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栃木県茂木町/「道の駅 もてぎ」物語

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年2月1日
道の駅のすぐ近くを疾走するSLの写真

週末にはSLが道の駅のすぐ近くを疾走する


栃木県茂木町

2948号(2016年2月1日)  茂木町長 古口 達也


茂木町に道の駅ができたのは平成8年の事でした。

昭和61年8月、街中を南から北に貫き大きく東に蛇行して那珂川に合流する「逆川」が、大雨により氾濫し未曽有の大水害を起こしました。町中心部は泥の中に沈み山村部では土砂災害が多発、死者もでるという大惨事となったのです。

その時、当時の阿部武史町長は、即座に国の激甚災害の指定を受けて逆川の抜本的な河川改修を行うことを決断、併せて早期復興と新しいまちづくりに挑むことを発表して町民を鼓舞したのです。その事業の一つとして生まれたのが「道の駅もてぎ建設計画」でした。幸いなことに「道の駅もてぎ」は、栃木県第一号の名誉ある称号を頂き、国、県のご支援の下に進められることとなりました。

しかし正直の所、当時は「道の駅」という概念が行政にも一般にもほとんど理解されず、本事業に手を挙げる市町村はほとんどありませんでした。本町でも、道の駅の建設に対する議員や町民の理解がなかなか得られず、議会では「こんなものを造っても人が来るはずがない」「トイレに何千万円も使うとは何事か」「行政が商売に関わってうまくいくのか」等々、喧々諤々の議論が交わされたのです。特に、道の駅の前を通るバイパスの開通が遅れる事が決定的となり、オープンからしばらくの間は車を旧道から誘導しなければならないということが判ったときには、一部町民や新聞から「道のない道の駅」などと言うレッテルまで貼られ揶揄されました。しかし、阿部町長の信念は固く、ひとつひとつの疑問や質問に丁寧に根張り強く対応し、最終的には、当初の計画通りの予算と執行を議会からお認め頂くこととなったのです。

町は、このような経過をたどった経緯もあり何が何でも成功させなければという強い思いをもって道の駅建設に臨みました。商家の跡取りであった町長と私(当時助役)はデザインや見た目優先のコンサルの店舗設計に何度も駄目出しをして変更させました。お客様が快適に過ごせる空間づくりを第一としたのです。また、お祭り広場のシンボルに「日本一の水車」(当時は水車が流行であった)を主張する商工会の意見を説得の上に退け、維持管理費が出来るだけかからない石の彫刻を提案しました。結局、日本の石の彫刻家の第一人者である流政之先生の作品を置くことに決定したのですが、流先生の作品は「道の駅もてぎ」のシンボルにふさわしい素晴らしい作品でありました。また、補助事業の関係で別々の施設としてつくらざるを得なかった4つの建物に一体感を持たせるために、アーケードで繋ぐことといたしました。

更に、運営を委託する第3セクターの設立に際し地元金融機関に出資と参加を求め承諾を頂きました。当時第3セクターの出資者は町、農協、商工会と言うような組み合わせが一般的でしたが、町長も私も、公的な事業に民間の知恵を導入することが第3セクターの利点であるならば、情報を持ち、経営力、資金力のある金融機関などに参加を求めるのは当然であるという考えでした。そして、運営のトップに立つ支配人は東武デパートから経営感覚をもった人材を派遣していただくこととしたのです。

4つの施設をアーケードで繋いだ「道の駅もてぎ」の空撮写真

4つの施設をアーケードで繋いだ「道の駅もてぎ」

紆余曲折を経た「道の駅もてぎ計画」ですが、平成8年、河川改修で生み出した総面積4haの敷地の中に、事務を司り観光案内をする「おもてなし情報館」、商工会が中心となって物産などの販売をする「商工館」、農協が運営する蕎麦と栃木和牛のレストラン「アグリハウス」、地元の農家の婦人グループによる花と喫茶の「ドリームフラワー」の4つの建物と「さわやかトイレ」、そして250台の駐車場を完備する施設として完成をみたのです。

オープンをしてみると、栃木県第一号という物珍しさもあってか「道の駅もてぎ」は連日の大賑わいとなりました。地理的に栃木県の県都宇都宮市と茨城県の県都水戸市を結ぶ中間点に位置していたことも幸いしました。トイレ休憩を兼ねた大型観光バスも止まるようになりました。結局、初年度は、予想を大幅に上回る来場者と売り上げを記録し、その後も毎年、前年比を上回る状況が続きました。

平成13年、それまで各館ごとに任せてきた運営を、「第3セクター株式会社もてぎプラザ」に一本化することといたしました。これにより全体の統一感と社員の一体感が更に強まるとともに、指示命令系統の一本化が図られることになりました。

平成14年、阿部町長の後を託され私が町政の舵取り役の座に就かせて頂くこととなりました。5年のブランクを経ての行政への復帰でした。久しぶりの道の駅は表向きには順調に発展しているように思われましたが、よく見てみると問題点も多々見受けられました。例えば経営の面から言えば、全体的な黒字経営の陰に隠れて赤字の部分や無駄な部分を何となく見過ごしてはいないか。また、行政の面からいえば観光だけではなく、教育や福祉の場としてももっと利用できないか。そうしたことを一度徹底的に分析してみる事としたのです。その結果様々な具体的問題が浮き彫りとなり、その後は、施設も運営もスクラップ&ビルドを念頭に進めて行くこととしました。

