ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村の取組 > 石川県中能登町/風の人・土の人が交わるまちづくり~「教育」「歴史」「観光」が暮らしを紡ぎ 能登半島の「住みよいまち」へ~

石川県中能登町/風の人・土の人が交わるまちづくり~「教育」「歴史」「観光」が暮らしを紡ぎ 能登半島の「住みよいまち」へ~

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年5月18日更新
雨の宮古墳群の写真

雨の宮古墳群


石川県中能登町

2919号(2015年5月18日)  中能登町長 杉本 栄蔵


町の概要

中能登町は、能登半島の中央に位置し、輪島市や金沢市、隣県の富山市とは、それぞれ50㎞と、おおよそ1時間圏内にあり高速交通体系の整備が着々と進む中、 各都市からの位置的な環境が極めて良好な立地条件にあるといえます。

地勢は、邑知地溝帯を中心とする平野部と、その両翼を東側に石動山、西側には眉丈山系が連なる丘陵地からなり、 国指定史跡の「石動山」、「雨の宮古墳群」のほか、「川田古墳群」など数多くの遺跡を残し、能登文化発祥の地としても広く知られた、豊かな自然と文化遺産に恵まれた地域です。 主要な集落は、平野部と丘陵部の境に沿って旧街道沿いに細長く分布しており、日本の原風景とも言うべき景観をかもし出しています。 

平成23年6月に、能登半島に広がる「能登の里山・里海」が世界農業遺産に認定されましたが、これは中能登町の農村景観や農村文化、生物の多様性、 そして中能登町の暮らしそのものが認められたものです。  

中能登町の面積は89.45k㎡、人口は約1万8千人です。基幹産業は、稲作を中心とした農業と、 石川県指定無形文化財「能登上布」を起源とした日本でも有数の繊維産地の集積が図られている合繊織物を主産業としており、その技術力並びに生産力では、日本最大級の産地を誇っています。

教育の充実による未来への投資

夢プロジェクトの取組

中能登町では、県下一の教育環境を目指して、3校あった中学校を1校に統合するとともに、6校あった小学校を3校に統合しました。 

特に、平成25年4月に開校した新生「中能登中学校」では、開校初年度から、学力・スポーツ共に県下でもトップクラスの成績を誇っています。  

これは統合を見据えて、「夢プロジェクト」としてソフト事業の強化を図った成果によるものと考えています。

この「夢プロジェクト」は、平成22年度から学校・教育委員会・PTA・体育協会を推進母体として、「県下に名高い中学校を築こう」という願いのもと、 学校間の交流活動や、ふるさと検定やふるさと学習、家庭学習の習慣化、新しい伝統としての行事の創造など様々な取り組みを行っています。 

平成26年度からは第2期として、高い目標を立てて取り組みを行っており、本年4月には、新生「鹿島小学校」が開校、中能登町の学校統合を終え、教育の充実期を迎えています。 

このように中能登町では、町全体で教育環境の向上を目指すとともに、教育の町としての「中能登スタイル」の確立を目指しています。 

中能登中学校外観写真

中能登中学校外観写真

学校支援員の配置

各小中学校には、各教室で学習に向かう際に、支援が必要な児童生徒がいます。 

そこで、学習に向かうことが困難な児童生徒や支援が必要な児童生徒に対して、全小中学校に15名の支援員を配置し、一人一人の困り感を解消し、 教員が授業を進めやすいようにサポートをしています。 

今後は、特に小学校1年生の学習規律の定着を図るために支援員を増員し、学習の支援の充実を図っていきます。

鹿島小学校入学式風景の写真

鹿島小学校入学式風景

若者が暮らしたくなる地域へ

こうした教育施策の充実により、保護者が安心して子供たちを学校に送り出す環境を整えていることが、これまで児童生徒の数が一定水準を保っている状況をつくりだしていると考えています。 

こうした取組により、若い世帯が中能登町に魅力を感じてもらえる地域となり、定住が促進されている要因の一つでもあります。 

更に、若い世帯が新たに中能登町に生活の拠点を移すことを支援していくため、定住奨励金を拡充し、最大100万円を助成するとともに、 高校生までの医療費を無料化にする乳幼児児童生徒医療費の助成、出産祝金として、第1子10万円、第2子20万円、以降10万円ずつ加算し、第5子では50万円を助成しています。 

その他にも、子育て世帯への経済的な支援として、チャイルドシートの購入費助成や、本年度からは保育園の第3子無料化など、新たな子育て支援制度を拡充しています。 

このような取組が、企業の注目を集め、特に世界最高水準を誇る合繊織物業界からの製造業の進出や、関連産業の工場の再開が期待されるなど、 雇用面でも活況ある動きが出てきており、若者の「しごと」「暮らし」「子育て」に充実したまちづくりが進んできていると実感しています。

歴史に育まれた風土とまちづくり

「能登はやさしや土までも」

この言葉は、能登人の人情や風土を巧みに言い当てている表現であります。まず「能登」という名前は、当町にある「石動山縁起」に由来しています。その石動山に元禄9年、 加賀藩侍「浅加久敬(あさかひさのり)」が詣でた際に、七曲がりという険しい山道で、馬子に難所はここだけかと聞いたら、杓子(しゃくし)峠という所があると答えたので、「ここよりも、 いくすくいほど多からん。杓子峠の道の悪さは。」と独り言のように歌を詠むと、馬子がすぐ「ここより、ふたすくい分ほど多いでしょう。」と返答したそうです。 

