一面に広がる「南高梅」の梅林
和歌山県みなべ町
2984号(2016年12月19日) みなべ町長 小谷 芳正
平成16年10月1日、南部町と南部川村が合併して誕生した「みなべ町」は、和歌山県のほぼ中央に位置しています。総面積は和歌山県全体の約2.5%を占める120.28㎢で、その約68%の81・91㎢が林野面積です。また、農地の割合が比較的高く2割程度を占めています。
東西に流れる南部川流域には丘陵地が広がっており、低地あり、山間地域ありとバラエティに富んだ地勢です。丘陵地には日本一のブランドを誇る「南高梅」の梅林が広がり、山間部は森林、渓谷などの自然資源に恵まれています。また、炭の最高級品である「紀州備長炭」の生産も盛んで、備長炭の里としても有名です。南北には紀伊水道を臨む海岸線が伸びており、黒潮洗う海岸線は風光明媚な景観を誇っています。千里の浜は貴重な自然資源であるアカウミガメの産卵の地としても全国的に有名です。
太平洋に面する海岸部、紀伊山脈に連なる山間部で構成された町内の交通網には、南北に走る国道42号、東西に走る国道424号、JR紀勢本線(岩代駅・南部駅)があり、高速道路・阪和自動車道のみなべICがあります。
千里の浜
平安時代の中期の文献にもすでに「梅干」という言葉が見られるように、梅の歴史は千有余年も前に遡ります。
南部郷で梅栽培が盛んになったのは江戸時代初めからで、紀州田辺藩は自生梅しか育たないやせ地を免税地にして年貢を軽減することにより、農民を助け梅栽培を広げました。やがて梅干は江戸で人気が出るようになり、良品の梅を厳選した南部梅は「紀伊田辺産」の焼き印を押した樽に詰められ、江戸で有名になりました。
明治時代には南部郷晩稲の内中源蔵翁が郷内に加工場を建て、梅の生産から加工まで一貫した経営に取り組み商品化に成功。梅の里として発展する契機となりました。
大粒で肉厚、ジューシーな南高梅は、南部郷で長い年月の研究の末にたどりついた最高級品の漬け梅品種で、紀州みなべの梅干の原料となっています。
昭和25年、戦後の農業復興に際し、南部郷の梅の品種統一を図るため、郷内で栽培されていた114種類の梅の中から、5年の歳月を費やして最優良品種の選抜を実施し、その結果、「高田梅」ほか6種が優良母樹に選定されました。中でも最も風土に適した最優良品種と評価された「高田梅」は、母樹選定調査研究に深くかかわった南部高等学校園芸科の努力に敬意を表し「南高梅」と命名されました。
現在、「南高梅」は、みなべ町で栽培される梅の8割を占め、梅のトップブランドとして日本国内はもとより、世界にもその名を馳せています。
「みなべ・田辺の梅システム」とは、養分に乏しく礫質で崩れやすい斜面を利用して薪炭林を残しつつ梅林を配置し、400年にわたり高品質な梅を持続的に生産してきた農業システムです。
人々は里山の斜面を利用し、その周辺に薪炭林を残すことで、水源涵養や崩落防止等の機能を持たせ、薪炭林に住むニホンミツバチを利用した梅の受粉、長い梅栽培の中で培われた遺伝子資源、薪炭林のウバメガシを活用した製炭など、地域の資源を有効に活用して、梅を中心とした農業を行い、生活を支えてきました。また、人々のそうした活動は、生物多様性、独特の景観、農文化を育んできました。
この梅システムは、この地域で暮らす農家たちが何代にもかけて、自然の中で学び代々受け継がれてきたものです。
みなべ町では、農家のほとんどが梅を栽培しており、梅の生産者や加工業者のほか、運送業や容器製造業などの関連業者を合わせると町の就業人口の約8割が梅と接点を持っています。
しかし、食文化の変化や慣習の変化による贈答品の減少、減塩ブームなどの影響で梅の消費量はピーク時の3割も減少しています。この打開策として「梅システム」の世界農業遺産の登録によって梅産業の活性化、梅の消費拡大に繋げようという動きがおこりました。
