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大阪府千早赤阪村/みんなが集う みんなで育む みんなに優しい みんなを結ぶ ちはやあかさか

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年5月11日
葛城山、金剛山の写真

下赤坂城跡付近から葛城山、金剛山を望む


大阪府千早赤阪村

2918号(2015年5月11日)  千早赤阪村長 松本 昌親


楠公さんと金剛山(こごせ)の里

大阪府内唯一の村、千早赤阪村は、大阪府の南東部に位置し、河内長野市・富田林市・河南町そして、金剛・葛城山脈の主峰金剛山を隔てて奈良県御所市・五條市と接しています。 面積は37.38k㎡で、そのうち森林の面積が8割ほどを占めています。また大阪市内中心部までは直線距離で25㎞ほど、車で1時間程度といった大都市の近郊にありながらも、 大自然を感じることができる村です。 

昭和31年9月30日に千早村と赤阪村が合併して、現在の千早赤阪村が誕生しました。平成28年に村制制定60周年を迎えます。 

村の歴史を代表するのは、鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した名将・楠木正成で、建武新政を目指して活躍した正成の生誕地やゆかりのある史跡などが多く残っています。 村民の方は楠木正成を「楠公さん」と親しみを込めて呼んでおり、毎年4月25日には楠木正成の誕生を祝う「楠公祭」が楠公誕生地にて行われます。  

楠公祭の写真

楠公祭

千早赤阪村には棚田や清流、国定公園など自然が多く、四季折々の表情を見せてくれます。大阪府内外からも人気のある金剛山(こんごうさん)は、大阪府を代表する山の1つであり、 村民の方は昔から「こごせ」と呼んでいます。特に冬の金剛山には、多くの登山客が訪れ、1年で最も寒くなる1月から2月にかけて山頂付近は、しばしば「樹氷」で白く染まり、 自然が生み出す芸術を楽しむことができます。大阪にいるのにソリ遊びを楽しむことができます。 

大阪の財産ともいえる千早赤阪村は、心のやすらぐ里として多くの人に親しまれています。

金剛山の樹氷の写真

大阪では珍しい金剛山の樹氷

村のシンボル―金剛山―

金剛山は府内外からも毎年多くの登山客が訪れている大阪府下最高峰、標高1,125mの山です。その多くはリピーターで、中には出勤前に登る方もおられ、健康づくりの山としても有名です。

山頂まで行く方法は2つあり、1つは自分の脚で登る方法、もう1つは村営ロープウェイを利用して一気に頂上付近まで行く方法です。頂上付近には村営の宿泊施設をはじめ、 天体望遠鏡を備えた「ちはや星と自然のミュージアム」やキャンプ場、ピクニック広場などもあり、婚活イベントやナイトハイク、サマー・ウィンターイベントなどさまざまな催しがあります。 冬になると大阪府ではあまり雪が積もらないのですが、金剛山では30㎝ほどの積雪があり、樹氷やそり遊びなどを楽しむこともでき、登山客だけでなく、小さな子どもを連れた家族なども多く訪れ、 気軽なファミリーレジャーの山として、大自然を思う存分満喫することができます。 

村営ロープウェイの写真

村営ロープウェイ

また、金剛山では他の山ではあまり見られない、珍しい登山回数の記録システムがあり、回数カードを購入すれば頂上でスタンプを押してもらえ、登山回数を記録してもらえます。 1万回以上の登山を記録している方もいらっしゃいます。  

さて、古文書に出てくる金剛山の話として、古くは「古事記」や「日本書紀」のものがあります。これらの話からは、古代に金剛・葛城の地が特別な地、 すなわち聖地として捉えられていたことを想像することができます。

鎌倉時代末期には、金剛山頂の転法輪寺を中心に金剛七坊(坊領千軒、多聞寺、修道子、朝原寺、高天寺、石寺、大沢寺)と称される山岳寺院が配置され、修験道の行場として栄えました。 また、南北朝時代には、楠木正成が金剛山地の豊かな自然地形を巧みに利用して山城を築き、幕府軍に応戦しました。 

