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三重県御浜町/新時代を迎える「年中みかんのとれるまち」

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年9月19日更新
みかん畑の様子の写真

三重県御浜町

2973号(2016年9月19日)  御浜町 農林水産課


御浜町の概要

御浜町は、三重県の南端にあり、北西は熊野市、南は紀宝町に隣接し、紀伊山地を背に雄大な太平洋を臨みます。また、熊野灘に面して、約20数㎞にわたって続く吉野熊野国立公園の景勝地で「日本の渚百選」にも選ばれている「七里御浜」の中間に位置しています。その他、熊野古道横垣峠・風伝峠・浜街道は世界遺産にも登録され、美しく豊かな自然に恵まれた町です。

気候は典型的な海洋性気候で、年間平均気温は17.6℃、年間降水量は3,205㎜の温暖多雨な地域で降雪はほとんどありません。この温暖な気候を活かし、一年中みかん(柑橘類)を栽培しています。その反面、台風の常襲地帯でもあり、短期間の強雨が多いことが特徴です。

「年中みかんのとれるまち」をキャッチフレーズとする御浜町は、「オール御浜」で町の活性化に取り組むとともに、子どもや若者から高齢者の方まで、豊かに、そして元気に暮らせる町を目指し、町民の皆さんと手を携えながら「みんなが輝く希望と活力あるまちづくり」を進めています。

「年中みかんのとれるまち」の誕生

当地域における柑橘栽培の歴史は古く、文献によると240年余り前の宝暦6年(1756年)、紀州藩家老職であった新宮水野藩主がみかんの栽培を奨励したという記録があります。明治になり、みかん栽培が盛んになると、それまでの桑畑がみかん園に切り替えられ、なつみかん、戦後は早生温州みかんを主体とした産地として県内、中京圏を中心に出荷量を伸ばしていきました。また昭和40年代に当町で発見された極早生品種「崎久保早生」は高い評価を得て、早出しみかんの産地としての地位を確立しました。同時に地域内では柑橘の増産を望む気運が高まり、昭和50年度から平成3年度まで国営農地開発事業が実施され、約300ha、温州みかん以外の甘夏、伊予柑、セミノール等、中晩生柑橘を栽培することを目的とした農地を造成し、一年を通じて柑橘類を生産する産地として「年中みかんのとれるまち」の基盤ができあがりました。

マルチ(白いシート)栽培される「温州みかん」の写真

マルチ(白いシート)栽培される「温州みかん」

産地が直面する課題

しかしながら、オレンジの輸入自由化、食生活の多様化等により全国的に柑橘類の消費が低迷し、ピーク時に全国で300万tあったみかんの生産量は80万tを切る状況になりました。その影響は御浜町にも暗い影を落とし、担い手の不足、耕作放棄地の増加等全国の柑橘産地と同様の課題を抱えることになってしまったのです。

昭和の終わりから平成のはじめにかけて約2万5千t、50億円あった御浜町の柑橘の生産量、生産額は、平成26年には約1万t、22億円とピーク時の約40%となり、産地の縮小を止められない状況になっています。生産者の高齢化や担い手の減少が大きな課題であり、将来の人口減少に対応するためにも柑橘産業の再興は御浜町の浮沈の鍵を握るテーマとなっています。

課題解決のためのアプローチ

産地の縮小は、これから人口減少社会を迎える地方にとっては避けられない現象です。一方で、産地として課題解決に向けた取り組みも数多く提案、実施されています。柑橘産業と一言でいっても多角的なアプローチが可能です。生産、加工、販売、人づくり等様々な可能性を求めて主体的な取り組みが展開されており、御浜町ではそのような取り組みを通じて「低迷してはいるけれどもまだまだ可能性のある産業」として、柑橘産業を位置付けているのです。

三重県南部の柑橘産地は御浜町を中心に周辺の熊野市、紀宝町のエリアにあり、三重南紀農業協同組合が広域農協として、柑橘の生産、出荷、販売の核となっています。特にマルチ栽培された「温州みかん」や、ひとつひとつ袋かけ栽培により生産される「カラマンダリン」は三重ブランドに指定され、当地域のブランド力を裏付ける代表的な柑橘になっています。

近年は、御浜町内にある三重県農業研究所紀南果樹研究室が育成した新品種「みえ紀南1号」や「みえ紀南4号」が量産され、それぞれ「みえの一番星」「みえのスマイル」というブランド名で市場販売がスタートしており、新たな品種や先進的な栽培方法を積極的に取り入れながら、新時代の「年中みかんのとれるまち」として変化を続けています。

