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山梨県小菅村/源流にこだわり源流を活かした村づくり~「源流白書」を作成 全国の仲間と連携し源流基本法制定めざす~

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年7月14日
小菅川源流の写真

小菅川源流


山梨県小菅村

2886号(2014年7月14日)  小菅村長 舩木 直美


今何故「源流白書」なのか

河川の源流域に位置する全国18市町村で構成する「全国源流の郷協議会」(会長 舩木直美 小菅村長)が平成26年5月28日、 源流域の過疎化と森林荒廃のために国土が重大な危機に直面している現状を訴える「源流白書」を完成させ都内で記者発表をしました。「源流白書」では、 源流を守るための緊急提案として「源流基本法」を制定し、源流域を守るためにあらゆる力を結集する仕組みをつくることを提唱しました。 

小菅村が、国の支援事業である国土施策創発調査(平成16年度事業)を主体的に取り組む中で、全国源流の郷協議会は平成17年11月に設立。 その目的は、全国の源流をもつ自治体が一体となって、国や社会に対して、政策提言や新しい暮らし方を提案しそれを実現することでした。当初、 7つの町村から出発した協議会ですが、現在は、島根県、愛媛県、高知県、岡山県、和歌山県、奈良県、長野県、山梨県、群馬県の9県、 18の市町村で構成されています。 

今、日本各地の源流の町や村では、想像を超える人口の減少が進んでいます。多摩川源流の山梨県小菅村でも、 1955年(昭和30年)には2,244人の人口を擁していましたが、2014年1月現在では741人となり、この58年間で人口の7割が減少しました。また、 1980年から2010年までの30年間の減少数は468人で、この減少数を基に30年後を予測すると小菅村の人口は273人となります。このような状況が進行するなら、 これから先30年後には全国各地の源流の村や町の大半が消滅しかねないという重大な危機に直面することになってしまいます。  

人間社会に大きく貢献している源流の森林は荒廃し、その影響で流域の自然環境は劣化し、また、 経済優先の風潮の中で流域としての共同の一体感が薄れるなど、源流の森と河口の海との繋がりは弱まってきました。地球温暖化による異常気象が進行するなか、 このままでは山は崩れ、河川は暴れ、国土の荒廃へと進み、国民の生命と暮らしに甚大な影響を与えかねません。 

小菅村としても、このような現状をなんとしても打開したいと模索していた最中、平成24年10月の四万十川源流、 高知県津野町で開催した第3回全国源流サミットにおいて東京大学名誉教授の高橋裕先生から「源流白書」に関する貴重な提案を頂きました。 

源流白書が提案された第3回全国源流サミットの写真

源流白書が提案された第3回全国源流サミット(平成24年10月 高知県 津野町)

全国源流の郷協議会は、この提案を平成25度の最重点課題として取り組み、 源流白書検討会委員の方々の協力のもと「源流の危機は国土の危機」をテーマとする「源流白書」を完成することが出来ました。今こそ、 水資源や森林資源など豊かな環境に恵まれた源流域を再生し、確実に次の世代に引き継ぐことが我々に課せられた喫緊の使命であり、 課題であると痛感いたしました。 

平成26年3月完成した「源流白書」の写真

平成26年3月完成した「源流白書」

源流にこだわった村づくりを決意

小菅村は、山梨県の東北端に位置し、東は東京都奥多摩町に、北は丹波山村、西は甲州市、南は大月市と上野原町に接しています。 村の95%を山林が占め、周囲を1300~2000m級の高い山々に囲まれ、中心集落の標高は約660mと地勢は急峻で勾配は30度にも達します。厳しい自然環境の中、 どうすれば小菅村を世にアピールすることができるのか。 

着目したのは、小菅村が首都圏を流れる多摩川の源流域に位置するという現実でした。多摩川流域には、400万人を超える住民が暮らしています。 この流域と交流と連携を深めようという決断でした。 

昭和62年に多摩川の源流に水源の森を守り続けている小菅村があることを広めるために「多摩源流まつり」を開始しました。 人口1000人足らずの村に1万人を超える流域の住民がまつりに足を運んでくれました。  

続いて、平成6年に温泉施設「多摩源流小菅の湯」をオープンし、年間を通じて多くの流域住民の方々が温泉を訪れるようになりました。 しかし、周辺自治体に温泉施設が建ち始めると入湯客は次第に減少し始めてきました。 

21世紀を前に小菅村は、環境や教育が大切にされる時代が必ずやってくる、 源流本来の輝きを放つそんな村を作りたいと「源流にこだわり源流を活かした村づくり」(第三次総合計画)を決意し、 新しい源流の価値観の創造と自然環境の保全を研究テーマとする「多摩川源流研究所」を小菅村のむらづくりのシンクタンクとして設立することを決めました。 

多摩川源流まつりの写真

昭和62年から開催している「多摩川源流まつり」

村立の「多摩川源流研究所」を設立

平成13年4月、小菅村は多摩川源流で資源調査と源流絵図作成に取り組んでいた中村文明さんを研究所の所長に迎え、 村立の「多摩川源流研究所」を設立しました。 

多摩川源流研究所設立準備室開設の写真

多摩川源流研究所設立準備室開設(平成12年9月)

