三方五湖(手前から時計回りに、三方湖、水月湖、日向湖、久々子湖、菅湖)
福井県若狭町
2849号(2013年8月5日) 若狭町長 森下 裕
若狭町は、福井県南西部の若狭地方のほぼ中央に位置し、北は日本海、南は滋賀県に面しており、平成17年3月31日に2つの町の合併によって誕生した、人口16,045人、4,998世帯の小さな町です。
平成17年11月にラムサール条約湿地に登録された「三方五湖」、近畿一美しい河川「北川」を始め、 名水百選に選定された「瓜割の滝」や「熊川宿前川」といった素晴らしい水資源に恵まれています。
このように豊かな水環境、山や里の自然を守り活かし、後世に伝えていくことを目指し、平成18年3月に「若狭町環境宣言」を制定しました。
一方で歴史を紐解くと、この地の歴史は1万年以上前の縄文時代にまでさかのぼり、「縄文遺跡」や「古墳」が数多く点在し、国道303号線は、 かつて日本海と畿内を結ぶ「若狭街道」として多くの物や文化が行き交い、街道に沿って栄えた宿場町「熊川宿」は、国の伝統的建造物群保存地区に指定されています。
産業構造としては、第1次産業への従事者が11.7%と全国平均に比べると多く、日本海側では最大の生産量を誇る「福井梅」の発祥地である三方五湖畔には、多くの梅林があり、 春先にかけて梅花が見事に咲き誇り、心を和ませてくれます。
若狭町では、まちづくりの基本方針を示した「若狭町総合計画」を平成18年度に策定しました。若狭町総合計画は、平成19年度~28年度までの10年間を計画期間として、 将来像を「優しさと輝きに出会えるまち」と定めています。
そうした中で、社会情勢が刻々と変化する中、町を取り巻く環境も変化し、新たな課題も発生してきたことから、基本計画を見直した後期計画として、 「若狭町まちづくりプラン」(平成23~28年度)を策定しました。
このプランでは、「次世代定住の促進」と「住民自治の推進」の2つの基本戦略を設定しています。
基本戦略のひとつである「次世代の定住促進」の取り組みを紹介します。
平成23年度に、行政、事業所、地域、学校、各種団体、関係機関が連携した「次世代定住促進協議会」を設置し、定住意識の高揚を図り、 官民が一体となって人口の減少に歯止めをかけ、地域活力の活性化を図ることとしました。
特には、事業所ネットワークを活用した定住の促進やUIターン者(移住者)を増やすための事業を強化しています。
具体的な方策としては、東京や大阪で若狭町の魅力や定住情報を説明する「ふるさと暮らしセミナー」の開催、 都市部等に居住する町出身者と町内在住者を結ぶ組織づくりなど新たな定住を目指した取り組みを行っています。
ふるさと回帰支援センターは、条件さえ合えば地方で暮らしてみたいと希望する大都市生活者の移住を支援する目的で、2002年に設立されたNPO法人です。
全国の自治体で進められている定住への支援と連携し、都市住民に田舎暮らし(移住)の情報提供と相談を行っています。
そうした取り組みが、若狭町が進める定住促進の施策と共通しており、より連携を強化することで利点があるとの思いから、 平成23年4月から職員1名を東京のふるさと回帰支援センターに出向させました。
多くの都道府県や市町村が支援センターの会員となっているため、間接的には約900の自治体の情報が入る利点を活かし、幅広いネットワークが構築できたと思っています。
若狭町から東京に、またこうしたNPO法人に職員を出向させるのは、もちろん初めてのことでした。
ここで、若狭町と東京をつなぐという観点から2つの事例を紹介いたします。
若女将インターン事業は、主に都市部在住の女子大学生が若狭町の漁師民宿にインターンシップに入り、仕事の体験やSNSによる魅力発信を行うものです。
若狭町には約100軒の民宿があり、朝獲れの新鮮な旬の魚、宿の主人と女将の家族的なおもてなしが最大の魅力です。これを目当てに京阪神、 中京方面から多くのリピーターが訪れています。