近世には、金剛山への山道が整備され、町石や道標が多く設置されました。現在、その多くは転倒埋没などの問題が起きていますが、地域住民や様々な団体の手により、 元の姿に戻りつつあります。また、そのルートは1つではなく、関谷道、小和道、水分道など、大和、河内の様々な場所から金剛山頂へ向かうことができるようになっており、 今も町石を辿りつつ山頂を目指す登山客も多く見受けられます。 

町石は、高野山町石のように国史跡となっているものもあるので、みなさんにも大自然の中、登山を楽しみながら、是非見ていただきたく思います。 

そして、頂上まで登ったあとには、村営宿泊施設「香楠荘」にて、湧水を使用した古代ひのき風呂の入浴やお食事などを楽しんでください。 

また、恵み豊かな自然は、「うまし水の里」と評され、金剛山からの清流や伏流水は地元住民をはじめとする多くの方々を潤し続けています。 

是非皆さんも、「森林浴の森百選(林野庁)」にも選定されている金剛山へ、日頃の喧騒を離れて自然に癒され、また運動不足解消、健康づくりのために、 そして悠久の歴史を肌で感じるために、訪れてください。

村のシンボル―下赤阪の棚田―

平地の少ない本村では、斜面に階段状に積み重なった田である「棚田」を見ることができます。とりわけ、 平成11年に農林水産省により「日本の棚田百選」に選定された「下赤阪の棚田」は、楠木正成が築城したとされる赤阪城の付近に位置し、春には「水を引き込んだ棚田」、夏には「青々とした棚田」、 秋には「黄金色の稲穂が波打つ棚田」、冬には「雪化粧をした棚田」というように、四季折々の美しい姿を見せてくれます。 

なお、「太平記」には、「かの赤坂の城と申すは、東一方こそ山田の畔重々に高くして」と記されており、景観としてのみでなく、歴史的にも大変貴重な棚田であると考えられています。 

また、平成21年度から毎月11月に開催される「金剛山(こごせ)の里 棚田夢灯り&収穫祭」では、約3,000灯の灯籠によってライトアップがされ、府内外から大勢の観光客が訪れます。 

棚田夢灯り&収穫祭 ライトアップされた棚田の写真

金剛山の里 棚田夢灯り&収穫祭 ライトアップされた棚田

村のシンボル―秋祭りー

秋を迎え、稔の季節となる頃、本村では各地の氏神様に収穫を感謝する秋の祭礼が開催されます。その中でも建水分神社(たけみくまりじんじゃ)では、毎年10月の第3土曜日に、 本村のほか、隣接する各氏子地域の地車が、神社から約1㎞北西にある通称「比叡前(ひえのまえ)」と呼ばれる御旅所に集結し、神様がお遷りされた御神輿の前に宮入りし、 上方芸能の原点とも云われる寸劇の俄(にわか)を奉納します。奉納俄を行う場所は、なんと地車に作られた舞台の上。この地域の地車には、全て前方に欄干付きの舞台が備えられています。 

御神輿を中心に19台の地車が参集した風景は河内随一と言われています。 

建水分神社の秋祭 迫力ある地車の写真

建水分神社の秋祭 迫力ある地車

中津神社の獅子舞の写真

伝統文化 中津神社の獅子舞

人口減少と地域活力の衰退

都会の近くにありながらも自然を満喫できる千早赤阪村ですが、人口は年々減少をたどっています。 総人口は昭和60年の7,697人をピークに平成22年には6,015人と1,682人の減少がありました。平成25年度には6,000人を切り、平成26年12月末では5,750人となっています。 平成26年4月には大阪府内で初めて、過疎地域自立促進特別措置法における「過疎地域」として公示されました。 

また、人口減少の一方、世帯数は増加傾向にあり、核家族化や、高齢者のひとり暮らしなどが見受けられます。年齢3区分別に人口を見ると、0歳~14歳の年少人口と、 生産年齢人口のうち、15歳~29歳までの若者世代の減少は著しいものがあります。一方、高齢者の割合は年々高まる一方であり、全国平均や大阪府の平均を大きく上回っており、 人口減少と少子高齢化が深刻化しています。働く場が村内に少ないため、農林業以外の大半は村外に働きに出ている状況であり、より便利なところを求めて転出していく傾向にあります。 