研究所は、第1に源流の自然、歴史、文化などの資源の調査・研究、第2に情報の発信と会報「源流の四季」の発行と配布、 第3に交流人口の拡大を目指し源流体験教室をはじめとする上下流交流事業の推進、第4に緑のボランティアによる森林再生の活動、 第5に源流の理解者を増やす源流ネットワークの形成などの事業に取り組んできました。また、 研究所の運営委員長に東京農業大学の宮林茂幸教授をお迎えできたことは、その後の運動の発展と流域連携へ大きな力となりました。 

小菅村と同研究所はこの13年間、切れ目のない様々な活動を展開してきましたが、特に平成15年度の緑のボランティアによる森林再生活動、 平成16年度の国土交通省・環境省・林野庁との省庁連携による国土施策創発調査、 平成18年度の「源流百年の森づくり」平成20年度・21年度の「源流元気再生事業」(内閣府支援事業)、平成25年度の源流白書作成事業などは、 その一つ一つの活動が小菅村の存在と知名度を流域へ広げる上で大きく貢献するものでした。  

とりわけ、平成16年度の国の支援による「源流再生・流域単位の国土の保全と管理に関する国土施策創発調査」に小菅村と同研究所は主体的に係わり、 その調査活動の柱として源流ネットワーク形成に取り組み、全国各地の源流を調査しました。河川の最上流部に位置する源流の郷が、 お互いに交流と連携を深めあうことの必要性を確認し、源流の重要性を自覚する町や村が集って、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」を結成し、 源流域の再生を成し遂げるための政策提言づくりに立ち上りました。 

多摩川源流大学 開校する

さらに国土施策創発調査は、上下流連携プロジェクトとして多摩川源流大学構想を提起、 宮林教授らを中心とする東京農業大学の努力と小菅村のバックアップにより平成19年5月に「多摩川源流大学」が小菅村に開校しました。私たちにとって、 多摩川源流大学が開校したことは、大きな驚きと喜びであるとともに喩えようのない程の誇りを村民にもたらしてくれました。 

開学以来、毎年1200人を超える東京農業大学の学生達が、「森林体験」・「農業体験」・「景観体験」などの実習目的に小菅村を訪れます。 東京で生まれ育った青年達が源流の村で何を学び青年達はどのように成長したか。一人の青年がこの源流白書に次のようなコラムを寄せてくれました。 

多摩川源流体験教室の写真

感動と笑顔の「多摩川源流体験教室」

多摩川源流大学の「農業体験」の様子の写真

多摩川源流大学の「農業体験」の様子

「都会に生まれ育った私には、全てが新鮮で、全てが学びでした。竹から籠を編み、藁から縄を作り、獣を狩り、木を伐り、畑を耕し、 石垣を組めば、小屋も作る。生活の中で培われた数々の技、知恵がこの村には残っています。」そして、 後輩達に次のようなメッセージを送りました。「スマホをいじっているだけでは決して得られることのない驚きや喜びがそこにはあります。 そしてそこで得たホンモノの体験は、必ずや自身の大きな財産となっていくことでしょう。」私はこのメッセージに接して、 改めて源流は日本の希望であると確信しました。そして、この源流大学を全国へ普及したいと願っています。  

小菅村と源流研究所が全力を挙げて取り組んだ省庁連携による国土施策創発調査は、源流再生を目指す全国的活動発展の大きな転機となりました。 

源流緑のボランティア隊の写真

多摩川源流大学の学生も参加した「源流緑のボランティア隊」

「源流白書」が目指すもの~源流を守り 源流をつなぐ~

源流白書のねらいは何かと言うと、突きつけられた課題を羅列するだけではなく、そして源流が助けを求めるだけではなく、 現代の日本にとって、源流の課題が国民の皆さんの共有の課題であること、そして、将来のために一緒に考え、 行動するという協働の意識を共有することを訴えるために作成したものです。 

源流は、日本の国にとってどんな存在なのでしょうか。日本の原風景というと、思い浮かべるのはどの様な風景でしょうか。 

里の最も奧には神々が君臨すると思われる岳や峯の山々がそびえ、その麓には普段あまり近づかないところ、特に、 子ども達には入ってはならない奥山があり、その下に薪や炭、食糧や山や畑で使う道具の資材などを供給した里山がありました。 そして家畜を飼うための草地や田畑があり、夕暮れには家々から煙が上がるというまさに原風景が広がっていました。  

岳を源とする清流が命をつなぎ、里を潤し、そのあちこちには子どもらの遊びと共存する生業が広がり、心豊かな源流文化を育んできました。 こうしたふるさとには、大人から子どもへ、爺様から親父へ、婆様から嫁へと生きる力である「技」と「知恵」が伝えられていました。 こうした人間社会の源こそ、源流にほかなりません。それは歴史の源と言っても良いかもしれません。 

源流白書は、 先々まで展望して源流に関する基本的な考え方や源流基本法を制定してかけがえのない源流を次の世代まで確実に受け継いでいきたいという目標と道筋を明らかにしています。 

今後、この「源流白書」を通して日本中に源流への理解と協力を大きく広げていきたいと思っています。 いよいよこれからがスタートであると決意しているところです。