石動山 大宮坊の写真

石動山 大宮坊

文学的な要素がないと思い込んでいた馬子が歌を解し、しかも、この難所で疲れた様子も見せずに笑顔で的確な答えを返したので、 杵歌にもうたわれている「能登はやさしやつちまでも」とは、このことだろうと感慨にふけったと当時の日記にも書かれています。  

当時の能登の文化水準の高さや能登人の素晴らしさがこの歌になったとも言われており、こうした土壌が培われた中能登町にあって、 古来より北陸地方最大とも言われる古墳群が集積していることから、古墳時代は中能登町が能登の中心であったことが推測され、町を中心に広がる古墳文化が学べる地域となっています。 

特に、国指定史跡「雨の宮古墳群」や、平家物語にも記述されている「親王塚古墳」などが知られています。 

親王塚古墳風景の写真

親王塚古墳風景

また、北陸の霊山としての石動山は、山岳信仰に仏教が結びつき(神仏習合)、仏教徒らによって寺院の形が整えられましたが、 南北朝時代と戦国時代の二度にわたり全山焼き討ちの憂き目にあい、今では、草木に埋もれた沢山の礎石や石垣だけが往時を偲ばせ、栄枯盛衰を物語り、歴史の流れに翻弄された地域でもあります。 

こうした、数々の歴史文化遺産を後世に語り継ぐため、地域の住民の皆様方の参画により、それぞれの史跡を「護る会」が結成されるとともに、ボランティアガイドも育成されつつあります。

そして、町では史跡の保全に努めるとともに、世界農業遺産「能登の里山・里海」の景観を後世に伝えるため、中能登地域に伝わり、 加賀藩の農家の特徴である「東造り(あずまづくり)」と言われる建築様式の古民家を再生し、旧街道と古墳、まちなみの景観を守っています。

古民家が並ぶまちなみの写真

古民家が並ぶまちなみ

バリアフリー観光の推進

歴史文化遺産を愚直に守りながら、将来に伝えていくことが大切であると考えていますが、その一方で、こうした史跡にはバリアがたくさんあります。 

障がいの数だけバリアがあるとも言われており、障がいや高齢で自由がきかない方の不安を取り除くため、 全国統一規格の「パーソナルバリアフリー基準」に基づいた施設のバリア調査を行い、その情報をNPO団体のホームページから伝えています。 

「教育のまち」だからこそ、親子三世代や四世代で中能登町の観光施設を安心して訪れていただくために、施設を改修するだけではなく、バリア情報を伝え、 あらかじめその情報に基づいて、それぞれが旅を工夫してもらうことが大切であると考えています。  

毎年、調査の範囲を広げながらバリアフリー観光を推進しつつ、高齢者にもやさしいまちづくりを推進しているところです。

道の駅「織姫の里なかのと」の情報発信

昨年4月中旬にオープンした道の駅は、本年1月に石川県庁において石川県バリアフリー社会推進賞(施設部門)最優秀賞を受賞しました。 

道の駅外観の写真

道の駅

この施設は、高齢化社会に向けた地域振興施設として、段差や階段となる要素をなくし、すべてをバリアフリーとしたことや、回廊部分にはベンチを組み込んで、 歩行弱者用の休憩施設とし、また、車いす利用者が施設内どこでも回転可能な広さとするなど、総合的なバリアフリー化を実現したことが評価されたものです。平日の日中には、 老人福祉施設の利用者が福祉車両数台に分かれて訪れるなど、にぎわいある施設となっています。 

道の駅内部の写真

道の駅

そして、この道の駅は、中能登町の情報を広く発信し、町の魅力を直接感じ取ってもらうための施設であり、観光情報や特産品、農産物の発信拠点として整備しました。  

道の駅が完成したことにより、石川県内や富山県からも多くの来客を迎えることができ、本年2月末に能越自動車道七尾氷見道路が開通した相乗効果によって、 広域的な利用が図られています。 

また、町民の利用も多く、町の数々のパンフレットに興味を示されるなど、地域住民が中能登町を知るとても良い機会となる効果もありました。 

能登上布機織り作業風景の写真

能登上布機織り作業風景

むすびに

中能登町は、平成の大合併を経て町民の「融和」を基本として、これまで様々な融和施策を推進してきました。

特に、中能登町の文化・歴史や産業資源を活かしながら、地域に伝わる「曳山」や「御輿・獅子舞」、 地域の基幹産業である合繊織物を活かした「ファッションショー」などの地域資源を活かしたイベントの開催とケーブルテレビの整備や、その光ケーブルを活かした町内一円の無料電話の設置、 統合小中学校の整備、ほ場整備の推進、道路網整備など、社会資本の整備に重点を置き、町政を進めてきました。 

その一方で、福祉施策の充実も図り、バランスの取れたまちづくりが実現できていると高い評価をいただいています。

この結果、「住みよいまち」としての評判が、人口減少率が低く抑えられている原因であると考えています。 

これからも、中能登町に古くから伝わる歴史文化を大切にしながら、教育や観光を通じて、風の人、土の人が交わる住みよい中能登町を目指していきます。