しかしながら、年々宿泊客が減少しているとともに、後継者不足から民宿の数自体も減少しています。この状態を少しでも改善するきっかけづくりのため、 平成23年度から2ヶ年間本事業に取り組み始めました。
2ヶ年間で18名の女子大学生と1名の社会人に参加いただき、それぞれが1人ずつ1軒の宿に入り、インターンを行うとともにSNSで若狭町の魅力を発信し、 最終日には今後の集客案などの提案を行いました。
普通に学生生活を送っていたのでは接点のない首都圏の学生と若狭町ですが、若女将インターンがきっかけで、お互いにとってよいご縁ができました。
参加者から「今後も私達に若狭町のPRの場をください」との提案があり、現在も若狭町観光サポーターとして、若狭町のPRに一役かってくれています。
彼女たちにとって、若狭町を第2のふるさととして、また帰郷してくれることを楽しみに待っています。
若女将インターン生と森下 裕町長(中央)
女将とともに夕食の準備をするインターン生
インターンの様子
2つ目の「東京若狭会」は、平成24年2月に発足しました。
東京を中心に首都圏に生活している若狭町出身の方で構成する団体で、定期的に集まって親睦を深めたり、 首都圏で行われる若狭町の特産品販売イベントに協力してくれたりしています。現在、会員は約30人ですが、口コミで少しずつ拡大しています。
年代は30~40代が多く、若い力がふるさとを応援してくれるのは心強いことです。職場も住む場所も違う人々が「東京若狭会」という形で集まることにより、活動の場が広がり、 また新たな人脈の構築につながるきっかけとなっています。
遠くふるさと若狭町を離れ、元気で頑張ってくれている仲間たち。東京若狭会の会合では、私たちのふるさと若狭町の話に始まり、 離れてみて改めて感じる魅力ある地域に自信と誇りを持って、若狭町の為に広告塔となって役立ちたいと胸を張ってくれます。
頼もしい仲間たち、若者に大きな拍手を送り、これからもますます活躍されることを願っています。
若狭町は古くから交通の要衝として発展してきましたが、少子高齢化による人口減少、長引く景気低迷など、多くの地方都市が抱える問題に直面しているのも事実です。
しかしながら、若狭町にとっての明るい展望も開けています。
平成26年度には「舞鶴若狭自動車道」の全線開通を控えています。そして、本年5月には悲願でもありました(仮称)三方PAスマートインターチェンジの連結許可が下り、 若狭町へのアクセスが充実したものとなる期待感が広がっています。
また平成30年には、「福井国体」が開催され、県内でも有数の競技人口を誇る「ゲートボール」「グラウンド・ゴルフ」の会場に指定されております。
さらには、三方五湖のひとつで、面積、水深共に最大の湖である「水月湖」では、2006年に英国ニューカッスル大学の行ったボーリング調査によって、 過去7万年間の様々な地球環境の歴史を刻み続けた「年縞」が発見され、2012年の国際会議で地質学的年代の世界標準と評価されました。
このように、さらなる交流人口の増加の可能性を多く秘めており、 自然や歴史文化などの魅力がいっぱいの若狭町のさらなる発展と交流人口の増加と定住促進を強く推し進めていきたいと考えます。
最後に、ふるさと回帰支援センターへの職員の派遣によって、多くの人脈、つながりができ、当町の持つ魅力発信、都市圏での情報収集、 そして派遣した職員自身の人格の形成につながったと思っています。
前例もない環境の中で、自信、誇りを持って自分の考え方をまとめ、交流を深めてくれたこと等、2年間、 家庭を持ちながら家族の理解の中で明るく元気で笑顔を絶やさず頑張ってくれたことに感謝とお礼を申し上げたいと思います。
また、4月から二人目の職員がふるさと回帰支援センターに出向しています。若狭町発展のため、知恵を出し自立した人間となってくれると期待しています。
東京若狭会による特産品販売イベントの様子