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群馬県下仁田町/ジオパークと世界遺産のある町下仁田~ジオパークにおける大学連携~

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年11月2日更新
下仁田ネギ畑と独特の山並みの写真

下仁田ネギ畑と独特の山並み


群馬県下仁田町

2939号(2015年11月2日)   下仁田町 産業観光課


下仁田町の概要

下仁田町は群馬県南西部に位置し、信州の山間地と利根川水系のかぶら川が作り出した関東平野との境に位置します。

西部は山頂の平らな荒船山、北部は日本三大奇勝の一つ妙義山など1,000mを越す山々がそびえ、中心市街地は小高い山々に囲まれた盆地からなり、 インターチェンジのある馬山地区から関東平野が広がります。全面積の約85パーセントが山林原野で、「下仁田ネギ」と「コンニャク」を特産物とする自然豊かな農山村です。 

一方で、下仁田町は日本列島誕生の秘密を握る地質現象が密集しているといわれており、ダイナミックな大地の変動を感じることができるジオパークに認定(2011年9月)されています。 これら大地が急峻な山地や独特の山並みを作り、その地形によって気候ができ、この土地ならではの風土を生みだしています。「ネギ」と「コンニャク」もこの大地から生まれてきたものです。  

長野と関東を結ぶ街道筋に位置し、古くは旧石器時代から人が住み着き、江戸時代には、中山道の脇往還の宿場町として栄えた様々な文化が行き交う土地でもあります。 

人々もまた厳しい自然環境のこの土地で自然をうまく利用しながら、産業を発展させ、歴史を積み重ねてきました。幕末から明治にかけては、鉱山、林業、農業など多くの産業が発達し、 特に養蚕分野の産業遺産「荒船風穴」は、自然が生み出す冷気を日本最大規模の蚕の卵の保冷施設として利用されてきました。 

そしてこの風穴利用が、当時の絹産業を大きく支えたとして2014年6月には世界文化遺産にも認定されました。 

荒船風穴の写真

世界遺産 荒船風穴

以上のような工業品を運搬するために上信電鉄の前身である上野(こうずけ)鉄道は日本で二番目に古い地方の民間鉄道として明治30年に開通しています。 

下仁田駅のすぐ近くには当時の繁華街を思わす昭和レトロな町並みが残っています。 

現在、下仁田町では地域ブランドの増強、地元の人の郷土愛の育成、交流人口の増加、さらには過疎化に歯止めをかける目的として、 ジオパークや世界遺産などの地域資源を活用した町づくりに取り組んでいます。 

レトロモダンな雰囲気漂う下仁田の町並みの写真

レトロモダンな雰囲気漂う下仁田の町並み

地域資源を活用したまちづくり

下仁田町には豊富な自然遺産がありますが、地域資源を活用した町づくりを始める10年前に先行してこれらを教育に活かそうという取り組み「下仁田自然学校」が発足しました。 

下仁田自然学校は、群馬大学の教授や県内の教員OBなど自然科学の専門家が中心となって組織された民間団体です。開校以降、地元の子どもたちとともに、 学びあうという自然科学分野の研究・教育活動を行なってきました。

2010年に入り、日本各地で地質資源を観光に活かした「ジオパーク」の取り組みが盛んになり、下仁田町でも本格的なジオパーク推進体制をつくりました。  

また、ジオパークの活動目標の中では「持続可能な地域開発」とうたっており、地域に根付いた推進活動を進めることが求められています。2014年には、 市民団体「荒船風穴友の会(会員数約600人)」「日本ジオパーク下仁田応援団(会員数約120人)」が発足し、地域一丸となった町づくりに取り組んでいます。 

高崎商科大の学生と日本ジオパーク下仁田応援団の写真

連携協定を結んだ高崎商科大の学生と日本ジオパーク下仁田応援団
(おそろいのベストを着ているのが応援団)

ジオパーク推進活動と大学連携

①教育活動としての大学連携

下仁田自然学校では、開校以降様々な教育・普及活動を行なってきましたが、その中のひとつ、下仁田町と共催で行なっている「夏の子ども自然探検教室」の取り組みを紹介します。

探検教室は教員志望の大学生を案内役に、公募で集まった小中学生と1泊2日の自然探検をする企画で、年に一度開催しています。教員志望の大学生は、 主に自然学校の後援会員でもある大東文化大学と都留文科大学の教授が学生に呼びかけて集まります。

探検教室の内容は、大学生、子どもたち、大人(スタッフ)の3者がそれぞれ班毎に分かれて、 そこで初めて顔を合わせたメンバーと「川の探検」「くらやみ探検」「早朝の森探検」「山の探検」を通じ、下仁田の自然散策を楽しみます。