まず、経営的に難しいところは思い切って切り捨て、その一方で人気部門には更にテコ入れをすることとしました。婦人グループの「ドリームフラワー」は解散し、地元のそば粉を使った手打ちそば専門店に切り替えました。大好評のアイスクリーム売り場を拡張し、蕎麦と栃木和牛のアグリハウスは全面を野菜売り場に替えました。茂木町のおじいちゃん、おばあちゃんの作る減農薬で美味しい朝取り野菜は大変な人気でした。

野菜売り場の様子の写真

減農薬でおいしい野菜売り場

また、新たな部門も立ち上げることとしました。売り場に出荷してくれた野菜を出来るだけ利用すべく「お弁当、惣菜部門」を立ち上げました。茂木の柚子だれを使った「たこ焼き、たい焼き」もはじめました。商工館は茂木の木を使ったおしゃれな店舗にリニューアルしました。ラーメン専門店を立ち上げ「柚子塩ラーメン」「ニラ餃子」などの地場野菜を使った人気商品を開発しました。トイレもウォシュレット式の便座に替えました。駐車スペースは少しずつでも増やしていくこととしましたが、駐車スペースの拡張と売り上げの伸びは比例していく事に気付かされました。

地元の柚子をふんだんに使用した無添加商品の写真

地元の柚子をふんだんに使用した無添加商品

おとめミルクアイスクリームの写真

大人気の「おとめミルクアイスクリーム」

さらに、道の駅を役場職員の研修の場とすることとしました。ゴールデンウィークなどの繁忙期や町外への出店時には1~3年目の職員を販売員として店頭に立たせます。そして「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と大きな声で言いながら頭を下げることを教えます。10円利益を出すのがどんなに大変なことかを学ばせます。また、中学生などの職場体験も積極的に受け入れました。更に、授産施設の子供たちにはアルミ缶やペットボトルの処理をお願いし、そのお礼に一年に一度、道の駅で昼食を振舞う事としました。12月になると大人気のイチゴの「おとめミルクアイスクリーム」の無料券を保育園から中学生までの町内の子供全員に配りました。またクリスマスには町内の5つの保育園とひとつの幼稚園にサンタに扮した町職員が「かぼちゃドーナツ」を届けるようにもしました。町民に愛され親しまれる道の駅を最優先の目標としたのです。

平成24年、中学校の廃校跡に加工場を立ち上げ、「地場産品、無添加、手づくり、少量多品目」を商品づくりの基本理念に掲げ、柚子やブルーベリー、いちご、梅などの地場産品を利用した商品製造を始めました。こうした改革を続けた結果、道の駅は更に大きく発展することになったのです。

平成23年3月11日、東日本大震災発生。本町も大きな災害に見舞われ、3日間、電気が止まりました。道の駅も被害を受けました。しかし、水道施設は難を逃れ水が止まることはありませんでした。この水を求めて近隣市町村の住民が多数道の駅に押し寄せましたが、無料で自由にお持ち帰りいただきました。この大震災は、道の駅が災害時に果たすべき役割について見直すきっかけとなり、町は平成25年、道の駅内に災害時の避難所とブルーシートや水、ランタン、自家発電機などの保管所として「防災館」を建設しました。現在、大雨や台風時には職員が24時間、町民の避難所としていつでも使用できるように待機しています。

さて、「道の駅もてぎ」のこれまでの歴史を綴ってきましたが、当初、道路のユーザーの為の休憩所、案内所としてスタートした「道の駅」は、今や国交省も想像できなかったほどの多様な面を持つ施設となりました。「道の駅もてぎ」も地産地消の場、雇用の場、憩いの場、観光・防災・六次産業の拠点、福祉・教育・研修の施設等々、町民に愛され親しまれる施設となっています。そして、町にとっては「第2の役場」的存在ともなりました。

防災館の様子の写真

憩いの場としても使用できる防災館

今、茂木町では他市町村と同様、地方創生の地域戦略計画の策定に追われています。その計画案の中にも道の駅を拠点とした米粉スウィーツ製造や観光農園等の具体的施策が主要事業として挙がってきています。夢のような話でもありますが、私としては、どこまで道の駅を飛躍させることが出来るのか、大いなる挑戦を続けてみたいと思っています。現在、「道の駅もてぎ」の従業員は87名、売り上げは8億2,000万円です。これを3年後には、雇用100名、売り上げ10億円まで伸ばしたいと考えています。そして、「町民のための道の駅、訪れて下さった方のための道の駅、ここで働く社員のための道の駅」を合言葉に町ぐるみで盛り上げていければと考えているのです。

今年、「道の駅もてぎ」は「全国モデル道の駅」6駅のひとつに選定されました。これまでご指導、ご支援いただきました国土交通省をはじめとする多くの皆さんに心から感謝申し上げます。

講演の様子の写真