田園散居集落「散居の夜明け」
山形県飯豊町
2961号(2016年5月30日) 飯豊町長 後藤 幸平
飯豊町は、山形県の南西部に位置し、総面積約330k㎡のうち8割以上が緑豊かな山林が占めています。飯豊連峰から流れる清流白川が町を縦断し、最上川に注ぎ、全国的にも数少ない屋敷林に囲まれた、田園散居集落が美しい景観を形成しているまちです。
人口は約7,500人。基幹産業は農業。日本三大和牛といわれる米沢牛の約4割は飯豊町で育てられています。また、米、アスパラガス、こくわワイン、どぶろくなどが特産です。
日本三大和牛「米沢牛」の主生産地です。
山形を代表する夏のイベント「花笠まつり」に欠かせない花笠の多くを飯豊町中津川地区のおじいちゃん、おばあちゃんが作っています。東京からは山形新幹線に乗り約2時間30分で来ることが出来ます。
山形「花笠まつり」の菅笠づくり
飯豊連峰から流れ出る清流白川は肥沃な扇状地を形成し、流域は豊穣な稲作地帯として発展してきました。その扇状地の肥沃な土地の流水が得られる場所に屋敷を構え、散居集落の形態が作られたと考えられています。
冬季間のきびしい季節風である北西風を遮るために屋敷林が植えられ防風や防雪に耐えるとともに、影切りの枝は燃料として使い、林は稲掛けにも利用するなど、農村生活の知恵として多様に活用されてきました。それらが、永い風雪に耐え、守り育て、受け継がれながら、今日の美しい「いいでの田園散居集落」として形成され、屋敷林と散居集落が広大な水田の中に見事に調和した、まるで絵に描いたような心安らぐ農村の原風景が広がっています。
飯豊連峰と白川湖
現代は「明治維新」「戦後復興期」に続く転換期にあります。時代はまさに大きな変革期を迎えようとしています。今、長期的な節目にしっかりと視座を据えて、次の時代の方向を見つめた戦略を実行することが重要です。そのために、飯豊町は常に将来へ向けた「種をまく人」であるべきと考えます。
人口減少と少子化、高齢化、若者の晩婚化、過疎化による集落の変貌など、たくさんの課題に果敢に取り組んでいくため、平成27年10月、「飯豊町まち・ひと・しごと創生総合戦略」を策定しました。総合戦略の5つの基本目標を種に例え、土を深く耕し、肥沃にして、種をまき、水を注ぎ、根も茎も花も実も力強く育てなくてはなりません。
「飯豊町総合計画」の基本理念は「住民主体のまちづくり」。主役は「人」です。将来を担う子どもたちに、目標に向けてチャレンジする姿勢や情熱を注ぐ力、学ぶ習慣や学ぶ意志を身につける取り組みを行います。一人ひとりがまちづくりに関わることができる環境を整備し、人材を育成する「人をはぐくむ種」をまきます。
健やかな子を育てるためには、安心して産み育てられる環境の整備と、家族や地域の見守りが必要となります。地域の担い手になる子どもたちと親世代や祖父母世代が世代間交流を図りながら地域の暮らしや食文化を継承し、次代へとバトンを渡すために「世代をつなぐ種」をまきます。
全国的な「田園回帰」の流れの中、本町への人の流れを構築するために最も重要なことは「縁(えにし)」を大切にすることです。U・Iターン希望者や飯豊町を訪れた方との縁を大切にし、観光と交流を振興します。また、情報発信体制を整備し、移住と定住、観光と交流の「縁をつむぐ種」をまきます。
持続可能な郷土を創るために、最も重要なことは「地域力」です。すなわち農業の未来を切り拓く農業改革を実施することです。エネルギーと食、住の地産地消を進め、地域自給と圏内流通、安全で安心の農と食による循環型社会を構築し、地域を基礎とした持続可能な農業と農山村の地域づくりのために「郷土をたがやす種」をまきます。
農山村が経済的自立をするために最も重要なことは、農山村が持つ新しい価値や魅力、可能性を見出すこと、自然と社会と科学の両立を可能にする「技術革新」です。これにより企業が成長し、新しい産業が生まれ、雇用が創出され、地域が活性化します。農山村が経済的自立をするために「可能性をひらく種」をまきます。
