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愛知県設楽町/田峰観音奉納歌舞伎の保存と田峯小学校~引き継がれる伝統芸能~

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年6月3日
田峰観音大祭の様子の写真

毎年2月11日、12日に開催される田峰観音大祭(奉納歌舞伎は12日)


愛知県設楽町

2842号(2013年6月3日)  設楽町総務課


自然豊富な設楽町

設楽町は、愛知県の北東部、三河山間地域に位置する北設楽郡に属し、東は東栄町、豊根村、西は豊田市、南は新城市、北は長野県根羽村と隣接しています。人口約5,900人、高齢化率は40%を超える過疎の町で、総面積273.96k㎡の約90%を森林が占め、豊川、矢作川、天竜川という三大水系の水源の 町となっています。

1,000m級の山々が連なり、杉、ひのきの山々の中に新緑、紅葉を奏でる木々が多くあり四季折々の美しさを楽しむことができます。また、アマゴやアユなどの釣りシーズンには寒狭川(豊川)には多くの太公望が訪れ、釣果を競い合います。

交通は、国道257号、420号、473号の3本の国道を基本に、道路整備が進められています。自動車社会の進む中、北設楽郡3町村をネットワークする「おでかけ北設」というコミュニティバスを運行しています。町村域を越え相互乗り入れをするというめずらしい運行体系をとり、児童生徒、高齢者など交通弱者のための生活の利便を図っています。

田峰観音奉納歌舞伎の誕生

田峰観音は、田峯小学校校歌にも♪緑の城址 夢が淵 田峰観音名も高く♪と歌われ、地元では「かんのんさま」と呼ばれ親しまれています。

毎年2月11日と12日には田峰観音大祭が行われ、11日は田峯田楽(国重要無形民俗文化財)、12日は地元「谷髙座」による歌舞伎が奉納され、県内はもとより、県外、海外からも観光客が訪れます。

奉納歌舞伎は、90戸約300人の田峯地区に残っている伝統芸能です。奉納歌舞伎のきっかけとして、次のような霊験伝説があります。

『徳川4代将軍家綱の時代、田峯の日光寺が火災に遭い、その再建のために村人達が当時天領であった段戸山に入り誤って木を伐採してしまった。その話を耳にした御油赤坂の代官が検分にくることになり、村人達は過ちを悔い、観音様に「村が3軒になるまで歌舞伎を奉納します」と願をかけた。検分当日、旧暦の6月の土用というのに雪が降り、代官は「こんな寒いところに木を伐りに来るはずがない」と引き返し、田峯は1人の罪人も出さずにすんだ。その後、毎年、 歌舞伎を奉納することになった。』

以降、300年以上にわたり、太平洋戦争中も途切れることなく、奉納歌舞伎は続けられています。

「田峰観音」谷高山高勝寺の写真

「田峰観音」谷高山高勝寺

素人歌舞伎では珍しい「土蜘蛛」の様子の写真

素人歌舞伎では珍しい「土蜘蛛」

奉納歌舞伎の保存と田峯小学校

「谷髙座」の座員は、地元または田峯にゆかりのある青年が担っていますが、進む過疎化に抵抗することはできず後継者育成が大きな課題となってきました。そのため、「谷髙座」は、昭和50年代前半、田峯地区唯一の学校、田峯小学校に話を持ち込み、その担い手に小学生を見出しました。それまでの歌舞伎には関係者の子どもが子役として出演することはありましたが、小学校のすべての児童を対象としたことは画期的でした。以来、小学生による子ども歌舞伎が1幕から2幕、毎年上演され、人気を集めています。

小学生の頃から地元の伝統芸能「歌舞伎」に関わっていくことで、伝統芸能を守っていくという意識が醸成されており、成人になって仕事の関係で他町村に住んでいても祭りには帰ってきて歌舞伎を演じる若者もいます。また、田峯地区に住んでいる若者たちは、自分の子ども達に自分が過ごしてきた時間と同じように、指導者と立場を変えて歌舞伎の伝承をおこなっています。