少子高齢化による担い手の減少などにより、農林業への就業者は年々減少しており、耕作放棄地や荒廃した山林が増え、地域活力が衰退する一因となっています。

交流人口の増加に向けて

千早赤阪村では平成23年度に第4次総合計画を策定し、「人口の維持」「地域の活性化」を最重点目標に掲げています。 これらの最重点目標を達成するために「次世代育成プロジェクト・住みたいむらプロジェクト・交流人口増加プロジェクト」の3つの重点施策を設け、様々な施策に取り組んでいます。 

3つの重点施策のうちの1つ、交流人口増加プロジェクトについては平成23年12月1日付で庁内に横断的組織として「交流人口増加プロジェクトチーム」を設置しました。 月に2回ほど会議を開催し、交流人口の増加を目指しています。村を訪れ、村を知り、村に滞在してもらうことで、ゆくゆくは定住へとつなげ、定住人口の増加を目標にしています。 

金剛山のサマーイベントにてボランティア活動をしている写真

阪南大学との連携事業 金剛山のサマーイベントにてボランティア活動

また、プロジェクトチーム以外にも、交流人口増加に向けた取り組みを行っています。平成24年7月には大阪府松原市にある阪南大学と連携協定を締結しました。  

取り組み内容としては、金剛山周辺地域の活性化に向けた調査研究として、学生や教授が登山者に金剛登山に係るニーズ調査を実施、学生が企画した村内観光ツアーの提案や実施、 農林産物直売所の売上UPにつながる仕組みづくりの研究調査、海外旅行者の誘致、村内での各種イベントにボランティア活動の参加など、若い学生の力や視野によって、 新たな千早赤阪村の魅力を探し出していただいています。 

大学との連携以外の取り組みとしては、平成23~24年度には住民協同発掘調査として、村内の遺跡にて住民との発掘調査を行いました。発掘調査では大阪府外からも多くの応募者があり、 東京や横浜からの参加者もありました。発掘調査での住民協同は珍しく、関東地方でも新聞などのマスメディアに取り上げられたようです。当日は府内外から参加したたくさんの方々が、 スコップを片手に発掘を行い、太古の世界を感じておられました。発掘現場からは土器の一部などが出土し、また川からは水を通した溝のような形跡も発見されました。 

住民協働での発掘調査の写真

住民協働での発掘調査

平成24年度からは村民の方が主体的に活動できる制度を設けた村民提案型協働事業を開始し、村民の方の活動による交流人口の増加を目指しています。 

中でも、近世に金剛山の登山道として整備された古道を再生するため、案内板の設置や階段となる枕木の取替えなどの整備や、担い手がいなくなった耕作放棄地を借り上げ、 農園やそば畑に開拓し、実ったそばでそば打ち教室を開講するなど、地域住民の交流や村外の方との交流の場を創り出していただいています。 

また、下赤阪の棚田では千早赤阪村の美しい棚田の風景を守ろうと、棚田を使った米作り講座「大人の棚田塾」を平成25年度に始めました。参加者を一般募集し、 田植えから収穫までの米作り、農地保全の作業を体験していただき、今後の活動に生かそうとしています(年間/20回開催)。 

第1回の募集では定員10人のところを80人が応募されました。こんなに棚田や米作りに興味のある方がいらっしゃるとは驚きでした。  

今後は積極的にPRして、援農者として地域に貢献できる組織作りをしていきたいです。今では、村人と塾生もすっかり仲良し。 その中から本格的に農業を始めたいという人が出てきています。伝統的な棚田の米作りにぜひ皆さんも参加してください。 

今後も、交流人口を増加させ、大阪府内外の方に千早赤阪村を知ってもらうことから、千早赤阪村の魅力を発見してもらい、定住へのあこがれにつなげていければと思います。 

下赤阪の棚田の写真

黄金色に波打つ下赤阪の棚田

早乙女による田植えの写真

下赤阪の棚田にて、早乙女による田植え

村の将来像

千早赤阪村には、楠木正成や金剛山をはじめとした豊かな歴史、自然があります。また、みんなが参加する祭なども多く、さらに、子育てや教育にも目が行き届き、 地域のコミュニティが息づいています。 

今後は、村を大切に守り、良いところを生かし、磨き、村民や村外の人を結び、人口や行政の課題を乗り越え、自信と誇りを持って自立できるむらづくりを、 村民と行政が手を携えて進めていきたいと考えています。