『国指定史跡「車塚古墳」全景』
栃木県壬生町
2893号(2014年9月22日) 壬生町長 小菅一弥
壬生町は、栃木県の中南部、東京から北に約90㎞に位置し、県庁所在地の宇都宮市をはじめとする4市に囲まれています。人口は約4万人、面積は61.08k㎡で、 関東平野の北部にあたる海抜50~100mの平坦な地形で、自然災害の少ない町です。
町の中を3つの河川が流れ、それらがもたらす肥沃な土地では、特産の「イチゴ」・「トマト」・「ニラ」等の栽培が盛んです。特に「かんぴょう」は、 江戸時代より生産が始められ、壬生は「野州かんぴょう」発祥の地でもあります。
壬生の歴史は古く、恵まれた自然環境を背景に、原始・古代より多くの人々が暮らしており、国指定の5つの古墳を始めとする多くの史跡が確認されています。
平安時代には、後に天台座主となった慈覚大師(円仁)が誕生し、戦国時代には、壬生氏によって壬生城が築かれました。
その後、江戸時代に「壬生藩」が立藩して以来、幾多にわたる城主の変遷を経て、明治維新を迎えています。その間、三万石の城下町として、日光西街道の宿場町として、 また、黒川を利用した河川交通の要衝として栄えてきました。
明治になると廃藩置県により「壬生県」が誕生し、明治22年の町村制施行により「壬生町」となり、その後、昭和29年、30年の近隣2村との合併・編入を経て、 現在の「壬生町」に生まれ変わりました。
昭和37年には「おもちゃ団地」の誘致を開始し、昭和48年に「獨協医科大学」が開校、翌49年には「獨協医科大学病院」が開院し、以後、 県内町村有数の人口を擁する町に発展してきました。
最近では、平成7年に壬生町の地場産業である「おもちゃ」をテーマとした「壬生町おもちゃ博物館」が開館、また、 平成12年の北関東自動車道の開通に伴い「壬生インターチェンジ」が設置され、平成21年には「みぶハイウェーパーク・道の駅みぶ」がオープンするなど、恵まれた地域資源を受け継ぎ、また、 新たな財産として築き上げながら、一歩一歩、次の未来へのチャレンジを続けています。
干瓢の原料「ゆうがお」の実
みぶハイウェーパーク・道の駅みぶ
町では、まちづくりの指針である『壬生町第5次総合振興計画後期基本計画(壬力UPすまいるプラン)』に基づき、各種施策の積極的な推進と事業展開を図ってきました。
『壬力(みりょく)』とは、壬生町の魅力や活力、創造力など、地域や住民が持つ様々なパワーを象徴的に表現した造語ですが、 住民と行政が一体となった協働のまちづくりの原動力、推進力となるものです。
「壬力輝く個性豊かなまちの創造」を次の未来に向けた目標とし、これまで脈々と受け継がれ、 育まれてきた「歴史・文化」、「自然環境」、「農産物」などの恵まれた地域資源に加え、「おもちゃ」や「医療」などの新たな資源を活用した『壬力UP(みりょくアップ)』を最重要課題として位置づけています。
壬生町の北東部には、全国でも例のない「おもちゃのまち」というユニークな地名があり、町を南北に縦貫する私鉄「東武宇都宮線」には、「おもちゃのまち」という駅もあります。
これは、昭和30年代後半から40年代にかけて、東京都の墨田区などから、玩具製造関連の企業・工場(輸出玩具団地)を町内へ誘致したことに始まります。 これを契機に町内への通勤者や居住者が増加し、団地に隣接したエリアでは、新たな住宅開発や新駅設置などが進められ、「おもちゃ」のふるさととして、 子どもたちに夢と希望を与えられるようにという想いで「おもちゃのまち」という地名が付けられました。
当時の輸出玩具団地誘致の様子
以来、「おもちゃのまち」は、本町の地場産業となる玩具製造業の発展と共に、活気に溢れた賑わいのあるまちへと姿を変えてきましたが、 昭和から平成にかけての社会経済情勢の変化に伴い、海外に製造拠点を移す企業が増加し、関連企業も次第に撤退するなど「おもちゃのまち」を取り巻く環境も大きく変化をしてきました。
こうした危機的状況を打開するため、町は、地域住民・関連団体や企業とともに、産業振興や地域の活性化などについて協議する検討委員会を設置し、 今後の対応等についての協議・検討を重ねていきました。その中で「おもちゃ」は、壬生町の代名詞にもなっており、「おもちゃ」という言葉が持つブランド力を活用していくことが、 今後のまちづくりには必要であるとの結論に達しました。そして、21世紀を担う子どもたちが、おもちゃとのふれあいを通して心豊かで、創造性に富む人間に成長することを願うと共に、 地場産業の振興と観光資源の開発を目的に、ふるさと創生事業の一環として、おもちゃをテーマとした「おもちゃ博物館」を整備することとなりました。「おもちゃ博物館」は、 平成5年1月から建設が開始され、平成7年4月に完成しました。町のほぼ中央部に位置し、外観は、中世の西洋の城をイメージしたつくりで、「大人の郷愁と子どもの夢のかけ橋」をコンセプトに、1階は、 おもちゃのワンダーランドとして体験型の展示、2階には、昔なつかしい「ブリキのおもちゃ」をはじめとする数多くのおもちゃを展示、3階は、周辺が一望できる展望室となっており、 大人から子供までが楽しめる施設となっています。
おもちゃ博物館の全景
平成17年には、別館を増設し、Nゲージなどの鉄道模型が楽しめる「鉄道模型の部屋」を整備、平成21年には、体を使って楽しく遊べる大型遊具「きんぐとくぃーん」を整備するなど、 来場者の意見や要望、時の流行などを踏まえ、計画的な施設改修を実施してきました。