平成26年5月、世界農業遺産認定を目指し、みなべ町、田辺市、和歌山県を中心に推進協議会が設立されました。その後、国際連合大学を始め多くの関係者の協力のもと現地調査を進める中で、みなべ・田辺地域の梅の農法には素晴らしい技術やノウハウがあることが分かってきました。同年10月には国内審査を通過し、そして、協議会設立から1年半後の平成27年12月にイタリア・ローマの国際連合食糧農業機関(FAO)本部で開催されたGIAHS(ジアス)運営・科学合同委員会で「みなべ・田辺の梅システム」が世界農業遺産に認定されました。
世界農業遺産認定セレモニー
この梅システムを後世へ受け継ぐためには、若い世代に梅に慣れ親しんでもらうことが必要です。そのため町内の小中学校では、子どもたちに梅に関心を持ってもらえるような様々な取り組みがなされています。みなべ町立高城小学校では地域の方々の協力のもと、校内の梅畑で児童自ら梅の木の剪定や草むしり、梅の収穫などを行い、農作業を通じ、地域の人とのつながりを深め、地元地域の産業である梅栽培について実際に体験し学んでいます。
地域の方との農作業の様子
また、平成28年2月には梅料理コンテスト「UME-1グルメ甲子園」を開催し、近隣高校を始め各地の高校生がオリジナルの梅料理を考案し来場者に販売しました。「UME-1グルメ甲子園」は、高校生に商品開発・仕入・製造(調理)・販売のビジネスの流れを経験してもらうこと、みなべ町の様々な地域活性化の取り組みを見てもらい、一人一人が地域活性化の担い手であることを認識してもらうこと、また梅干という日本の伝統的食文化を再確認してもらうことを目的として開催しています。
みなべ町では、毎年6月6日を「梅の日」と定め、梅の恵みに感謝する日としています。また、平成26年10月には、「梅干しでおにぎり条例」が施行され、平成27年6月には「梅で健康のまち」を宣言しました。これを受けて、梅干しおにぎりを食べて健康に努めようと、6月6日の「梅の日」に各小中学校で給食に梅干しおにぎりを作って食べる取り組みも始めています。
UME-1グルメ甲子園
高校生が考案したウメェ~担丹麺
梅産業の活性化・梅の消費拡大の一つとして「みなべ・田辺の梅システム」の世界農業遺産認定を契機に、海外市場への梅の販路拡大、海外からの観光客誘致に積極的に取り組み始めています。
販路拡大策としては、梅酒・梅シロップなど青梅の加工製品などは既に流通しているものもありますが、梅干においては、海外に梅干の食習慣がほぼなく、ほとんど流通していません。あってもお菓子(砂糖漬け)です。しかし、日本以上に海外では健康意識が強く、日本食や日本文化に興味を持っている人も多いため、「梅=健康」「梅=日本の食文化」をキーワードにPRすれば、海外においても受け入れられる可能性があると考えています。そこでまず、梅文化を共有する中国や台湾市場に対して調査を進めています。
観光客誘致に関しては、日本文化に興味を持ち熊野古道を訪れる方々が多い欧米諸国や、町内での宿泊が多い台湾、香港などを中心にPRしています。
またパンフレットや看板等の多言語化、Wi-Fi設備等の整備も進めています。
この取り組みが、「日本一の梅の里みなべ町」を「世界一の梅(UME)のまち みなべ」へと変える道筋になればと考えています。
梅干しおにぎりをほおばる小学生
この地域で昔から行われてきた農業が、すぐれたものであると世界的に認められ世界農業遺産に認定されたことは、みなべ町にとって財産であります。それと同時に、この「梅システム」をどのように後世に伝え守っていくか、また地域振興や梅の消費拡大につなげていくかが今後の課題です。
「行きたくなるみなべ町」「食べたくなる梅干し」を目標に、「みなべの梅(UME)」の魅力を国内外へ発信することはもちろん、地域住民にも改めて梅の魅力を再確認してもらい、ふるさとに誇りを持って、住民、地元企業、町が一丸となり梅を通じてみなべ町をさらに活気づけていきます。