綿向山の標高1,110メートルにちなんで11月10日は綿向山の日
滋賀県日野町
2956号(2016年4月11日) 日野町長 藤澤 直広
日野町は滋賀県の南東部、鈴鹿山系の西麓に位置する東西14.5㎞、南北12.3㎞、総面積117.6平方㎞、人口約22,000人の町です。
標高1,110mの霊峰・綿向山を水源とする日野川と竜王山を水源とする佐久良川の流域に沿って集落が発達した農村地帯であり、天然記念物「鎌掛谷のホンシャクナゲ群落」をはじめ、四季折々の花と自然環境に恵まれた町です。戦国時代の武将、蒲生氏郷公の生誕地としても知られています。
江戸時代に漆器「日野椀」の行商から発展した日野の商人は、近江商人の基礎を確立しました。家訓には陰徳善事(社会奉仕)の大切さが説かれており、商売だけでなく多くの社会事業を行った近江日野商人の心は今もなお大切に引き継がれています。
人口は明治以降安定して推移してきましたが、平成7年以降は減少傾向が続いています。また、少子・高齢化、農業従事者の高齢化や後継者不足、野生獣による農作物被害等様々な課題を抱えています。
ゴールデンウィークに併せて咲き誇る鎌掛谷のほんしゃくなげ
昭和30年に1町6村が合併し、平成27年3月16日に町村合併60周年を迎えました。
これまで日野町の発展にご尽力いただいた先人に深く感謝するとともに、日野町として歩みを進められていることは嬉しいことです。
平成の大合併当時、町でも合併について協議は行われましたが、住民は単独での町政を選択し、住民主導による『自律のまちづくり計画』の策定とともに、徹底した行政改革に取り組みました。
現在の第5次総合計画の策定には、7地区の公民館での懇談会や各種団体からの意見、公募委員など多くの住民による総合計画懇話会で何度も議論を重ねていただき、住民の知恵と思いが詰まったものとして提言をいただきました。
『ひびきあい 「日野のたから」を未来につなぐ 自治の力で輝くまち』というスローガンも住民自らがつくられた言葉で、今、町にある多くの資源(たから)を活かし、みんなでまちづくりをして行こうというものです。平成27年度は計画の中間年として、住民の視点で計画の到達点の点検と後期期間の取り組みについて提言をいただきました。
このように、自治の主人公である住民と共にまちづくりを進めています。
豊かな自然の中で育まれてきた農村文化や風習、人々が心に思い描く町並みや農村風景など、ふるさとの原風景が残っている日野町では、町を訪れる人たちを「おいでやす」と迎えるおもてなしの心が息づいています。
見るもの、触るもの、初めてのことばかり(近江日野田舎体験)
ものを育てる喜びや近所付き合いの大切さ、地域に対する自信と誇り、人や自然、食の大切さを子どもたちに伝えたいと、近江日野商人の理念である「売り手よし 買い手よし 世間よし」の三方よしの精神に習い、「迎えるもの(売り手)に自信と誇りの回復を、地域(世間)に活力を、訪れる人々(買い手)に心からの感動を」の「三方よし」をめざして、平成21年から本格的に近江日野田舎体験の取り組みを始めました。
町に修学旅行生が来るなど考えられない当時は、受入家庭の確保と体験内容が課題でした。受入家庭の皆さんにとって、日常の暮らしをそのまま体験してもらうことが良いことなのか、本当に期待に応えられるのかと心配しましたが、一泊しただけで別れ際に涙する子どもたちを目の前にして、取り組みの効果を実感するとともに、日野町の日ごろの暮らしそのものがいかに豊かなものであるのかを再認識する機会にもなりました。
「いただきま~す」自分たちで収穫、調理した野菜が並ぶ食卓
町内において、空き家が増加傾向にあったことから、空き家を地域の資源として有効に活用し、移住・定住を促進することにより、地域の活性化を図ろうと平成21年度に「空き家情報登録制度」を創設しました。
この制度は、空き家の所有者と利用希望者が出会うきっかけづくりを町がお手伝いさせていただくものです。この制度を通じて、平成28年1月末現在で34件が成立して92名の方が定住され、地域住民として自治会活動などを担っておられます。現在、約80人の方が利用希望者として制度に登録され、移住・定住を希望されています。
移住・定住された方は「昔ながらのしきたりや決まりごと、家の修繕や獣害対策など困ることもあるが、自然環境の良さや近隣の付き合い、思い通りの家との出会いなど、うれしいことや楽しいことも多い」と話され、それぞれが自分の描いた納得できる暮らし方をされています。
少子・高齢化が進み、農林業、商業などの停滞により、まちの賑わいが低下しています。
一方で、地域には未活用の資源(たから)があります。これらを活用し、交流人口を増やすための一つである「近江日野田舎体験」により、これまで16,294人の方をお迎えしました。現在、受入家庭は150軒ですが、高齢化が進んでいることから、今後は受入家庭の確保と後継者育成、資質の向上により、地域の人的活性化への取り組みが必要となっています。
空き家情報登録制度においても、利用希望者が増加しているのに対し、空き家物件の登録が少ないため、さらなる空き家物件を確保する必要がありますが、仏壇や家財道具などの問題から確保が進んでいません。また、就労(就農)や子育て、定住後のアフターフォローなど、トータル的なサポート体制の構築が必要とされていることからも、地域とともに受け入れ体制を考えていく取り組みが必要となっています。
これらの課題に対し、平成27年10月に策定した日野町くらし安心ひとづくり総合戦略(日野町版総合戦略)にも位置づけ、取り組みを進めています。
古民家を中心に町内空き家散策(第2回空き家ツアー)
三方よしブライダル事業は、商業・観光振興に一役買っています。
日野町くらし安心ひとづくり総合戦略は、人と人がつながり、顔の見える関係のもと、自分たちで考え、自分たちで行動して安心して暮らせるまちづくりをめざして策定しました。地域の誇りと地域資源を活かすことにより、ひと、まち、しごとの要素がうまくつながり、持続発展可能なまちをめざしていきます。
また、平成14年度から取り組んだ町史「近江日野の歴史」は、平成27年1月に全九巻の発刊を完了しました。この事業を通じて、日野町全体が文化財であることを若い人たちや移住された方にも知っていただくことで、自信と誇りを持って豊かなまちづくりにつなげていくことができると考えています。
家族・地域の人々との「絆」の大切さに気づくきっかけとなった3.11東日本大震災の教訓は、自然に畏怖の念を持って、自然と共生し、人々が助け合って生きる社会を再構築することだったのではないかと思います。
自然との共存が人間社会の原点であるという田園回帰の流れを受け、いにしえの時代から続いてきた営み、自然と文化を大切にし、人と人が協力しあい、誰もが幸せになるまちづくりにさらに力を注ぎたいと思います。
誰もが幸せを感じるまちに
5月2日、3日の日野祭800年以上の歴史をもつ日野町で最も大きな祭