また、施設運営の面では、玩具メーカーやおもちゃ団地協同組合の協力を頂きながらテーマを持った企画展を年に数回開催するとともに、 玩具メーカーが運営するおもちゃのまちのミュージアムや年間入場数が80万人を超える県立の総合公園「とちぎわんぱく公園」との連携によるPR情報の発信など、北関東自動車道からのアクセスの良さ、 施設の立地条件を活かし、関東近県からの誘客にも努めています。最近では、年間パスポート発行によるリピーターの増加や施設のリニューアル効果などもあり、年間来場者数が20万人近くに達するなど、 観光拠点としても各方面からの注目を集めています。
一方、「おもちゃのまち」では、おもちゃ団地協同組合、東武鉄道、地元商店会などが連携し、珍しい地名を全国に広げようと、 独自のキャラクターを使ったイベントの企画やグッズの作製、「ビール祭り」などの誘客イベントを開催するなど、地域住民自らが地域を盛り上げ、その力で、 町全体を盛り上げていこうという活動も盛んになっています。
このように「おもちゃ」は、他にはない貴重な地域資源であり、今後も「おもちゃ」の持つ力をまちづくりに活かし、さらなる「壬力UP(みりょくアップ)」を図っていきます。
おもちゃ博物館内の遊具
バンダイミュージアム
壬生町は「医療のまち」でもあります。江戸時代末期、時の藩主であった鳥居氏は、小藩ながら蘭学を積極的に取り入れ、医学、兵学などを学ぶ基礎を作ったとされており、特に、 医者である蘭方医を数多く輩出しています。
壬生では、これらの医師たちにより、早くより西洋医学が取り入れられ、人体解剖や天然痘の予防のための種痘が行われるなど、近代医学の基礎が築かれた地でもあり、また、 戊辰戦争時には、国内初の女性看護人がこの地で誕生したことが確認されるなど、医療の先進地でもありました。
蘭学を町に取り込んだ進取の精神は、現在にも引き継がれています。昭和40年代後半には、獨協医科大学と同大学病院が相次いで設立され、 地域医療を担う医師や看護師などの人材を育成する高等教育機関として、また、高度医療を提供する特定機能病院として、地域医療分野での重要な役割を担っています。獨協医科大学の立地により、 これまでの歴史が育んできた壬生町の「医療のまち」としてのブランド力は、「医療最先端のまち」へと高められたといっても過言ではありません。
獨協医科大学病院
また、平成25年度に実施した「まちづくりに関する住民アンケート」では、「壬生町は住みよい」との回答が88%にも達しました。 その理由としては「病院・医療施設が整備されている。」との回答が48.7%と最も多く、多くの住民にとって、獨協医科大学と同大学病院の立地は、安心して生活できる大きな要因ともなっています。
平成25年5月には、町と獨協医科大学間で、町民が安心して住み続けられる医療最先端のまちづくりをめざした「連携・協力に関する協定」を締結し、これに基づき、同年6月には、 広く町民に日常の病気予防や健康づくりについて学ぶ「機会」と「場」を提供し、医療に関する知識の普及啓発を図ることを目的とした「みぶまち・獨協健康大学」を開校しました。
「みぶまち・獨協健康大学」は、大学病院の医師や看護師、町の保健師等を講師に、「救命応急措置とドクターヘリ見学」、「認知症サポーター養成講座」や心臓病、がん、 うつ病などに関する全8回の講義を行うもので、定員40名の限られた人数ではありますが、受講された方々には、習得した知識などをそれぞれの家庭や地域で活かしていただき、 健康寿命や平均寿命を延ばす契機にしたいと考えています
受付開始後すぐに定員に達するなど、非常に人気が高く、町には、定員枠の拡大や回数の増加を望む住民からの声が数多く寄せられ、 生活に身近な病気の予防や健康づくりへの関心の高さを反映しています。
既に受講された方々は、地域における健康づくりのリーダーとして、より高度で専門的な知識を習得するためのグループを作り、 自分たちで研修会を企画するなどの自主的な取り組みも始められています。
今後も、「みぶまち・獨協健康大学」を中核に、高度医療、最先端医療の拠点である獨協医科大学との連携・協力のもと、 病気予防や健康づくりに対する町民の意識の高揚と住民の自主的な健康づくり活動を支援し、「医療最先端のまち・メディカルタウン」として、さらなる「壬力UP(みりょくアップ)」を図っていきます。
みぶまち・獨協健康大学講義の模様
ドクターヘリ見学の模様
全国的にも少子高齢化の進行や財政状況の硬直化など、われわれ地方自治体を取り巻く環境は、年々厳しさを増していますが、そのような中、私どもの町は、 合併ではなく単独で進化していく道を選択しました。幸いなことに壬生町は、多くの地域資源に恵まれ、それらを特色や個性としてまちづくりに活かしてきました。
これからのまちづくりでは、壬生町が多くのみなさんにとって「住み続けたくなるまち、住んでみたくなるまち」として、すべての世代の方に「住んで良かった」と実感していただけるよう、 町の「壬力」をよりいっそう高めていくことが重要となります。
今後も、「壬力輝く個性豊かなまちの創造」を目標に、「地域資源の発見・発掘」から「新たな魅力の創造」へのシフトを促進するとともに、多くの町民の理解と協力のもと、 創意と工夫を凝らしてさらなる「壬力UP(みりょくアップ)」を図っていきたいと考えています。
八坂祭 勇壮な女神輿
壬生路を駆けるゆうがおマラソン大会(平成26年12月7日開催予定)