世界有数の透明度を誇る地底湖での特別イベント「龍泉洞ナイトケイブ」
岩手県岩泉町
2955号(2016年4月4日) 岩泉町長 伊達 勝身
岩泉町は、岩手県の沿岸北部に位置し、町の西端は県都である盛岡市と岩手郡に、東端は太平洋に接しています。東西は約51㎞、南北に約41㎞あり、面積は992k㎡余りの本州で一番広い町ですが、その総面積の9割以上を山林と原野が占めます。
気候は、町の中心部が盆地型で、西側の山岳地帯は高原型です。東側の沿岸地帯は太平洋側型で、冬の降積雪量は極めて少なく、比較的温暖ですが、夏は「やませ」と呼ばれる冷湿な北東風が入り込み、農作物に影響が出ることがあります。
人口は昭和35年の27,813人をピークに減少を続け、平成27年国勢調査では、速報値で約9,800人でした。高齢化率は4割を超え、少子高齢化が進行しており、定住化対策と少子化対策に取り組んでいます。
東日本大震災による大津波によって、海に面した小本地区を襲い、死者13人(関連死含む)、被害家屋208戸という甚大な被害を被りました。
町では、震災直後から一日も早い復興と住宅再建などに向けて取り組みを続け、25年度に2つの災害公営住宅団地、26年度には集団移転地の宅地造成を完了。28年1月現在では宅地購入者の大部分が住宅建築を開始、または完成させています。
27年10月には、被災した町立保育園に代わる認定こども園を開園し、12月には、集団移転地のほど近くに小本津波防災センターが竣工しました。同センターは3階建てで、役場支所や診療所、三陸鉄道の切符販売所などのほか、一次避難所となる多目的室や調理室などを備えた複合施設です。
役場支所、診療所、集会所などの機能を持つ「小本津波防災センター」
津波で被災した小・中学校も28年3月に完成し、震災から5年で被災した全ての公的施設が復旧することになります。
28年秋ごろには、地元の新鮮な魚介類を取り扱う産直施設を地区内にオープンする予定で、小本地区の復興とまちの再生、活性化をこれまで以上に一体的に考えていきます。
当町には、高知県龍河洞と山口県秋芳洞とともに日本三大鍾乳洞に数えられる国指定天然記念物「龍泉洞」が町の中心部にあり、年間約20万人の観光客が訪れています。
町西端に広がる県立自然公園早坂高原は、季節ごとにカタクリ、レンゲツツジ、アヤメなどが景色を彩る山野草の宝庫であり、東の海岸線には、三陸海岸でも屈指のビューポイントである熊の鼻と日本国内初の恐竜の化石発見地である茂師海岸が位置しています。
町では、この豊かな自然を誘客につなげようと、24年2月、岩泉観光ガイド協会を設立しました。岩泉商工会内に事務局を置き、「早坂山野草部会」「山部会」、「海部会」、「まちなか部会」、「龍泉洞部会」で構成されています。各部会の活動内容を紹介いたします。
盛岡市との境界に位置する早坂高原には、セラピーロードとして認定されている約2㎞の散策路があります。ウッドチップを敷き詰めたこの道は足に負担が掛かりにくく、森林浴と山野草を楽しみながらの散策に最適です。季節と散策希望時間からガイドが最適なコースを選んで案内します。
町のシンボル「宇霊羅山(うれいらさん)」、シラカバが広がる「毛無森(けなしもり)」、短角牛の放牧風景に出会える「安家森(あっかもり)」の3つのコースがあります。緩やかなペースでの散策で、山の素晴らしさを満喫できます。
小本地区では、地域の活性化を目的に設置された小本地域振興協議会が中心となり、22年夏から、漁船に乗って同地区を海から眺める「モシ竜ロマン・クルーズ」に取り組んでいます。
観光ガイド協会海部会の「モシ竜ロマン・クルーズ」
震災の大津波で小本地区も甚大な被害を受けたことから事業は一時中断しましたが、24年2月からガイド協会の海部会として再開しました。県外の団体客や県内の学校の防災学習としての申し込みも多数あり、今後の集客が期待されています。
また、震災を語り継ぎ、防災意識の向上を図るため、ガイドの案内で津波被災地の現状と過去の津波の歴史などを見て歩く「被災地ガイド」も受け入れています。
風光明媚な海岸線は、三陸復興国立公園の一部であるとともに、25年9月、日本ジオパークに認定された「三陸ジオパーク」の一部でもあることから、ジオ関連のガイドとしての需要も高まっています。
町の中心街「うれいら商店街」では、昔ながらのたたずまいを残す街並みと造り酒屋、地元の工芸家の作品を集めた店や伝統工芸を展示した蔵、カッパの伝説を持つ清らかな川などを案内します。
年度に新設した部会です。三陸ジオパークのジオポイントでもある龍泉洞の成り立ちや洞内に生息するコウモリなどを解説しながら案内します。
震災で被災した小本地区に伝わる郷土芸能「中野七頭舞」
同協会では、設立以来、4年間で述べ5千人近くの観光客を受け入れてきました。現在、およそ50人の町民がガイドとして登録しています。