川の探検で水生昆虫を観察する大学生と子どもたちの写真

川の探検で水生昆虫を観察する大学生と子どもたち

合宿の中では、初日には水に入るのを怖がっていた子どもが、翌日の沢歩きでは率先して水に入ろうとする一面や、初対面で無口だった子どもたちが、 探検終盤には上級生が下級生の面倒をみてあげる一面など様々な変化が現れます。子どもたちのより一層楽しい思い出作り、さらには心境の変化には年齢の近い大学生の参加が大きく影響していると思います。 

また、最近では長年探検教室に参加していた子どもたちが高校生・大学生となり、実際に子どもたちを案内する立場として参加してくれています。 地域で育った子どもたちが地域の担い手としてこれからも活躍してくれることに期待したいと思います。 

夏の子ども体験教室の思い出をつづった寄せ書きの写真

夏の子ども体験教室の思い出をつづった寄せ書き
(下仁田自然学校連絡誌より)

②研究活動としての大学連携

下仁田町は昔から地質研究の聖地ともいわれており、1950年~1970年にかけて多くの専門家がこの地を訪れて様々な研究・討論を行なってきました。 そして現在においてもそれは継続的に行なわれています。 

下仁田ジオパークの日本地質100選に選ばれた『跡倉クリッペ』(山の上と下で岩石が異なり上の岩石は別の場所で形成し、 地殻変動によってずり動いてきたといわれている)のすべり面では、毎年新潟大学・早稲田大学の学生が地質調査の研修授業に訪れています。 

ジオサイト跡倉クリッペのすべり面にて研修する早稲田大学学生の写真

ジオサイト跡倉クリッペのすべり面にて研修する早稲田大学学生

さらに、2015年には新潟大学の学生が、下仁田町内の住民の協力を得て、研究拠点をかまえ、約2ヶ月にわたる地質調査に訪れました。 そして年度末におこなった下仁田自然学校研究交流集会の中で応援団や地元の人にわかりやすく調査成果を紹介しました。 

下仁田ジオパークの大地のストーリーは解明されていない部分が多く、来訪者に魅力を伝える手段を模索していますが、 今回の発表を通じてより分かりやすいストーリーを作り出すことができそうです。  

無題

研究交流集会で研究成果を発表する新潟大学の学生

③地域づくりとしての大学連携

2014年には、町の活性化を目的に下仁田町と高崎商科大学とが包括的連携協定を結び、町内の観光資源の調査や町内の様々な行事に学生が参加し、イベントを盛り上げました。また、 2015年の1月には学生自らがまちなかの観光資源をみつけ、学生目線の地域おこしについて提案するシンポジウム「観光の未来を考えるin下仁田」を大学が開催しました。 

提案のひとつ「下仁田の玉手箱」の例を紹介します。来訪者に下仁田の魅力を味わってもらおうという目的で、 下仁田の飲食店とタイアップして試作開発した「下仁田の玉手箱」はネギやこんにゃく、しいたけなど下仁田の特産物を使っている、いろどり華やかなお弁当です。 ほかにも学生ならではの若い発想で様々な提案がなされ、地元の人たちとの活発な意見交換もなされました。 

地域おこしの提案をする高崎商科大学の学生の写真

観光の未来を考えるシンポジウムin下仁田にて
地域おこしの提案をする高崎商科大学の学生

地域資源の活用と今後について

明治から昭和にかけて産業都市として発展してきた下仁田町は、全国的な一次産業の衰退とともに都市部への人口流出が著しくなっています。この危機的状況を打破するために、 下仁田町は世界遺産とジオパークの両ブランドを掲げた観光都市に転換しようとしています。 

下仁田町には様々な観光資源があります。しかしながら、それらの素材研究や資料などが不足しているため、どのように活用していいか方向性を模索しています。 

「なぜ、下仁田ネギはあんなに美味しいのか?」「どうして妙義の石門のような奇岩が生まれたのか?」そういった一つ一つの疑問にアカデミックな裏づけをつけることでより理解しやすく、 また地域ブランド力の増強にも繋がると思っています。  

下仁田町では、自然科学に限らず地域素材の研究がしやすい環境づくりを進め、様々な分野の大学と連携しつつ、町づくりに活かしていきたいと思います。 

また、昨年始まったばかりですが、高崎商科大との連携によって、若い人が町を訪れるようになり、町内の人たちによりいっそう活気がでてきています。 若い人が、「面白そう、行ってみたい」と思う町を作っていくためにも、連携協定を結んだ大学生の活躍に期待していきたいと思います。 

下仁田町では市民団体や専門機関、大学と行政とが連携し知恵を出し合いながら魅力ある観光都市へ、さらに観光分野に雇用が生まれてくるようなまちづくりをすすめています。