ランナーの交通アクセスも考慮して、前夜祭会場とスタート地点を島の東海岸中央部に設定しました。まずは、フェリーターミナルを有する奥尻地区の東海岸沿いを北上した後、折り返し地点を南下し、ゴールと後夜祭会場でもある島の最南端の青苗地区へ向かいます。

大会のレース風景の写真

大会のレース風景

運営スタッフは、観光協会や役場職員が中心となり、島内建設業者には会場設営、町内会有志にはエイドステーションの給水サポートにご協力いただきました。また、ムーンライトマラソンのもう1つの目玉である前夜祭・後夜祭においては、漁協や商工会女性部によるウニ鍋、アワビ焼きなど郷土料理の振る舞い、全国初の純離島産ワインとして知られる「奥尻ワイン」のドリンクサービス、さらに地元小学生のよさこい演舞披露など、島全体で歓迎の気持ちを伝える取組となりました。

地元小学生によるよさこいの披露で盛り上がる会場(前夜祭)の写真

地元小学生によるよさこいの披露で盛り上がる会場(前夜祭)

ウニ鍋をはじめとする郷土料理でおもてなし(後夜祭)している写真

ウニ鍋をはじめとする郷土料理でおもてなし(後夜祭)

日没前後の時間帯を走るコース中盤以降は、民家や街灯のない海岸沿いの道路がおよそ5㎞続きます。ここで、奥尻独自の仕掛けとして、地元漁師にもご協力いただき、イカ釣り漁船の漁火を演出として加えました。夜空の月灯りと沖の漁火に照らされながら、奥尻島の大自然と潮風を身体いっぱいに感じて走るユニーク性が、参加いただいたランナーからも非常に好評で、大会後アンケートでもおよそ9割という高い満足度が得られています。

海上のイカ釣り船からは漁火と声援が送られている写真

海上のイカ釣り船からは漁火と声援も

暗やみの中無事ゴールするランナーたちの写真

暗やみの中無事ゴールするランナーたち

今後の課題と展望―伊平屋と奥尻の相互交流―

おかげさまをもって、一昨年(第2回)、昨年(第3回)とも約3割の方にリピーターとして来島いただき、中には伊平屋(例年開催10月)と奥尻(同6月)両方の大会に毎回出場されるコアなファンランナーもいらっしゃるようになりました。  

10月の沖縄が野営できるほど温暖で、伊平屋島では数百名のランナーがキャンプ場で夜を明かす一方、北海道の6月はまだ肌寒さが残り、島内宿泊施設の収容数を考慮すると、現行定員の500名が相応な受入数となっています。しかし今後、参加ランナーのさらなる拡大が見込まれれば、宿泊対策として廃校舎や公民館など公的施設の利活用や民泊の検討も1つの方法と考えられます。

ところで近年、スポーツツーリズムの定着もあって、マラソンだけ見ても、今や全国各地で数多の大会がひしめく中、ようやく定着しつつある奥尻ムーンライトマラソンを維持・発展させていくためには、前述のリピーターに代表される優良顧客に「また来てみたい」と思っていただける工夫が必要だと思っています。

島外からの参加者を歓迎の写真

島外からの参加者を歓迎

マラソンに限らず、当町の観光全体に関わることですが、奥尻ならではの魅力創造、すなわち「奥尻島らしさ」の磨き上げと発信は最重要課題の1つです。とは言え、限られた人材と資金の中で、奥尻町単体での取組にも限界はありますが、「ムーンライトマラソン協定」という出発点に立ち返ると、伊平屋島との関係にもヒントが隠されている気がします。

今年すぐには難しくても、両島が協力して知恵を出し合えば、北と南それぞれの大会の長所を引き出せるような取組、お互いの欠点を補い合えるような仕組みづくりが生まれるかもしれません。両島が今後さらに相互交流を深め、より深い信頼関係を築き上げることで、一度参加いただいたランナーを惹き付けてやまないコラボレーションを実現できれば、それこそが「協定」の基本的な考え方であり、まさに国の推進する地方創生の横連携モデルに他ならないのではないでしょうか。

本島がこの先10年、20年と、伊平屋島と切磋琢磨しながら、「向こうの島」を訪れる多くのランナーで賑わうことを信じ、「来年も走りに来たい」と思っていただける大会づくりに努めてまいります。

あたたかいお見送りに別れを惜しむ参加者の写真

あたたかいお見送りに別れを惜しむ参加者