しかし、登録ガイドはいつでも待機していて動ける状態という訳ではなく、修学旅行など大人数の団体客の申し込みを受けた際に必要な人数が揃うかという心配があります。この問題を解決するために、新たな人材の確保、育成が課題ですが、町民の高齢化が進む中、難しい状況にあります。三陸ジオパーク認定や、環境省の整備する長距離自然歩道「みちのく潮風トレイル」の開通に伴い、ガイドに対する依頼内容は年々多様化しています。
今後は、多様化するニーズに対応するため、複数の部会に亘って活動できるガイドを増員し、近隣市町村のガイド団体などと相互に協力し連携を深めることで、地域への誘客と受入態勢の充実を図る考えです。
併せて、ツアー全行程を通してのガイドや龍泉洞水源地帯を中心としたジオツアーのガイドを基にした滞在型のコースを本格的に造成、運営するためのガイド養成に取り組む予定です。
岩泉町の特産品といえば、最近では、岩泉乳業株式会社(山下欽也代表取締役社長)の「岩泉ヨーグルト」が挙げられます。
このヨーグルトは、なめらかな口当たりと弾力、まろやかな甘さが特徴的で、国際的な食品の品質品評機関であるモンドセレクションでは、23年から5年連続で金賞を受賞しており、25年には加糖ヨーグルト、27年にはプレーンヨーグルトが国際最高品質賞を受賞しています。
一時は、全国からの注文に生産が追い付かず、常時品薄状態が続きましたが、27年3月に、第3工場を増設したことで、ハードヨーグルトは日量9トン、ドリンクヨーグルトは日量4トンの生産体制が整いました。同社では、「今まで応援してくれた町民の皆さんへ感謝の気持ちを届けたい」と、同年6月に「岩泉ヨーグルト工場まつり」を開催。県内のラジオ番組の収録と連携したこのまつりには町外からも多くの人が訪れ、町内ににぎわいをもたらしました。
町民への感謝を込めて開催した「岩泉ヨーグルトまつり」にて商品を無料配布。
しかし、同社の経営が波に乗るまでの道のりは、決して順調ではありませんでした。岩泉乳業は、16年に、生産者自らが付加価値の高い製品を製造販売する、いわゆる6次産業化を目的に、町の第三セクターとして設立し、18年1月から操業を開始しました。当初は牛乳を主力商品としていましたが、消費低迷や大手との競合から販売の低迷が続いた結果、5年連続で赤字決算となり、経営は困窮を極めました。
この状況を打破するため、20年度から、主力製品を、牛乳から発酵乳製品に転換。地域の高品質原料乳の素材を生かし、独自の製法で発酵させることで、ハードヨーグルトには独特のもっちりとした食感を、ドリンクヨーグルトには濃厚なコクを生み出しました。この自信作を携えて、町外や県外で、試食、試飲会を開催してのヨーグルト営業を重点的に行った結果、販売店舗数を拡大させることができました。
併せてこのころ、「同社製品のおいしさと品質の良さを応援したい」という町内の消費者を中心にした「乳業応援隊」が発足し、町内外の親戚や知人に贈るなどの活動をボランティアで展開。おいしさを味わった人たちから口コミで人気に火がつき、この年のヨーグルトの売上高は1年間に約5倍と爆発的に伸びました。
ヨーグルトはその後も順調に売り上げを伸ばし、今では全国からの注文が相次ぐ人気商品となりました。23年度から単年度決算の黒字化を果たし、一時は3億5千万にまで膨れた累積赤字を27年上半期で解消するまでに成長しました。
25年には「岩泉ヨーグルトドレッシング」を発売。味は、プレーン、トマト、ハニーマスタードの他、当町が日本一の生産量を誇る畑わさびを使った「わさび風味」の4種類で、こちらも好調な売れ行きを見せています。同社では、今後も地元の特産品を使ったドレッシングを開発することで、6次産業化を推し進めていきたいと考えています。
新たな特産品「岩泉ヨーグルト」「岩泉のむヨーグルト」と「岩泉ヨーグルトドレッシング」
28年1月、町は、岩泉乳業をはじめとする第三セクター4社を子会社とする持株会社「岩泉ホールディングス株式会社」を設立しました。地域経済を発展させ、雇用の創出と6次産業化を推進することが狙いです。
今回ホールディングス化したのは岩泉乳業のほか、特産品製造販売を主に行う「岩泉産業開発」、菌床しいたけの製造販売を手掛ける「岩泉きのこ産業」、龍泉洞温泉ホテルなどを経営する「岩泉総合観光」の4社です。
岩泉ホールディングスは4社の株式を移転し、町が90%以上の株を保有します。子会社4社は従来どおり各事業を実施しますが、ホールディングス化により各社の総務、管理部門がまとまり、原材料調達や運送などの物流が改善される見込みです。各社の特長を生かした新商品の開発や新規事業にも取り組む予定です。
更なる地域振興の手段として第三セクター4社をホールディングス化しました。