さらにJAでは平成27年度柑橘の選果プラントを更新し、これまでの光センサーによる高品質果実の選果、選別に加えて、果実の傷みを識別する腐敗果センサーなどの新しい技術を導入し、消費者からより信頼の得られる産地としての整備を実施しました。

また、JAを中心に県、市町による「三重南紀元気なみかんの里協議会」を組織し、担い手の確保活動に取り組んでいます。具体的には、就農フェアへの参加、農業体験、短期研修の受け入れ等、総合的な取り組みにより、新規就農者の確保に努めています。平成27年度には2名、28年度には1名の方が地域外から新規に就農し、Uターンによる就農者と併せて10名が、国の青年就農給付金の交付を受けながら地域の新しい担い手として農業経営に取り組んでいます。

就農フェアでの就農相談の様子の写真

都市部で開催される就農フェアでの就農相談

交通アクセスの改善と交流人口の増加

平成26年紀勢自動車道、尾鷲熊野道路が隣接の熊野市まで開通し、これまで「陸の孤島」とまで言われた紀伊半島南部の地域も都市部との時間距離が劇的に改善しました。この影響は産業や流通、医療など多面的な効果を地域にもたらし、その効果は現在も継続しています。また、三重県では、熊野古道世界遺産登録10周年、伊勢神宮の式年遷宮、また今年5月に開催された伊勢志摩サミットなど、大きなイベントが重なり、全国的に地域の情報発信の機会に恵まれたこともあり、交流人口が継続的に増加しています。

七里御浜の写真

日本の渚百選「七里御浜」

このような中、御浜町の道の駅「パーク七里御浜」は平成27年度国交省の定める重点道の駅に選定され、観光、集客交流、地域内の住民生活の拠点として期待されています。パーク七里御浜では、地元産柑橘類の加工、 販売等6次産業化を進めるための施設整備を計画しており、平成29年度には見学スペースを設けたジュース等の加工工場が道の駅内にオープンする予定です。

パーク七里御浜の写真

重点道の駅に選定された「パーク七里御浜」

町としても、地域外の皆さんを対象とした「みかん狩りツアー」や、物産販売をメインにしたイベント「みかん祭り」の開催といった地域間交流のアイテムとして柑橘を活用する取り組みも実施しており、将来的にはさらなる観光産業と柑橘の融合を期待しています。

みかん狩りツアーの様子の写真

春と秋に開催される「みかん狩りツアー」

TPP等市場のグローバル化への対応

JA三重南紀では、今後の柑橘の需要、市場のグローバル化に対応し、「温州みかん」「不知火」「せとか」について、タイ王国への輸出を全国の産地に先駆けて取り組んでいます。検疫等の手続きや輸送中の痛みの発生等の課題を克服しながら、輸出量の増加、他国への輸出等販路の拡大が期待されています。またJA以外の事業者についても海外進出の取り組みが始まっており、今後の柑橘の販売を考える場合、海外の市場は重要なターゲットとして位置付けることが必要です。

また、企業とのコラボによる飲料や菓子パンの販売など、産地の知名度やイメージアップにつながる取り組みも広がりを見せていて、より消費者の皆さんに親しみを感じてもらえる産地を目指し、地域全体で取り組んでいます。

みかんを販売する様子の写真

タイ王国へのみかん輸出

菓子パンメーカーとのコラボ商品の写真

菓子パンメーカーとのコラボ商品

明日の「年中みかんのとれるまち」

柑橘産業は、まだまだ可能性のある産業です。しかしながら将来の人口減少、消費者の皆さんの生活の多様化など、産地にとっては厳しい状況が予想されることも事実です。御浜町ではこのような産地を取り巻く情勢と私たちの産地が持つポテンシャルを十分に理解する中で、産地が一体となって「年中みかんのとれるまち」づくりに取り組めるよう「御浜町かんきつ振興協議会」を組織し、生産者、販売事業者、JA、行政機関等が町の振興施策に関する意見を交換しています。今後さらに予想される高速道路網の延伸、TPP等による市場の開放など将来に向けた地域の変化を的確にとらえ、安全で高品質かつ消費者の皆さんに支持される産地として持続して行けるよう、新しい時代を見据えた農業振興を展開して行きたいと考えています。