田峯小学校の子供達による「白波五人男」の様子の写真

田峯小学校の子供達による「白波五人男」

奉納歌舞伎の広がり

地元の田峯小学校には、戦前に、国際協調の精神を育てることを目的にアメリカから贈られた青い目の人形「グレース」が現存しています。人形の追跡調査の結果、アメリカ合衆国オハイオ州デイトン市の学校から贈られてきたと判明し、昭和63年に田峯地区を挙げてこの人形の還暦祝いをおこない、これを契機にデイトン市に働きかけ「青い目の人形」を通した草の根交流が始まりました。

平成2年には「青い目の人形アメリカ合衆国訪問」が始まり、青い目の人形「グレース」を里帰りさせるとともに、アメリカにおいて子ども歌舞伎を演じる他、現地の小学校への体験入学、ホームステイなどがおこなわれています。

この訪問は、3年に1度のペースで、これまでに8回おこなわれていますが、田峯小学校の児童たちがアメリカを訪問するだけでなく、アメリカの 子どもたちも田峯地区を訪問し、交流が深められています。

これらの交流に対する行政からの資金的支援はなく、すべて田峯小学校PTAが休日を返上し、肥料となる牛糞詰めなどの作業を通じて地道に 資金確保をおこない、今日まで20年以上交流を続けています。

現地小学校で記念撮影した写真

現地小学校で記念撮影

体験入学の様子の写真

体験入学の様子

アメリカ合衆国で演じられた子ども歌舞伎の様子の写真

アメリカ合衆国で演じられた子ども歌舞伎

「谷髙座」と地域のかかわり

「谷髙座」の活動は、歌舞伎の伝承や国際交流にとどまらず、Iターンによる地域定住人口の増加にまで及んでいます。

平成10年に「谷髙座」の活動に大きく影響する田峯小学校の存続について、地域の人々が検討をしていく中で「子育て中の若い家庭を対象にして、新しい宅地を開発し、設楽町、特に田峯地区への永住者を募る」ということとなり、地域の合意を得て、田峯区を挙げての一大事業として取り組むこととなりました。

平成10年8月に田峯小学校PTAを中心とした「田峯21世紀委員会」を立ち上げ、この委員会を中心に具体的な検討が進められ、平成11年には用地交渉や測量に入り、平成12年7月には造成工事が始まりました。当初は、宅地造成はしたものの応募者があるのだろうかという不安のほうが強かったのですが、地域の小学校が少子化に伴う学校統合にならないようにと、地域の人々が小学校存続のための地域による宅地開発事業が話題となり、新聞各社にその記事が 掲載されたことで問い合わせが徐々に来るようになり、平成13年5月には分譲説明会を開くことができました。現在は、開発した17区画のうち14区画に家が建ち、あと3区画を残すのみとなっています。

この宅地の完成により、実際に田峯小学校児童数は増加しており、「谷髙座」による奉納歌舞伎をとおした地域の結束力の強さが伺われます。

菅原伝授手習鑑 寺子屋の場の様子の写真

「菅原伝授手習鑑 寺子屋の場」

今後の課題

田峯地区においては、田峯歌舞伎という伝統芸能が大きく関与して、伝統芸能の継承と田峯小学校の存続という大きな課題を乗り越えるため、地元がまとまり若者定住に自ら取り組み、その結果、地域の活性化だけでなく、田峯小学校自体の活性化も実現している数少ない良い事例のひとつです。

また、田峯地区では、田峯を知ってもらい交流人口を増加させることを目的に、田峯の四季や伝統行事の絵はがきを作成し広く配布するため、その絵はがき用の写真を広く募集するフォトコンテストなどの新しい事業にも取り組んでいます。

設楽町には、田峯歌舞伎以外にも多くの伝統芸能があり、それぞれ親から子、子から孫へと伝えられてきました。いずれも少子化に伴う後継者不足はおおきな課題となっていますが、どの地区もそれぞれ工夫をして伝統芸能を大切に守り続けていこうとしています。伝統芸能を継承しながら、地域の団結、地域の活性化につながっていくよう行政も協力していきたいと思います。

芝居小屋の様子

芝居小屋の様子