総合戦略の基本目標の一つ「可能性をひらく種」のプロジェクトとして、平成28年4月、本町にリチウムイオン電池開発研究所「山形大学xEV飯豊研究センター」が開所します。“自然・文化と最先端科学の融合”が、新たな産業と雇用を生み出し、子どもたちの夢を育みふるさとへの誇りを醸成するこのプロジェクトは、本町にとって大きなチャレンジです。同センターは、リチウムイオン電池の材料開発や組み立て、性能評価、安全性試験まで一貫開発可能な試作工場です。リチウムイオン電池は、自動車やスマートフォンなど身近な道具から惑星探査機など宇宙空間まで、幅広い分野で使用されています。
この事業は、飯豊町、山形大学、山形銀行の3者が地域経済の活性化や人材育成などを促進するため実施する産学官連携事業です。同センター内には、子どもたちが科学への興味を深める場として、「飯豊こども研究所」も開所されます。
また、ヒト・モノ・カネ・情報の集積地として、雇用創出、人材育成、企業間連携、新技術形成、町内産業への経済効果等、多方面の効果が期待出来ます。このリチウムイオン電池開発研究プロジェクトには、既に国内外の民間企業47社の参画が決定しています。
飯豊こども研究所の体験授業の様子
総合戦略の基本目標の一つ「郷土をたがやす種」のプロジェクトとして、「飯豊・農の未来事業」を実施しています。平成25年度に「飯豊・農の未来賞」を創設し、土地利用型作物の農業振興に関する新たな企画提案や町の農業施策全般に関する企画提案論文を募集。全国から23編の応募があり、最優秀論文2編を決定しました。
平成26年度、提案論文の具現化に向けて、7つの実施計画「seven plan」を策定し、取り組みを進めています。「seven plan」は、27の主要施策と67の具体的施策で構成されています。
具体的には、稲作から新たな土地利用作物への転換を図る飯豊型水田利活用の推進、若手の担い手や地域農業リーダーを塾生とした「飯豊・農の未来塾」を開塾し、農業政策や農業栽培技術、農業経営、市場醸成等に関することを学んでいます。
また、「一般社団法人置賜自給圏推進機構」との連携を図り、地産地消に基づく地域自給と圏内流通の推進、自然と共生する安全・安心の農と食の構築に取り組んでいます。同機構は、山形県の南部に位置する置賜地域を一つの「自給圏」ととらえ、圏外への依存度を減らし、圏内にある豊富な地域資源を利用、代替していくことによって、地域に産業を興し、雇用を生み、富の流出を防ぎ、地域経済の好循環をもたらすという、新たな視点に立った地域づくりを検討するため平成26年8月に設置されました。
本町は特定非営利活動法人「日本で最も美しい村」連合に加盟しています。「日本で最も美しい村」と聞くと絵葉書のような美しい風景をイメージするかもしれません。でも、それだけではありません。人の営み、農山村の生活が生み出した景観、昔ながらの祭りや郷土文化、長年の歴史に培われた世襲財産、これら一つひとつが「日本で最も美しい村」の要素です。
飯豊町は、失ったら二度と取り戻せない農山村の景観と文化を守り、先代から受け継いだ世襲財産を継承し、次世代の若者たちが働き暮らしていくこと、日本で最も美しい村としての自立を目指しています。
「日本で最も美しい村」連合には、現在全国60町村・地域が加盟しています。素晴らしい地域資源を持ちながら厳しい条件にある町村が、自らの地域に誇りを持ち、将来にわたって美しい地域づくりを行うこと、地域の自立を推進すること、また、景観や環境を守り、地域の特色を観光資源として付加価値を高め、地域資源の保護と地域経済の発展を目指し活動しています。
中津川地区の里山文化「中津川暮色」
今、必要なことは、長年の経験と知識に基づいた問題解決ではありません。最も必要なことは「逆転の価値観」です。食べられないと考えられていた種に社会を救う成分が発見されるような、後方の走者が先頭に躍り出るような、逆転の可能性を導く種をまく挑戦です。農山村にこそ次世代への可能性がある、森と村が一番新しい、そんな着想と発想の転換が、求められているのではないでしょうか。
農山村の将来を、明るい可能性に満ちたものにしたい、そのために今「未来へ種をまこう」。これが飯豊町の進むべき指針です。